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SNS医療のカタチONLINE Vol.12「今日、僕たちと死の話をしよう」台本

2020年7月26日、SNS医療のカタチONLINEで行われたライブ放送。僕は「今日、僕たちと死の話をしよう」というタイトルで、人生会議とネガティブ・ケイパビリティの話をした。
そのとき「演劇」の手法を使ってZOOMプレゼンをするという、ちょっとした工夫をしてみた。これからの時代に僕らがオンライン講演会をもっと面白くしていくために。
演劇には台本が必要だ。僕がどんな台本を準備して本番に臨んだのか、それをここで公開する。少しでも誰かの参考になって、もっと面白い演出が生まれてくれたら嬉しい。

(小道具)
・カード:ライオン、「死」、パズル、「人生会議」、「ネガティブ・ケイパビリティ」、「負の能力」、「ポジティブ・ケイパビリティ」、シェイクスピア、紫式部、PR用カード2枚
・ドリンク
・書籍:『だから、もう眠らせてほしい』、『ネガティブケイパビリティ』

①世界で一番偉大なコトバを発明した人の話

 何だと思いますか?「世界で一番偉大なコトバ」って。ちなみにこれは僕が考えたことではなくて、作家の開高健さんが講演でおっしゃっていたことだから聞いたことあるひとがいるかもしれない。

 答えはね、「ライオン」だって開高さんはおっしゃっている。僕はこの話を聞いて、なるほどなと思ったんですけど、つまり「ライオン」というコトバが生まれる前は、あの獰猛で、鋭い牙をもっていて、一瞬で我々の命を奪っていく混沌とした恐怖の固まりだったわけですよ。
 それがね、「ライオン」ってコトバを生み出して、その混沌の固まりに名付けた瞬間に、そいつは一瞬で「ネコ科に分類される獣」って、僕らの意識の中で取り扱えるものに変わってしまったわけです。

 他にも偉大なコトバを生み出した人がいますよ。それは「夜」という言葉を作った人。

(暗転)
 このような闇って、人間にとって根源的な恐怖だったんですよ。それを、「これは夜だ」ってコトバを当てはめてしまったことで、僕らはこの闇を「夜」として取り扱えるようになっているんですね。
(ここまで)

 そうやって、僕らの先人たちは、何千年もの時間をかけて自己の内にある心と外にある世界に立ち向かえるように、苦しみながらもたくさんのコトバを生み出して、世界に白黒をつけてきたんですよね。

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②では死というコトバは?

 ここからは僕の考えですが、死もね、もうそれはすさまじい恐怖だったと思うんですよ。だから、この現象に「死」というコトバを当てはめた人は、やっぱりすごいひとだったんだろうなって思うんです。

 でも、でもですよ。「死」については、やっぱり「ライオン」とは違うと思うんです。「死」はね、そのコトバを当てはめても取り扱えるようにならなかった。だから先人たちは、極楽浄土って概念を作ったり、それを絵や物語で表現したりしながら、なんとか「死」というものを取り扱えるように格闘してきたという歴史が見えてくるんですよね。でもやっぱり、「死」って誰にも取り扱えるようにはなっていないと思うんです。それは現代においても。

 そこで、ライオンと死の違いって何だろうなって考えてみたんですけど・・・まるで一見、ライオンも死も、もともと似たような「混沌とした恐怖の固まり」ではあるんですけど、それはやはり「この世にあるものと、あの世のもの」っていう大きな違いがあると思うんです。
 僕らは逆に、「死」というコトバを生み出したがゆえに、それを取り扱えるような錯覚を抱いてしまっているんじゃないかと。
『だから、もう眠らせてほしい』の中でも、最初の方で僕が「これが死か」と、2回口にする場面があって、まるでわかった風につぶやいているけど、何がわかったんだい?っていうね。その時僕の目の前にあったのは、「ご遺体」であって「死」ではないはずなんですね。

チャット:ちなみに、その2回出てくる「これが死か」って、1回目と2回目では表現が異なるんですけど気づいた人いるかな?

 じゃあ、死とは何か?ということになるんですけど、僕はよく人生をジグソーパズルに例えたときに・・・って話をします。ちょっと目を閉じて想像してほしいんですけど、
(目を閉じてもらう)
 あなたはそのジグソーパズルを一枚一枚、埋めていくわけですよね。毎日毎日、一枚一枚・・・。そのピースには幼いころの風景もあれば、恋人と過ごした記憶もあるかもしれない。一方で挫折や、別れといった哀しい景色もあるでしょう。そして、最後のピースが埋められる穴・・・それが「死」だと思うんです。
(目を開けてもらう)
 その最後のピースが入ってパズルが完成した時には、もう死という穴は見えていないはずなんです。つまり、生の積み重ねの先にしか、そのパズルの穴のカタチはわからないわけですよね。

チャット:そして僕ら側にはそのパズルの絵が遺される。

③ここで僕は人生会議の話をします

 人生会議、ご存知でしょうか?
 厚労省が積極的に進めていこうという取り組みで、人生の終末期において、人が最後まで尊厳を保ちながら生きられるように、前もって受けたい医療やケアの内容について、大切な人や医療者と話し合っておくプロセスのことです。専門用語ではAdvance Care Planningと言いますね。
 でもこれが、やっぱり「死」についてフォーカスして語られ過ぎだと思っています。例えば、人生会議と言えば「人工呼吸器つけるかつけないか」「胃瘻作るか作らないか」「最期はどこで死にたいと思っていますか」みたいな話をすると、医療者ですら思っている。でもね、それはやっぱり違うんです。
 それは、先人たちがずっとやってきたように、「死に向かっていくプロセス」に対しても白黒つけたい、はっきりさせておきたい、っていう僕らの欲望の表れでしかないと思うんですね。だけど、そのゴールである「死」が取り扱えない概念である以上、それに向かっていくプロセスも、「はっきりさせる」ことなんてできないはずなんです。だから人生会議は、「最期はどこで死にたいと思っていますか」を明らかにする作業ではなくて、死に向かっていく本人の言葉を集めながら、ゴールが見えない曖昧さに耐えながら、今日もパズルを埋めようってことだと僕は思うんです。

チャット:本人の言葉をみんなで集めるということが大事

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④いま大事なのはその「曖昧さに耐える力」

 今日一番大事な話をします。
 それは「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉についてです。日本語では「負の能力」なんて言い方もします。ものごとを明らかにして、解決していく能力を「ポジティブ・ケイパビリティ」と呼び、それに対して、曖昧なものを曖昧なまま宙ぶらりんにして、その宙ぶらりんになったままの状態を耐えうる力のことを「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼びます。
 ぜひこの『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を読んでほしいのですが、この言葉は19世紀のイギリスの詩人、ジョン・キーツが、シェイクスピアの文学の中に見出した概念だそうで、日本では紫式部の源氏物語などでもこの概念が扱われているそうです。

 例えば、がんの終末期の患者さんに「こんな状態では生きている価値がありません、もう死なせてください」って訴えられた時に、どう答えるか。下手したら「そんなこと言わずに頑張りましょう」とか「つらくないようにお薬を変更しますから」とか言ってしまうんでしょうけど、それって完全にポジティブ・ケイパビリティなんですよね。
 かといって、教科書に書いているような「死にたいくらいおつらいのですね」って言うのもなんか違うと思うんです。
 僕はたぶん、そこで何て言うかというと「いや~、そうですよねえ・・・」とか「そう思われますか~」って言うと思うんです。すっごい悩みながら。問題は何も解決しないし、結論もでないんですけど、そうやって一緒に悩みながらベッドサイドに居続けられるってことが大切な時もあるということです。

チャット:それが唯一の答えということではないですよ。後でまた言います。

 僕らは、世界にコトバが生まれてから、ありとあらゆるものに名前をつけて、白黒をはっきりさせてきました。そしてそれは、混沌とした世界に対峙する、僕らの脳が欲することでもあったんですね。でもその結果、僕らは曖昧というものに向き合う能力を著しく低下させてきたともいえるんです。

「もう死なせてほしい」っていうほど重たい問いではなくても、世の中に答えが出せないことなんて山のようにありますよね。それに対して僕らは、無理に答えを出そうとしてきました。
 学校でも、ポジティブ・ケイパビリティを育てることばかり訓練される。その結果、例えば「自分の知り合いががんになった」っていうときに「がんに効く水」とかを勧めたくなってしまうんだと思うんです。世界には、何か問題をきれいに解決できる「答え」がどこかにあると思ってしまうから。でも、曖昧さに耐えられるネガティブ・ケイパビリティを育てていくと、そういう人生が少し楽になると僕は思っています。
 この『だから、もう眠らせてほしい』の中でも、誰が、とは言いませんがこのネガティブ・ケイパビリティを発揮している場面がたくさん出てきますし、一方でその曖昧さに耐えられない苦悩も描かれています。ぜひそういう視点でも読んでいただければ嬉しいです。

 ひとつ、注意してほしいのは「がんになってつらい」って言われたときに、「そう思われますか~」って答えるのが「正しい」ってことじゃないですよってこと。そういうふうに、すぐに「答え」を求めてしまうのがポジティブ・ケイパビリティなので。答えを出さないことが答えとも限らないということです。

 今日みなさんは「ネガティブ・ケイパビリティ」という「コトバ」を知りました。それを知ったことで、「ライオン」や「夜」と同じように、「答えの出ない曖昧さ」に対峙する力を得られたと思います。ただこれは、皆さんの中にそのコトバが「入った」というだけで、これからその能力をどう育てていけるかは皆さん次第です。
 曖昧なものを、曖昧なままにしておいて、その不安定さに耐える。そういう視点があるだけで、少しだけ楽になる場面がきっとあると思います。このコトバを大切にしてほしいなと思います。
 ありがとうございました。


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西智弘(Tomohiro Nishi)
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