射撃しつつ前進、がうまくいかないとき
毎日暑くなってきましたね。早くも5月が終わろうとしています。久々の筋トレで全身筋肉痛に見舞われてる rai です。
私は昨日、焦っていました。
デッドラインのあるタスクをいくつか抱えていて、その中にはこのnoteも含まれていました。それなのに、何も集中することができず、一日が終わってしまいました。
そんな日は大体、 Joel on Software の Fire And Motion (射撃しつつ前進) の記事を思い出しています。日本語訳はWeb Archiveから読めます。
Joel Spolskyといえば、エンジニア採用に携わることになった人が一度は読んでいるであろう採用面接ゲリラガイド(Version 3.0)の著者であり、StackOverflowやTrelloを生み出したソフトウェア開発者であり、経営者ですが、そんなスーパーな人であってもやはりまったく何も手に付かない日というのはあるみたいです。
一度集中力を手にしてしまえばこっちのものなんだけど、そこまでたどり着けない。
そんな日でもやることは一つです。
ということで、昨日の自分もいつも通りこの教訓に従い、机の前に座り、ひとまずエディタ代わりのNotionを立ち上げることに成功し、この記事の下書きを書き始めました。
ただ、アウトラインを書いてみたものの、話題が現在進行形だったので結論が中途半端になってまとまらず、一旦打ち切り。気分転換に場所を変えようと出社をし、そこで新しいアウトラインを書き始めたものの、今度は話が整理できず。別のミーティングに出てから戻ってまた書き始めるも詰まって、そもそも誰のために何を書くんだ、これを始めた目的は何だっけ、と原点回帰を始め…そこで目的を再認識して、じゃあ改めて、と書き出そうとしてもやっぱり書けない。
そんなこんなで、書くことから離れて、デッドラインが見えている仕事とは全然別の作業をして、気がついたら一日終わってしまいました。
締切のある仕事が一つも片付いてない!というモヤモヤした気分で職場を離れ、スッキリしないままの帰り道。奥さんと外食しにお店に入ったものの、周りの騒がしさに苛まれて店を出たところで、ふと、普段は気にならないようなことにイライラしていることに気がつきます。
特定の理由を持って怒っているわけではなく、何かに感情をぶつけるようなこともしてないんですが、ただ、いつもより気持ちに余裕がない。
そこでようやく「あれ、疲れているのかな」と思い至りました。
最近、先月からやってるDeep Workなアクティビティの一環として、電気を消してアロマキャンドルとアンビエントなBGMでゆっくりお風呂に入る、というのをやってます。世間では「闇風呂」と呼ばれてるみたいですね。いつものお風呂が面白いぐらい雰囲気変わって、リラックスかつ集中できる時間を日常に取り入れるのにとてもオススメです。良すぎてBGMを流す用のBluetoothスピーカーをいくつか物色し始めてしまったんですが、それはまた別の回で。
家に着いた後、早速この「闇風呂」に入りました。でも、いつもと違って気が散ってしまい、まったく集中できません。考えることが何も思いつかない。周りの生活音が気になる。全然だめだな…とぶつくさ思いながら20分ほど浸かっていたら、ようやく思考に引っかかりが出てきて、最終的には気分も落ち着きました。
まとめると、前日の筋トレの疲労も手伝い、疲れていて仕事にならなかったというだけの話でした。でも、そこに至るまで丸一日、自分自身疲れていることにまったく気付かなかったというのは、マズいなと思いました。
ベッドから抜け出せないほど明らかに疲れていた、とかならまだ気づけましたが、なまじ「エディタを立ち上げる」ことまではできてしまったので、その後の、思うようなアウトプットが出せず、集中力に欠けて焦りと苛立ちだけを内心募らせ、ストレスを溜めて余計疲れる、みたいな負のサイクルをデッドラインに背中を押しされながら一日中過ごしてしまいました。
そんなわけで、
という教訓が自分の中で生まれました。
締切を抱える中、射撃して前進はしつつ、1時間やってもなんか上手くいかない、と思ったら一旦立ち止まって疲れてないか確認してみよう。
早く気づければ、その分効果的な手を打てます。さっさと切り上げて回復に専念した後なら、この記事ももう少しすんなり書けたかもしれません。その時は、まったく別の内容だったでしょうけども。
なお本来の「射撃しつつ前進」は「射撃することで敵の動きを止めてる間に前に進め」という意味なので、射撃しないとやられて死んでしまうんですが、疲れで射撃があらぬ方向向いてもやっぱり死んでしまうので、やはり休むことは大事だという結論になります。なんのこっちゃ。
5月も終わりですね。引き続きよろしくお願いします。