視座が高まると可能性が広がり、視点が増えれば優しくなれるかもしれない
成長するために「視座を高めよう」って人に言ったり、自分に言い聞かせることがあります。
なんで言ったり言い聞かせているのかなぁって考えたのですが、視座が高まると可能性が広がるからなんじゃないか…!と思ったので、noteを書いてみます!
視座とは
以下のnoteを読み、この文脈で視座という言葉を使わせていただいています。
視座を高めるときに意識するのは、上記のnoteに記載されている「課題スコープ」と「振る舞い」のバランスです。バランスが悪いと、嫌なやつになってしまうこともあるんじゃないかなって思っています。
どの課題スコープでも振る舞いが「問題指摘」で終わってしまうと、なんか嫌なやつ…って感じになってしまうことがあります。
課題スコープを広げるだけでなく、振る舞いとして解決策実行、または解決策を提示までできる課題を増やす、といった課題スコープと振る舞いのバランスが成長するためには大事だと思っています。
視座が高まると可能性が広がるかも
なんで視座を高めることが成長するために大事なのか、合っているかは自信がないのですが、こう思うよ、ということを書いてみます!
それは「可能性が広がるから」です。
気づいていないことに気づき始めた
これが問題、と言語化できるようになった
ここまででもすごいのですが、
こうしたらどうだろうと言えた
こうしてみた
までいったら、それはもう新しい可能性を掴んでるよね、って思います。
解決策を提示すれば、きっと新しい機会を手に入れる可能性は高まっているだろうし、実行していれば機会を手に入れ、何かを得ている最中だと思います。
そうやって人は、課題スコープを広げ、振る舞いの当事者度合いが強まることで、自分の可能性を広げ、成長していくんだろうなと思います。
視点を増やすことは優しくなれるってことかも
余談ですが、視座と似たような言葉で「視点」があります。ここでいう視点とは「物を見たり考えたりする立場。 観点。」という意味で使います。
もしかしたら、視点を増やすことは優しくなれるってことかも、と思います。
自分以外の誰かの視点に立つ。
この人から見たらどう映るのだろうか
あの人からこんな質問が来たけど何故だろう
あの人はなぜ不安そうにしているんだろう?
自分とは違うそれぞれのパーソナリティー、その上で自分とは違う場所から見る景色。この2つを理解してようやく視点を理解することだと考えています。
自分以外の視点を理解すれば、きっと共感できて、優しくなれる。そして周りに回って自分自身に余裕が生まれる。恥ずかしながらまだ体験できていませんが、これもまた人として成長するために大事なことかもしれません。
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