「知らないほうが幸せなことはある」
谷水春声のお話は
「聞き覚えのある声が聞こえた気がした」で始まり「何か言いたかったけれど、言葉がうまく出なかった」で終わります。
#こんなお話いかがですか
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(800字)
聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
トレイを持ったまま振り返るが、混雑の中、声の主を見極めるのは難しい。きょろきょろと辺りを見回していたら、テーブルを確保していた友人がこっちだと言わんばかりに手を振った。
いや、捜しているのではお前ではないのだが。
と、説明するのも億劫だし、とりあえずラーメンを置くために近づく。辿り着くまでにも数人と触れ合いそうな程すれ違った。流石連休中のサービスエリアは盛況している。
「お前も何か買って来い」
「おう。先に食べてろよ」
本末転倒だ、と指摘を受けなかったことに些かほっとしながら、割り箸に手を伸ばした。
そもそも、旨いと評判のラーメンを食べるために車で県境を越えようと提案したのは友人なのだから、とやかく言われる筈もない。
道中、予定外に時間がかかってしまい、寄ったサービスエリアの安いラーメンで腹を満たそうとしている。
そんなことより声だ。
俺は、またもや落ち着きなく視線を巡らせてしまう。
あの声。
当たり前のように毎日聞いていた頃から、もう七、八年は経つだろうか。
二人でいた時は、囁くようだがどこか意思の強い調子に魅了されていた。声だけではない。頭から足先まで、いや表面的なところだけではない、その心根まで好きで好きでたまらなかった。冷静さを欠かないよう必死に耐えていたので、ちゃんと聞いているのか、とよく怒られたものだ。
結局、冷静さを欠かないことだけに集中しすぎた俺が悪かったのだろう。
だから。
もし、声の主がその人で、現在家庭があったとして、旅行中にサービスエリアに寄っていて、配偶者似の子供にお子様ランチなど食べさせていようものなら。
そこまで考えが至ったところで、俺は視線を落として油の浮いた液体に集中しているふりをした。
知らないほうが幸せなことはある。
戻ってきた友人が、俺と同じ何の変哲もないラーメンを買ってきたことについて何か言いたかったけれど、言葉がうまく出なかった。