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締切を設定できない病を克服する

突然ですが、私は「締切を設定する」ということに対して異常なまでの抵抗感を持っています。

いや、持っていました。今日までは。

締切を設定することで物事が進むのは理解していて、反対に設定しないことで失敗することも分かっています。その一方で、無理矢理設定しても機能しないことも分かっており、具体例を示すと、「DeployGateのリニューアルを1年後にリリースします」は守られることなく、幾度も再始動を繰り返してしまいました。会社の代表として、プロダクトマネージャとして、まったく素質がないと言っても過言ではないほどの恥ずかしい状況です。

今週も、あるミーティングで「絶対ここまでに終わらせるという締切を設定してください」とメンバーに促され、とても渋い顔をしてしまいました。

しかし、明らかにここには問題が埋まっています。このままで留まっているわけにはいかないので、この失敗を掘り下げてみることにしました。

締切の理由の正当化ができない?

締切を設定することに抵抗感のある理由を洗いだしてみたところ、「締切をその日とする理由の正当化ができない」という理由が浮かび上がりました。

例えば先のリニューアルでいうと、「1年後に」の根拠はなんでしょう?、という質問が出ます。その根拠を突き詰めていったとき、最終的には「次に進むためにはここぐらいまでに終わらせないとマズそう」以上の理由はありません。もちろん市場環境の変化や競合の脅威といった怖いストーリーを仕立てることはできます。でもそれは想像上の未来であり、ストーリーを書く自分自身が作り上げている創作話であって、「それって想像ですよね?」と自分自身を説得することができません。

そうなると、どこまでいっても足場がぐらついている感覚が否めず、自分の中でも「絶対に終わらせるぞ」という気持ちになりきることができません。納得感が薄い状態ではそこに向けて計画を立てるモチベーションも上げられず、どうしてもやりきることができませんでした。

自分で設定して守れている締切

一方で、改めて向き合って振り返ったとき、ふと守り続けることができている締切があることに気付きました。

このnoteを書くことです。

今年の1月に宣言してから毎月締切を抱え、なんとか月内に出そうとギリギリ滑り込みを続けてきています。この毎月やってくる月末という締切、なんなら毎月書くいう設定に明確な根拠があるのかというと、本を引用してそれっぽいことを言っていますが、突き詰めていった先に明確なロジックはありませんでした。

それにもかかわらず、「相当なことがない限りはちゃんとやりきるぞ」という気持ちになり、さて何を書こうと今月も最終日まで考えあぐね、さらには夕方になっても書くことが固まりきらないという焦りをなんとか乗り越え、今こうして記事を書いています。

どうやら、根拠のない締切を設定することが「まったくできない」わけではなさそうです。

何が違うんでしょう。アウトプットに対する期待値が高くないから?締切までの時間が短期だから?やる内容がはっきりしていればできる?少し掘り下げられそうな部分が見えてきました。

本当に抵抗を感じていた部分

抵抗を感じる部分をもう一歩掘り下げてみます。何らかの締切を設定するとき、その内容は大体以下の宣言になります。

(【絶対】に)【未来】に【物事】を実現します

ここで自分は、明示的に書かれているか否かに関わらず、【絶対】という部分に強い抵抗感を感じていました。何故なら、どんなことであろうが、未来について「絶対に」ということは誰も保証することができません。約束できないことをコミットするのは不誠実であり、自分に嘘をつくことのように感じていました。

なぜ書かれてもいない「【絶対】に」をここまで重視していたのか、理由ははっきりしませんが、日常的なコミュニケーションの中でも「締切までに絶対に終わらせるぞという気持ちでやっていきましょう」のような形で出てくるので、自然にすり込まれていったのかもしれません。

ということは、この【絶対】を「相当がことがない限り」と読み替えると緩和するでしょうか?

(相当なことがない限り)【未来】に【物事】を実現します

これは不思議と自分には良さそうに見えます。

自分には。

……自分には?

ここへ来て、もしかして、自分は締切というコミットメントを自分自身の人格と結びつけすぎているのでは?と思い至りました。

締切と自分の人格を切り離す

話は変わりますが、今月はこれまでにない数の顧客ヒアリングをしました。ヒアリングを重ねる中で数多くの発見があり、それ自体めちゃくちゃ重要な機会で、是非今後も続けていきたいと思った一方、ヒアリングの最中に行っている「これ、どうでしょう?」という提案に対しての反応が芳しくなく、最終的にヒアリングを重ねていくことに対して少しずつ及び腰になり始めている自分に気が付きました。

そんな話をコーチングのセッションで話したところ、フィードバックを自分の人格と切り離して考えよう、というアドバイスをもらいました。

確かに、ヒアリング中にもらうネガティブなフィードバックは、間違いなく自分自身の人格に対するものではなく、提案している内容に対するものです。それにもかかわらず、自分が作ったもの(資料・内容)に対するフィードバックということも手伝ってか、どこかで自分自身に対するネガティブなフィードバックとして捉えてしまっているところがありました。

この、あらゆる情報を自分自身と絡めて捉えがちなところが、この締切が設定できないという病にも影響していそうです。

チームを前に進めるためのツールとしての締切

最初の話に戻って、「絶対ここまでに終わらせるという締切を設定してください」と言われたとき、その目的とするところは、自分自身という人間の能力を量るためのコミットメントとしての締切設定ではなく、チームとしてここまでに実現するためには何ができるだろうという議論を前に進めるための締切設定です。

それは自分が宣言したとしても、自分自身を含めたチームで実現していくものです。根拠の説明や内包される意図についても、チームが合意できて、意識を合わせることができるのであればそれで必要十分であり、そこで「締切を設定する」ということの目的は達成されています。

そこに自分自身の人格が挟まる理由はありません。

自分が感じていた最初の「根拠の正当化がー」や「絶対は約束できないー」といった話は、どちらも締切を自分自身という一人の人格が受ける評価と重ねたときの課題でした。

どちらも人格を切り離して考えると、「どこまでも根拠はざっくりなんだけど、チームで実現していくことの議論を前に進めたい」「確度はともかく、宣言することでここまでに実現するための前向きな議論がしたい」という観点で、目的意識を持って設定することができます。そして、自分もチームの一員として締切に向けて動いていくことができそうです。

先月、急に計画を大幅変更することになり、その締切は自分が宣言したものの、実質ほぼ外からのアドバイスでやってきた締切でした。そしてその締切に向けてチームはしっかり動きだし、物事が進んでいます。現在進行形で計画よりも遅れが発生しており締切に影響しつつありますが、この遅れがあるということ自体から、事前に想定できていなかった待ちが発生する部分がある、という、締切が設定されていないと分からなかった学びが得られています。

締切を設定することへの認識が改まり、実際に締切を設定することの効能も見えました。あとは、この学びを活かしていくだけです。

締切を設定するということ

こうして長年悩まされ続けた締切を設定する壁がなくなりました!よかった!万事解決!的な話になりかけていますが、本当にこれですべてが解決したかは、これから見ていくことになります。

以前から自分自身の人格と切り離して思考することについて、時折意識はしていましたが、もう少し意識的に訓練が必要そうです。ただ、出ている影響を認識できたのは大きな進歩だなと思っています。ここから、締切の設定、そして計画と実行がもう少しうまくなっていくとよいなと思います。今後に期待。

今月はそんな感じで。今年もあと1ヶ月やりきっていきましょう!

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