「小さな幸せの認識回数を増やす」というMyビジョンについて
このnoteは自身のライフビジョンである「小さな幸せの認識回数を増やす」について整理/言語化を試みるものです。(=多くの人にとって興味がない内容となるかと思います)
背景として僕は「働く」ということにおいて、自身のビジョンとのマッチ度を超大切にしています。その過程で自身のビジョンである「小さな幸せの認識回数を増やす」について説明が必要なのですが、抽象的・概念的すぎて説明が伝わりづらいという課題があります。noteに書き起こすことでその課題解決を図りつつ、自身のやりたいことやビジョンの整理になればと思っています。
前提:小さな幸せとは何か
完全に自論ですが、幸せには2種類あるのかなーと思っています。
大きな幸せ:何かを追い求めて「得る」ことで感じる幸せ
小さな幸せ:実は当たり前ではない有り難いことに「気付く」ことで感じる幸せ
幸せの形は人それぞれと言いますが、個人的には大きい幸せと小さい幸せの求める比率や内容が人それぞれだという理解をしています。
Outcome:小さな幸せの認識回数が増えた先の世界
すごく飛躍した話かもしれないですが、小さな幸せの認識回数が増えると世界が平和になると思っています。
大きい幸せは「何かを追い求め、得ること」が必要です。同じものを他者も追い求めていた場合、競争や争いが発生するのは避けられません。大きい幸せ無しには発展や成長はないかもしれませんが、もう少し小さい幸せを大事にすることで競争や争いが減り、世界がちょっとずつ平和になっていくのかなと思っていたりします。
ちなみに小さな幸せの比重が高い「世界でいちばん貧しい大統領」で有名なホセ・ムヒカさんも全人類が幸せになるために言い方は違えど小さな幸せを大切にして欲しいと説いています。
個人的にも最近思うこととして、大きな幸せの比重を上げざるを得ない世の中になっているなーと思っていまして、そんな頑張らなくてもあなたって実は結構幸せなんじゃない?と見直す小さな幸せが置いていかれているような感覚があります。
What:小さな幸せを認識するための方法は何か
小さな幸せは「当たり前だけど実は当たり前ではないことに気付くことで感じる幸せ」なのですが、気付くためには当たり前の日常から離れたりすることで俯瞰的に当たり前の日常をみる必要があります。(頭こんがらがるので図解を下に貼っておきます)
当たり前の日常を俯瞰的に捉え小さな幸せを認識するためには、以下方法があると思っています。
擬似体験:当たり前の擬似喪失
追体験:当たり前を喪失した人の話,体験から自分ごとに捉える
再体験:当たり前の日常や初心を振り返り価値を実感する
他者からの感謝:自分の当たり前に感謝されて価値を実感する
他者への無償の愛:特定の人が当たり前な日常自体が幸せ
ただこれらの方法がとても難しく、例えば①とかでいくと誰がお金を払ってまで自分の当たり前を喪失させたいのか、そんな人いる訳がなくビジネスとしては成立しないんですよね。
気付くことで感じる小さな幸せは、一定期間を経てその有り難みはまた当たり前になっていきます。なので一過性ではなく認識する回数自体を増やす必要があるのですが、そのためにもちゃんとビジネスに昇華して持続可能性とスケーラビリティを上げていくことは避けて通れないことが自分のやりたいことの難しさだなーと悶々としています笑
Next:今後どう生きるか
Rettyでは直接的には①〜⑤のどれにも合致はしないですが、
・全国80万店舗があり人の食の回数は8万回くらい
・その中で自分に合ったBestなお店を見つけてもらいたい
・それを機に一食一食が当たり前のものから人生をHappyにするものへ変化
することで食という当たり前から小さな幸せに気づいてもらえたらと自己解釈の意義を掲げて日々仕事をしています。
仕事は集中してやりながらもこういった言語化を気に、自身でも何かできないか模索しつつ、ビジョンマッチ度×ビジネスとしてのポテンシャル×影響度という観点でアンテナを張っていこうかなと思っています。
上記①〜⑤のWhatに該当しそうなことやってるよーという方はぜひご連絡いただけると嬉しいです、色々お話聞かせてください!
読んでくださりありがとうございましたっ ご意見ご感想などあればぜひTwitterで教えてください! 頂いたサポートはnote執筆のためのカフェ代に使わせてもらいます!