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強さ
ある日の山形市のとあるビルのエレベーター
遠慮がちにドアから横にずれて、押しボタンの前で待っている年配の女性が一人。そこへ、ドアが開きそうなタイミングで大声で話しながらエレベーターに向かって歩いて来たスーツ姿の60歳くらいの男性2名。そのうちの一人は年配の女性を気にも留めずに入っていった。
ドラマでしか見ない 嫌な人演出 その本物だ。年配の女性が待っているにも関わらず、ずかずかと。名付けてブサイクスーツ
そしてスーツの二人目の男性はというと、先にどうぞと丁寧に手の平を上に向けて合図し、女性は遠慮しながらもエレベーターに乗り込んだ。 良かった! 2人目がハンサムスーツで良かったとほっとしながら最後に乗り込んだ。
相変わらず大きな声で話し続けるスーツの男性はそこそこの地位があるようだ。
エレベーターの脇で待っていた年配の女性の遠慮がちな雰囲気は、かなりのもので、そんなに縮こまらずにいいんだよと声をかけたくなるようなそんな老女。でも、そういう相手だからといって、配慮を欠く行為というか、弱さにつけこむと言ったら大げさかもしれないが ブサイクスーツの行動は、それは偽物の強さであって、それじゃあ 宮本武蔵になれない と思った。
宮本武蔵
13歳にして初めて真剣での勝負に勝利。関ケ原の戦いに加わり。そして江戸時代のはじめごろ 二刀を使う二天一流を編み出し、生涯無敗を誇った伝説の剣士。
伊賀の鎖鎌を操る宍戸 梅軒(ししど ばいけん)との戦いや、吉岡一門との決闘、巌流島での佐々木小次郎との戦いはテレビドラマや漫画などで何度も取り上げられており、みなさんもご存じの方ではないでしょうか。
世の中のイメージとしては荒々しく、憮然とした、とっつきにくい、怖そうなイメージで描かれる最強の剣士。
宮本武蔵が死の直前に熊本市近郊にある霊巌洞で剣術の奥義についてまとめたとされる五輪書(ごりんのしょ)。五輪とは地水火風空で、これは仏教から来ており、宇宙の全てはこの五つからできているとする考え方。宮本武蔵が残した五輪書もこの地、水、火、風、空の5巻からなっており、その地の巻の中のには士農工商も四つの道であることや、兵法の道を大工にたとえた説明が出てきたりする。また兵法の道を鍛錬するために心がけておくこととして、九つにまとめられているその中に
第三に、諸芸にさわる所 兵法に限らず、広く諸芸にふれ、学ぶこと
第四に、諸職の道を知る事 いろんな職業の道、神髄を学ぶこと
の2つがあることにビックリする。
江戸時代といえば、武士に無礼討ちが許されていた時代。武士が無礼を受けた場合は切り捨てても処罰されなかった時代。圧倒的な身分差のあった時代に、自分よりかなり下の身分のものの仕事に対し、その神髄を学ぼうとした宮本武蔵。
宮本武蔵は、それぞれの分野の職人とどのように接したのだろうか。上から目線で「その極意を教えろよ」と強く迫ったのだろうか? もしそうなら、その道を究めた人はそれに屈するのだろうか。それで素直に極意を教えるだろうか。宮本武蔵は剣術以外は素人で何が正しいかも分からない。形だけ伝えて神髄は絶対教えなかったり、「教えない」とハッキリ言ったりしないだろうか。長年心血を注いできてやっと分かったその神髄。誰だって嫌なやつにわざわざ教えないだろう。
そうすると いろんな人、いろんな職業の人から、その分野について教えてもらい、それぞれの分野の極意へ導いてもらった宮本武蔵という人は、どんな人だったのだろうか。
どんな人になら、その道の神髄を悟った職人たちはまあ教えてもいいかと思うのだろうか。
剣術や戦いの時には鬼のように怖い人。でも、普段はひとなつっこい、いいやつだったのではないだろうか。その職人の前でだけでいいやつを装うような人間ではなく、強いもの、弱いものを問わず、誰にでもひとなつっこい、いい人だったのではないだろうか。教えてあげてもいいかなと思うとしたら、そういう人だったのではないだろうか。そういう気がしてならない。凄い技を持っている職人が男性とは限らないし、力が強いとは限らない。諸職の道を究めた中には遠慮がちな雰囲気の老女もいたかもしれない。
そんなひとだからこそ、そんな人でなければ、最強にたどり着けなかったのではないだろうか?偽りの強さでは無く、生涯無敗の伝説の剣士。強がりや虚栄では無く、威嚇や雰囲気ではなく、言葉での攻めでも無いし、自分だけ安全な位置から相手を攻撃するのでもなく、全てを受け入れ、全てを学び、無敗にたどり着いたのではないだろうか。
最強は・・・
生涯無敗で最強、誰もが知っているし、自分の目指した剣の道を究めた。
武蔵が亡くなる前に最後の力をふりしぼり書いた自戒自制の書 独行道 二十一箇条
一、世々の道をそむく事なし
一、身に楽しみをたくまず たくまず:そうなることを意識したり、考えたりしない
一、よろずに依怙の心なし 依怙(えこ):一方だけをひいきにすること。不公平。えこひいき。 ; 頼ること。また、頼りにするもの。 ; 自分だけの利益。私利
一、身をあさく思、世を深く思ふ
一、一生の間よくしん(欲心)思はず
一、我事におゐて後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず
一、自他ともにうらみかこつ心なし
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこころなし
一、物毎にすき(数奇)このむ事なし 数奇:風流の道(茶の湯など)
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし 物忌み(不吉であるとして物事を忌み避ける)を気にすることなし
一、兵具は格別、よ(余)の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨てても名利は捨てず
一、常に兵法の道をはなれず
これを5月12日に書き上げ、5月19日にその生涯を終えている。
五輪書には兵法の道、剣術の極意の説明がかなり膨大にある。でも私の興味は宮本武蔵の人間味が隠れたところにある。
なぜ宮本武蔵は必要以上に正しく生きようとしたのだろう。なぜ質素に暮らしたのだろう。楽しみからかけ離れた生活を送ったのだろう。なぜ生涯独身を通したのだろう。なぜ美味しいものから遠ざかったのだろう。なぜ仏教に傾倒しつつも、神仏に助けを請わなかったのだろう。
自らを苦しめるように。
もちろん剣術のためだろう。でもそれだけだろうかと言うか、それにしてもと言うか、そうならざるを得ないというか
剣術だからだけではない。人の命を奪いながら磨き上げた剣術だからが関係しているのではないだろうか?
もちろん純粋に剣術についてを一番深く悩んだだろう。でも沢山の命を奪って極めていく剣術の道では別の葛藤もあったのではないだろうか。
そんな気がしてならない。だって人なのだから。
日々のなかで
私や、人は誰しも、自分も正しくありたい、優しくありたいと思う心があるし、その反対に、そんなことにこだわらない人間でいたい。優しいだけの人として生きることで、正直ものとして生きることで、人に喰われるのであれば、逆に人を喰ってやる。という相反する気持ちも持っていたりもする。相反する気持ちはいろんな想いに対しても存在し、そのバランスがそれぞれの人の色、その人の形と言えるのではないだろうか。
自分も常に正しくあるかと言われれば100%聖人のようにあるわけではもちろんない。それでも人に優しい人間でありたいし、弱きを助ける人間でありたいと願っている。そして例えそれが無理な場面を何度経験したとしても、それを、そうありたいと願うことを、辞めない人間でありたいと思っている。
イメージ
強さとは何だろう
人を傷つける力は、その力が大きければ大きいほど、周りの沢山の人を傷つけるし、同じように自分のことも傷つけてしまう。力がいかに大きくても、マイナス方向に進む力を私は強さとは思わない。怖さや、欲や、そのようなものに心が負けてというか、逃げてと言ったらいいのか その結果であって人を傷つける力はいくら強くてもそれは心の弱さの表れと言えるのではないだろうか?
それでは強さとは何かと言えばそれは人を幸せにする力ではないだろうか。笑顔や使う言葉や態度、気遣い、日々を楽しんで生きる余裕を持ち、日々に感謝し、毎日起こる些細なことにも感謝し、今起きている奇跡、注意しなければ気づかない沢山の奇跡に感謝し、それらによって自分を幸せにするだけでなく、広く周りの人も幸せにする。さりげなくあふれ出る。でも圧倒的に暖かく世界を変えるその力を強さだと思って生きている。
宮本武蔵が現代に生まれていたら、江戸初期でも武士ではない家に生まれていたら。どんな人生を送っただろう。人懐っこい、相手が弱い強いにかかわらず誰にでもいい人。沢山の人を師として学び、一歩づつ進んでいく、人から学んだことを大切にしながらも、人からの要求や周囲の目、周囲の期待により左右されるのではなく、その道を究めるために、進むべき道を、そのイメージを大切に生きる。
宮本武蔵が周りの人を幸せにしようとしたのなら、みんなを最高に幸せにするその道を究められたのではないだろうか?むしろ究めて欲しかった。そういう道であれば、天も、運も、人も、そして自分も味方する。そう自分自身で自分の幸せを願えるそんな道を。そして全てを幸せにしながら、優しさという強さを存分に発揮して生きたのではないだろうか。勝手なイメージではあるけれどそう信じている。
自分だけが幸せならそれでいいと思う浅い幸せ、偽りの幸せではなく、最高に幸せに生きるということは、周りの人も幸せに生きていることだと信じている。
そして自分もそれを
自分の中にのみ生きている全ての人を最高に幸せにするための道を究めることが出来た宮本武蔵をイメージしながら、そうありたいと願うことを、辞めない人間でありたいと思っている。そしてブサイクスーツをも包み込み、その幸せ願えるように大きな、深い強さを
そうありたいと願うことを、辞めない人間でありたいと思っている。
そのようなことは多かれ少なかれ誰の心にもあるものではないだろうか。