医師は司祭から降り、死は社会へ還る
8/23に開催された、SNS医療のカタチTV。そのセッションの中で漫画家のおかざき真理さんは、「医師と僧侶は本来同じところにいたはず」という話をしていた。
それは、事前に公開されていたインタビュー記事の中でも同じことを話されていた。
本来は、医療も宗教も、人に寄り添うものだと思います。私が漫画『阿・吽』(小学館、11巻続刊)で描いている平安時代は、仏教が医療までカバーしていました。もともと近いはずのものです。
その話を受けて、「死についてどう考えるのか」という問いに、ヤンデル先生は
「しかし医師はその(その向こうに死の世界が広がる)山の稜線を超えず、山の内側にある生の世界のことを考える」
という話をし、そして飛高和尚は
「死は、それきっかけにして生を考えるもの」
という話をした。
科学の進歩と時代の変化に伴ってその袂を分かっても、出てくる結論がほぼ一緒というあたり。確かに本質的には医師と僧侶は同じところから始まっている、というのも頷ける。
しかし、だからこそなのか。日々死に触れる医師は、「宗教者的なふるまい」に回帰することがしばしば求められ、そしてまた自らもその範を超える。
おかざき真理さんが先のインタビューで語っていたことだが、現代は「死が実感できない時代」である。
バブルの影響がまだ少し残っていた頃、死の匂いはできるだけ隠されていました。人が死を実感できなくなっていた世代と言われていたんです。
死は病院の中に隠され、多くの人は自分の家族が病を得たりでもしない限り、人が死にゆく過程を目にすることはない。そして仮に、家族の死を目の当たりにしたとしても、それは「死が日常にある」ということとイコールではない。
そしてそれは医師も同じだ。医師を目指す若者は、他の若者と何も違わない。普通の人間である。その普通の人間が、それほど多くの死の現場に立ち会うでもなく、また死に対する教育を受けるでもなく、医師という資格を手にした途端に「死に向かう現場」の切り盛りを任される。
そこで、死を見ないようになる医師もいる。生が続く限り、死を見る必要はないわけで、できる限りの手段を講じることで死から目を背ける。20年ほど前は、それが医師の常識だった。そしてそれが多くの悲劇を生んできたことは周知のことだ。
一方で、死を見つめ続けるがあまり、自らの中に宗教性を芽生えさせてしまう医師も少なからずいる。しかし、宗教者としての修行も、導いてくれる師もいない中で独自に育てた宗教性は、医師としての権力と結びついて、危うい方向へ患者・家族を導くことがある。
「人はこのように死んでいくべきである」
「私がこの患者を救ってあげなければならない」
と。ある意味それは「祀り上げられて」いるのだとは思う。患者からも、家族からも、そして医療スタッフからも、無意識の中で。多くの人が「信仰している宗教はない」と言うこの国において、病という事象が関わった時のみ、病院は救いの殿堂になり、医師は教祖になりやすい構図が現代にはある。
僕はいまこういう時代だからこそ、
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