見出し画像

幸せな種を撒こう

イメージ
ボランティアや人助けをしている人のイメージ
"真面目そうな、ああいう人たちだよね。ボランティアする人たちって、俺たち(普通の人)とは違う”
そう思っていた。(もちろん今はもうそうは思わない)
そんなだった自分も骨髄バンクで骨髄液を提供した時の経験や、いろんな出会いの結果、人助けをするようになった。
やり始めは、【 困っている人を助けることは大人の義務だ 】 そういう考えのみでやっていたから、まるで修行だった。全く楽しくない。だから他の人にボランティアしようぜ、骨髄バンクに登録してください なんて言えなかった。友達や知人、初めて会った知らない人だとしても、不必要な苦労を他人にさせることに抵抗があった。ボランティアが大事だと思える人、世の中には必要だと気づいた人 そういう人だけがやるしかないんだ。そんなイメージで活動していた。

教わったこと
高校生ボランティアと活動していて、高校生が楽しそうにボランティアをしているのを見て、衝撃だった!これが正しいボランティアの形じゃないか?
高校生はただ、友達との会話が楽しくて笑顔が弾けているだけでボランティアはオマケだろう。でもボランティアの場所で楽しく過ごす姿はとても衝撃的だった。
それからというものボランティアを楽しむように心がけた。はじめは楽しむことは難しかったが、いろんな出会いがあって、1年くらい経ったあたりからは意識しなくても楽しむことが出来るようになっていた気がする。頑張って楽しもうとしていたことが禍して、自然に楽しめるようになるまで1年もの長い期間がかかったのかもしれない。

いつのまにか
昔より前向きに生きている自分、人生を満喫している自分、前よりも行動的になった自分、何にでも感謝して生きている自分、自分のことをちょっとだけ好きになれた自分がいた。
沢山の素晴らしい出会いや、行ってきたこと達は自分の宝物だ。そして自分の心地よい場所が沢山出来たし、行動範囲も広がった。自分でもびっくりする。
楽しんで行う人助けは他の人を助けるだけでなく、自分をも幸せにしてくれる
いろんな人に伝えたいし、いろんな人に幸せになってもらいたい。そう思った。
ボランティアしませんか。  骨髄バンクに登録しませんか? やっと人に勧めることが出来るようになった。2008年の骨髄提供から13年が経過していた。

いろんな作戦
ありがたいなぁと感謝する出来事に出会い、感謝することで脳内から幸せホルモンが出るという。昔から幸せに生きる秘訣は ”足るを知る” ことだとも言われている。でもその極意を聞いたところで、どれだけの人が”ありがたい”と思ってもいなかった小さなことに感謝出来るようになるのだろうか?昨日まで何の気なしに食べていたものに感謝出来るようになるのだろうか?当たり前にコンビニで買い物出来ることに、当たり前の友達との会話、当たり前の自分の頑張りに。
凄いねと思ったり、口に出して言うこと。心からの感謝は意外と難しい。私にはそこには高い壁があった。
私はボランティアを楽しみ、経験を重ねることでその壁を壊すことが出来た。そして今幸せを感じて生きている。全ての人が幸せを心に感じながら生きていけたら、どんなに楽しい世の中になるのだろうか?
人助けやボランティアは静かなマジメだけがするというイメージ、辛い修行のようだというイメージ これを壊さなければ!
2023年の年初に 当時47歳の平凡な会社員のオッサンは 思い立ってキツめのツイストスパイラルパーマをかけた。会社では浮いてしまったが、ふざけていたわけではない。いやフザケいたのかもしれない。まあ面白い。そんな風貌で楽しそうにボランティアをする。まあ面白い。仕事面で得があるかと言えばどうだっただろう。だが、人助けやボランティアをする人のイメージは変えられた気がする。真面目そうじゃない人が、ボランティアを楽しんでいる。名付けてMVT?作戦(もしかしてボランティアって楽しいんじゃないの?作戦)を決行したりもした。
(パーマは1年こっきりでやめてはしまいましたが・・・)

苦労
昔、テスト前に友達から講義のノートを借りて、テストも近いし早めに返したくて、でも友達のアパートに行ったけどいなくて、近くにあるベンチで暇だから待ってたことがあった。結構待って友達が帰って来た時に、寒い季節だったこともありビックリしてて、いつから待ってたの?寒くない?ノートなんかいつでもいいのに。と心配してた。そして言われたのが
自分から大変な思いをしなくていいよ
もちろん友達は全くフラットな気持ちで心配して言ってた。
人にここまでやったんだとアピールがしたくて、と言ったらいいのか、ここまでしたんだから許してもらいたくて、認めてもらいたくて、とかそんなことのために自分に辛いことを敢えてさせている。それは人のためじゃなく、自分のためにやっていたのかもしれない。大なり小なりはあるが、みんな経験はあるのではないだろうか?その不幸や苦労を必要としていたのは意外と自分だったのかもしれない。
また、似たような例で、読む必要のないその場の空気を勝手に読んで自分から辛い選択をすることや、相手の強引さに押されて辛いおもいをしょい込むこともある。ボランティアをやっていると、していない人から、この活動にも協力すべきだと強要されることもある。自分を無理やり納得させて本意じゃないまま協力しても、もやもやした気持ちになってしまう。断る勇気も必要である。
何が言いたかったかといえば。自分から辛い苦労はしなくてもいい。それが自分のためでも、誰かのためでも、君が辛くなるような苦労のボランティアはしなくても良い。少なからず楽しさ、やりがい、充実感、達成感があるべきで、ただただ辛い苦労だけのボランティアで不幸になるようなことは避けて欲しい。君のことが心配だし、君がボランティアは良くないものとして辞めてしまうことは、君の人生にとって損失だからだ。ただ、目的があって努力することはいい。苦労と努力は似ていて、実のところは全く違うのだから。

いろんな人助けがあっていい
面白かった映画の話をしたり、行って楽しかった場所の話をすることも、人助けになっている気がする。素晴らしい映画や場所に触れて人生を豊かに楽しくしてくれる。そう考えると人助けと一言で言ってもいろんな形があると思う。誰かに与えるものはお金や、一般的なボランティア活動に限らず、笑顔だったり、優しい言葉だったり、人知れず熱い想いでかけた似合わないパーマだったり。
お金もかけずに、苦労もせずに与えることが出来るものは沢山ある。とても立派な人助けだ。ぜひ与える喜びを感じて欲しいし、与えることで得られるものにも目を向けて欲しい。良い種をは沢山の綺麗な花を咲かせ、やがて沢山の実をつけることだろう。そしてマイナスに働く悪い種は撒かないように注意することも、とても大切なことだ。

最後に
今の時代はどうしても効率を求めてしまうし、無駄を排除してしまう。でも一見して無駄なことが人生を豊かに楽しくしてくれることが多い。
そしてたまに自分に聞いて欲しい。効果を急ぎすぎていないか?結果をすぐに求めすぎていないか?時間がかかるものほど大きく成長し、大きな収穫が得られるものである。
皆さんに沢山の幸せや、素晴らしい出会いが訪れ、素敵な人生になりますように。


いいなと思ったら応援しよう!