95 South (All Of The Places We’ve Been)/GSHの音楽背景 001
95 Southは、1977年発表のアルバム「Bridges」に収録。
さて、今まであまり意識していなかった曲が突然頭に浮かぶことってあると思うのだけど、一昨日がそうで、この曲だった。ベース(シンセ?)とアコースティックギターのフラグメントにパーカッション、エレピ、ドラムが足し合わさって、ギターのフレーズにギルの声で温かい世界が広がってくる、という十数秒の展開がとても鮮やか。が、曲名もアルバムも覚えておらず、iPhoneのミュージックから探し出した。
曲調とは対照的なそっけないタイトルが気になってしまい、検索したところこんな記事を見つけた。
ギルの最初のアルバムからこれまでの生涯を振り返ったギル没後の記事だが、マーティン・ルーサー・キングの誕生日を国民の休日にしようとした運動(スティーヴィー・ワンダーが、自身の曲「Happy Birthday」で訴えていて、この曲が収録されたアルバム「Hotter Than July」のツアーにギルが参加している)に言及した後に注目すべき箇所がある。
He also eulogised the work of Fannie Lou Hamer, a black civil rights leader and voting activist, in his song 95 South (All of the Places We’ve Been), on the album Bridges (1977).
『ギルはまた、95 Southで、ファニー・ルー・ヘイマー(1977年3月没)という公民権のリーダーを称えている』というものだ。激しく意訳だけど、歌詞を確認してみると…
自由や未来がなかった町々を訪れ、あなたが食べることも水を飲むこともできなかった場所に行って、そうして今あなたに会うのだ、山の中腹で
想像できることは、私たちがいた場所の節目や場面の数々
私はこの国の南の小さな町で育った。だから抑圧が何かを知るに近いところにいる。私よりもっと勇敢な人々がかつて心に描いた夢、私にはわずかでもまだチャンスがあり、この山にいる。彼らの命が私を山の中腹にいさせてくれるのだから、立ち止まったり諦めたりすることはできない
ここを読んでも、私にはどこが彼女のことに触れたものなのか理解できなかった。ただ、彼女の没年にアルバムBridges(95 Southが収録)が発表されているので、ギルと同じく南部出身の彼女に想いを馳せて書いたのではないかと思われ、公民権運動などで獲得、回復していく過程を山にたとえているのではないか。
95 Southというのは、おそらくインターステート95を指しており、ギルの住むワシントンDCからはインターステート95を南下して、サウスで降りて、ファニーがいたところに行き(実際に行ったのか、想いを馳せたのかはわからないが)、だから、all of the places we’ve been なのかと勝手に解釈。
また2008年のマーティン・ルーサー・キングの日にギルがラジオ出演し(リンクのNPRで収録内容も聞けます)、1980年当時の状況を語っていて、95 Southをピアノで弾き語りしている。ファニーについても触れていて、自分が若いころ、ファニーが重要人物だったと語っている(上記解釈もまあまあ合っている)。
余談だが、司会者の「何を演奏してくれるのですか」に対して「The Piano」と答えているのは、ギャグなのか、曲名を忘れたのか、それとも、ピアノしかないんだからピアノに決まってるでしょという意味なのか、謎。
(これは2015年12月11日に書いたものです)
[追記]
改めてBridgesの曲紹介(2009年に再発されたCD)を読んだら、95 SouthをワシントンDCに向かって運転していた時に、ファニーの訃報を聞いたとあった。同じ南部出身だったからギルは彼女のことをよく知っていたが、知らない人が多いということをその時気づき、歌にしたらしい(2015/12/16 これを踏まえて書き直した方がよいか?)。