SNS医療のカタチでボツになった…「生と死のコミュニケーション」
2020年7月26日に、SNS医療のカタチONLINEでライブ放送された「今日、僕らと死の話をしよう」。
たくさんの反響を頂き、ありがたい限りだったが、その影で「ボツ」になっていた企画が実はあった。
このSNS医療のカタチへの出演オファーを頂いたのは4月末。僕は嬉しかった。毎回欠かさずにライブで視聴するくらい、この企画のファンだったから。
喜び勇んで2週間。全てを差し置いて準備に没頭。発表のためのスライドと、僕には珍しく読み原稿も用意した。
それを大塚先生(ボス)へ送ったところ、
「スライドは無い方がいいですね」
と、あっさり却下。
「西先生はお話が上手だから、スライド無しでのフリートークでもいけると思います」
という、ムチャ振り。いやいや、これまで出演されていた先生方、全員きれいなスライドご用意されているじゃないですか・・・。僕だけ徒手空拳でというのは殺生な・・・。
と思ったのですが、それから2か月、頭をひねって生み出したのがあの講演だったのだ。できあがってみたら、確かに元の内容よりも今回の方が圧倒的によかったとは思う。その意味では、試練を与えてくれた大塚先生(ボス)をはじめとしたSNS医療のカタチの先生方に感謝を申し上げたい。
でも、せっかく作ったスライドもどこかで供養してあげたい。
「じゃあ、noteで」
と思い立ち、載せてみる。
マガジン「コトバとコミュニティの実験場」ご購入の方々、僕と一緒に日の目を見なかったスライドたちを悼んでいただければ嬉しいです。
まず最初に、みなさんに考えてもらいたいと思います。みなさんが、ある人から相談を受けるわけですね。「彼はどうして、いなくなってしまったのでしょうか」というね。これに対して、皆さんなら何と答えますか?
いかがでしょうか。
これね、僕が先日刊行しました『だから、もう眠らせてほしい』に出てくる登場人物のセリフなんです。大切な人を死によって失ったというね。でも、みなさん先ほど僕に「何と答えますか?」と問われて、いろんな場面を想像したと思うんですよ。恋人との別れかもしれないし、友人が失踪したのかもしれない。
今日の話は「生と死のコミュニケーション」ですけど、死に関係なく、「何か・誰かを喪う」って生きていれば日常にあふれているはずなんです。今日はそこから話をはじめます。
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