人見知りの人の人生 2022年9月1日の日記
・日記を書きます。
・今日は初対面の人と出会う日だった。自立した強い女性で、自分の対義語がそこにあると思った。
・その人と話す時、まっっったく上手く話せなかった。変な間が生まれ、変なところで会話が終わった。最悪の人見知りをしてしまった。
・でも、人見知りって所詮自意識なのよね。対話においてどういう言動をするかによってその人の印象を左右することは間違いないけど、よっぽど最悪なこと(例:常に鼻クソをほじっている、常に人の悪口を言っている、など)がなければ、その時どんな振る舞いをしていたかなんて相手の記憶には残らない。
・そんなことは分かっている。頭では理解しているんだ。でも感情ってさ…
・自分は今のインターネットが苦手だ。自分の周りは好きだけど、SNSというマクロな環境はキモい。知らない他人が起こしたクソちっちゃいマッチの火にみんなで酸素ぶちこんで大火事にする様子、重たすぎる。
・そもそも知らない他人(芸能人も含めて。自分に関係ない他人たち)がどういう生活しているとか自分に全く関係がないので、よくもそんなに興味を持って突っ込んでいけるなあと感心する(まっすぐな皮肉)。私と同じ考え方の人はいっぱいいるんじゃないかな。そういう人は基本黙っている。サイレントマジョリティーってやつ?(違うと思う)
・私は他人に興味がない。本当にない。好きな人たちのことは気になるけど、その人たちがどういう人生を歩もうと私が干渉する余地はないし、見守っていたいなと思う。どうでもいい人のことは本当にどうでもいい。みんなそうか。
・他人に興味がないくせに、自意識丸出しの人見知りはして、自分に興味が向けられていると思ってしまう。理にかなっていなくて、目の上にさらに目がある人間の写真みたいなモゴモゴ感がある。(目は4つもない)
・でも、こういう小さい小さい心の内でずーっとぐるぐるし続けるのが人生なんだと思う。完璧な理屈で出来上がった、どこのピースも外せないパズルは、どこかのピースを外すと「完璧じゃなさ」だけが目立ってもろく崩れる。こういう絶妙なバランスの悪さで成り立つのが一番良いのかもしれないですね。
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