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寄り添いを大切。
最近はどうも、人に関する事中心に記事にしてきるのですが、どうやら楽しく買い物ができないのは人が関係していると感じているので、人に関する僕の考え方が記事となっています。
僕自身もとても未熟な人間だけれども、細々とやっているので宜しくお願いします。
雰囲気でわかるやろ?というのはただのサボり。ということの自覚の無さにうんざりしているんだよ。という記事です。
違いがあるよね。
僕は今の会社はそこそこ大きい会社で働いているのですが、以前はとても小さい会社で働いていましたのですが、違いは決定権が僕にあるということが全く会社母体によって変わってくることを経験しました。
大きい会社はやはり、役所に近いです。
何をするのにも、上の確認が必要でスピード感はなく、とろいです。
小さい会社は早い、この早さこそが生き残る為の生命線になっているので、決定権はある程度僕にあります。なんだったら、事後報告でも問題ないことも多々あります。
こう見ていくと、両者で違うところが上官の説明です。
決め事
決め事が多い。これに尽きるのですがそれに加えて上官の説明ない。
説明を求めてるのになんで話をしようとしないのか、、うーん、これ何かに構図が似ているなと少し考えると、政治家と同じやん!に結論。
そうなるとどうしようもできないね…となるけれども、上官は政治家ではない。
上に立つ人は説明力が求められている。
例えば、Aくんが〇〇をしたいけれども、することはできないその理由は多数の部署が絡むからだとする。できないから説明しない。
それはAくんはまだ知らない。
この話はなかったことになり、Aくんがどうでしたか?と再度訊ねなければ結果を知ることができなかった。
説明があると、こんな感じになるのだろ。
今回はAとBの多数関わっている為にできることはここまでしかできない。けれどもどうする?
という感じ!
(かなり雑だけれども、ご了承ください。)
後者の方が嬉しくないかな?
寄り添ってもらえていること、できる範囲が明確なこと。
説明ということじゃない
説明と聞くと上から下に話をすることや、わからないことを教えると思われがちだけれど、出来ること、できないことを明確に、そな中で選択肢が持てること。
そうすると、次の足を踏み出すことができる。
説明があるというよりか寄り添いの精神が必要だよね。
僕はこの点を気をつけて日々の生活を気をつけたいよね。
それでは〜
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