高等学校の国語の授業 論説文編③ 高等学校で指導すべき「推論の在り方」

『水の東西』は、筆者の「鹿威しは日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けである」という主張が、「西洋の噴水」等の情報を基にした多くの推論が積み重ねられ論証されている表現になります。
筆者は、日常生活における基本的な論証(当然『水の東西』のような表現も含まれます)の構造については以下のマガジンで示しましたので参照してください。

このマガジンの中で筆者は、日常生活において意見や主張を表現するためには「演繹的な推論」が基盤となるものと位置づけています。そして、日常生活においては「演繹的な推論」の構成要素である「データ」「理由づけ」蓋然的になるため、その基盤となる「演繹的な推論」に「演繹的ではない推論」である「帰納的な推論」を組み合わせていくことがその典型となる構造(Cにあたる)であると示しています。
「演繹的ではない推論」(特に帰納的な推論=日常生活における論証の構造のAにあたる)は小学校中学年から系統的に指導され、「演繹的な推論」の初歩の段階(日常生活における論証の構造のBにあたる)は小学校高学年から指導されています。
そして、日常生活における論証の構造の典型となるもの(Cにあたる)は中学校第二学年から指導され、以下のマガジンで示したよう中学校第二学年『モアイは語る』ではかなり複雑な構造まで把握することになっています。

よって、高等学校の国語科における「推論の仕方」指導の中心は、より複雑な(様々な推論が重層的に組み合わされた)構造を持つものであると考えてよいでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?