05忘れてしまえるものならば(3)
笹崎の息子は2人いる。長男の太一郎は、海外から健康食品を仕入れて販売する会社の社長をしている男で、恰幅が良く、禿げあがった額はてらてらと油で光っていた。それに対し、入院時にも付き添ってきた次男の直人は、痩せた枯れ枝のような印象の男だった。地域のNPO法人で職員をしているとのことだったが、悪く言えば無口で頼りない、よく言えば純朴、という印象だった。魔法使いの子供たちにしては、思っていた以上に典型的な俗っぽい人間で、亜桜は軽く眩暈がした。それにしても二人で並んでいると、兄弟とは思えないほど似ていない。次男の方が、笹崎の優しい顔に面影が似ている印象だ。
「それで先生、お袋はどうなんだい」
面談室のソファにどすんと腰かけた長男は、タバコを煮詰めたような臭いが強く、亜桜は思わず「うっ」と言って息を詰まらせる。
「もう、安楽死できる条件は整ったんか? そういう話でこちらさんに引き取ってもらったっていう話だったな、直人」
「いや、兄さん。確かに前の先生はそうおっしゃっていたけど、まだここにも今朝入院したばかりだから……」
「入院したばかりだから、どうした? 前の先生がいいって言っていたんだからいいんだろう。そもそも、安楽死はお袋の長年の望みだったんだから。ようやく願いが叶うってことで良かったなあ」
太一郎がそう言いながら直人の背中をばんばん叩く。直人はまた困った顔になってうつむいてしまった。
「あ、あのですね。自己紹介が遅れましたが私、笹崎さんを担当しています望月といいます。それで、安楽死の件ですが先ほど次男さんがおっしゃられたように、まだこちらに入院したばかりですので、しばらく様子を見てから実施することになります」
先ほどまで笑顔だった太一郎の顔が急に曇る。
「しばらく? しばらくってどれくらいだい? お袋はこれまでずっと安楽死を待たされてきたんだからな」
「ええと、国が定めた決まりで『最低診療期間』というのがありまして。なので、私と笹崎さんは今日が初療日ですから、これから3か月……ということになります」
亜桜が毅然と言うと、太一郎は膝をパーンと叩いて立ち上がり、激高した。
「さ、3か月! これから3か月も待たされるって言うのかい」
「決まりですので」
「決まり、決まりってねえ。それくらい何とかなるだろう?」
「なりません」
太一郎はぐぬぬ……と言いながら亜桜を見下ろしていたが、彼女がにべもなく答えるので、不機嫌そうにまたソファに腰を下ろした。
「まずは書類の確認をさせてください。次男さん、よろしいでしょうか」
直人がカバンから一枚の紙を出す。公正証書だ。「私、笹崎今日子は……」から始まり、自分が認知症やがん、その他の不治の病になった際に安楽死を求めることを希望する点、仮に笹崎本人が正常な認知機能を有することができなくなった場合は、長男・次男を代理人として「患者の権利法」の下に本人の意思を遂行することを望む、という旨などが自筆で書かれていた。
「日付は10年前になっていますね。だとしたら、病気とわかる前から安楽死をすることを望まれていたんですね」
「ええ、母は安楽死制度の成立に期待をしていました。母の友人が昔、難病になって苦しみながら亡くなっていくのを見ていたようです。それで母は、最期は楽に逝きたい……ってずっと言っていました」
「だから今! いまがその時じゃないかって言っているんだよ、俺は」
太一郎がいちいち口を挟むので話が中々先に進まない。
「しかしですね。確かに診断用AIで、笹崎さんは安楽死準備状態である『イエロー』と判定されましたが、先ほど食事も全量召し上がられましたし、余命がそれほど限られているとは私には思えないのですが」
亜桜が医師としての見解を述べると、息子二人が同時に「えっ」と言った。
「は、母はまだまだ生きられるということですか? いや、そりゃあ嬉しいですが、食事を食べられたっていうのも……おかしいなあ」
「ふん、あなたみたいな若い医者がね、AIが出した結論より正しい診断を下せるって言うんですかね」
二人の態度に、失礼なと憤りながらも亜桜はつとめて冷静に見解を述べる。
「胃に小さながんがあることは事実です。しかし、あの程度のがんでそこまで急に食事が食べられなくなることは考えにくいのです。もちろん、介護施設で食べられていなかった、ということは事実のようですので、これから少し時間をかけて、本人を観察したり、時には検査を追加していきます。そのための入院ですので、また後日、様子についてお伝えいたします」
亜桜が軽く頭を下げると、息子二人は困った顔を見合わせた。
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