「夜通しDVDを見た翌日の朝、猫町を思わせる表通りでおもちゃの指輪を拾った話」
谷水春声さんは夜通しDVDを見た翌日の朝、猫町を思わせる表通りでおもちゃの指輪を拾った話をしてください。
#shindanmaker #さみしいなにかをかく
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明け方まで降っていた雨の気配を忘れたかのように、表通りは暑い風に煽られ、砂埃が舞って煙たかった。通りの向こうの道を行く勤め人たちのズボンがぐにゃぐにゃと揺らめく陽炎まで見える。
いや、ぐにゃぐにゃしているのは僕の視界だけだろうか。
急な熱波に当てられて弱っているのか。
そもそも徹夜をしたのがいけなかったのか。学生時分とは違い、一日に一度はまとまった睡眠を取らないと翌日に悪影響を及ぼすようになってしまった。
いや、そもそも。
失恋したのが、いけなかったのか。
暑さという刺激に一瞬忘れさせられていた、心の痛みが蘇ってくる。
昨晩から、徹底的に感傷へと浸って最終的にすっきりできるよう、一泊二日でレンタル屋から借りてきた悲劇ばかり起こる映画のDVDを何本も見た。悲劇というか、悲恋もの。
朝を迎える頃には気分爽快になるのではないかと目論んだが、なぜだか余計にくらくらする。
あの人に必要とされていないこの世の中だから、くらくらする。
全ての物事が僕に対して残酷に振る舞っている気がする。レンタル屋への道のりすら、こんなにも息苦しい。
昔読んだ小説、そう、あの人に奨められて読んだものにも、語り手が前後不覚になりながら歩く話があった気がする。現代では禁止されている種類の鎮痛剤を飲んで徘徊する主人公。ふと見ると、往来を行く人の首から上はみんな猫になっていて…。
確かそんな話だ。
今のところは道行く人の顔はみんな人間に見えるが、こんな精神状態でいると、僕も異界の町へと迷い込んでしまいそうだ。
もしかしたら、そのほうが幸せになれるのではないだろうか。
このどうしようもない気持ちから、逃げおおせるのではないか。半ば本気でそんなことを考える。
何かに出会えることを願って、ビルとビルの間にある隙間に、気まぐれに入ってみる。ぎりぎり人同士がすれ違える程度の、そこに住む人しか使わない道だろう。今は猫一匹の気配もない。
真上から降り注ぐ日の光が筋となって、人一人通れるだけの幅をくっきりと照らしていた。まるで進むべき道が浮き上がっているかのようだ。
往来の車の音が遠のいて、こつ、こつという自分の靴音ばかりが響く。
小さい頃はこんな何の変哲もない小道ですら、壮大な冒険と仮定して楽しめたものだったと思い出す。あの人と一緒に、門限を破ってまで隣町に行こうとしたっけ。
ふと、きらりと光るものが見えた。ビルの間を抜けた先だ。
ガラス片でも落ちているのだろうか。
駆け寄って屈んでみてようやく分かった。おもちゃの指輪だった。
「これは…」
サイズ調節のできる軽い材質の輪っかに、宝石を模した赤色のプラスチックが嵌っている。よく見覚えがある代物だ。
拾い上げて見ていると、いきなり指輪をひったくられた。驚いて視線を上げると、少女がこちらを睨みつけている。
なぜ人が近づいてきたことに気付かなかったのだろう。
「これ、わたしの」
僕の反応を待たずに走り去るその頑なな後ろ姿も、よく見覚えがある。あの人の小さい頃の姿だ。そして奪い取られた指輪は、僕があげたものだ。
おとなになったらけっこんしようね。
そう約束したときに僕があげた、夏祭りの屋台で百円という大枚―一か月分のお小遣い―をはたいて、差し出した指輪。
過去にタイムスリップしたのか?しかし辺りを見回しても、街並みが変わったようには見えない。
僕はひとまず立ち上がって、少女を追うことにした。
何か、失恋しないで済む手がかりがあるかもしれない。
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