それでも、日本人は「戦争」を選んだ(再掲)

東京大学の現代史の先生が歴史研究会の高校生を対象に5日間にわたった講義を本にされたものです。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
この国の過去を振り返り、未来を考えるうえで、貴重な示唆があると思います。
昨日は終戦記念日、今回再掲いたしました。関連記事も集めています。

 一言だけ、この本で大変気になる箇所がありました。
「日本軍ほど自国の軍人を大切にしない軍隊はなかった。」という箇所です。
食料の補給も考えずに兵士を戦線に送り、戦死者よりも餓死者のほうがはるかに多かったところが多数ある。
このような日本軍の体質は、国民の生活にも及んでいた。敗戦間近の国民の摂取カロリーは戦前の6割にまで落ちていたとされます。
ドイツはどうか。国内が徹底的に破壊されていたのに、国民への食糧配給は絶対に減らさないように農業生産に注力し、敗戦前のエネルギー消費量は戦前を上回っていたそうです。

これは、戦時中だけの問題ではありません。あの震災・津波・原子力発電所の事故の後のこの国の指導者たちにもしばしばみられる問題と思われます。
例えば消防、自衛隊、原発の作業員など最前線の人々が、また被災した人々が懸命に災害に向き合っているときに、必要な支援をどこまで真剣に考えてきたでしょうか。安っぽい精神論を持ち出してその場を糊塗してはいなかったでしょうか。

そしてあの新型コロナ感染症に医療従事者が命がけで挑み、多くの国民が歯を食いしばってこらえているときに、この国の指導者たちは何をしていたのでしょうか。

最近のことを申し上げるなら、マイナンバーカード問題で地方公共団体、健康保険の保険者、医療従事者など様々な関係者に、どれだけ大変な御苦労をかけているのか、国民がどれだけ混乱に陥ったのか、本当に理解されているのでしょうか。とりわけ、マイナンバーカード保険証騒動が、国民の生命と健康に甚大な影響をおよぼしかねないことに、気が付いておられないのでしょうか。
気がついていないはずはありません。見て見ぬふりをしておられるのでしょう。

 勇士たちをないがしろにする国家は滅びます。国民を大事にしない指導者はその地位を追われます。この国の中枢にある人々は肝に銘ずるべきであり、私たちひとりひとりが心すべきと思います。

加藤陽子 それでも、日本人は「戦争」を選んだ

【加藤陽子さんの参考記事】

当時自分が生きていたら、と想像してほしいとも授業でお願いしました。 映画監督の伊丹万作は「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と戦後に書きます。そういう人にはならないようにというお願いです。
 民衆が、自国の苦難を他国の悪意の結果ととらえ、「祖国の危機を救え」と訴えたとき、戦争を選ばない為政者はいなかったのです。

――政府は防衛政策の基本方針を示す安保3文書を改定しました。国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3点で、昨年12月に閣議決定しました。
 「3文書を読むと、5年間の防衛費を今の1・5倍以上にあたる40兆円超にまで増額すると書かれていますね。めまぐるしい政策転換です。しかもこの文書は、国会ではないどこかで議論され、国会ではない場で決定されました」

 「このような文書が天から降ってきて歩き出す。それはそもそも異様なこと、おかしいことなのだと認識する必要があります。方針が決められたあとに予算の議論をさせられている現実には何か逆転があると思うべきなのです

政治過程論では、対立する相手方にレッテルを貼ることで自他の集団の利益が象徴的に表されるとされます。まさに今回、任命拒否された学者らを官邸側が『反政府』と位置づけた報道などに接し、現実が学問に重なる瞬間を味わいました。

【その他参考記事】

「ふたり(安部さん・松井さん)とも戦争を体験してない世代なんだよな。戦争に対する感覚がどこか机上の空想みたいな感じなのかな。」

「あっちが武器を持っているから、こっちも同じ武器を持って備えよう」という考え方はとても簡単なんだよな。とても簡単だから、暴力団もヤクザもマフィアもギャングもみんなそうする。相手との関係は暴力の量が基準。その結果ぶつかりあってしまう。
一国の政治家はそんな簡単なことをするために存在するんじゃなくて、もっと難しいことを考えて成し遂げるために存在するべきなんじゃないの?」

「私は瓦礫の下敷きになったり、砲弾で撃たれたりして死にたくない。大空と大地に抱かれて安らかに死んでいきたい。それは本来、人間というものに等しく与えられた権利のはずだ。」

【虎猫銅鑼猫戦争と平和コラム】

虎猫 銅鑼猫(東京カベナント教会会員 社会保険労務士 玉上信明)

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