08その瓶は死を待っているのか(1)
夏浅し夜、「SAKE・CAFÉ」には今日も淡い橙の灯がともる。
小さなステージではTシャツ姿の若いギタリストが弾き語り。
そしてそのカウンターには並んで座る、亜桜と朔人があった。
「亜桜ちゃん、こちらの方は?」
店長の飯島春香が、亜桜の注文した『旭穂』純米吟醸を徳利から注ぎ、尋ねてきた。
「知りません。勝手についてきたんです」
亜桜が不機嫌そうに答えると、飯島は少し目を見開いたあと、うふふと笑って朔人にも同じ酒を注ぐ。
「あら、じゃあ君はストーカー君ってことかしら」
「そうですね。20年もののストーカーです」
朔人も笑顔で答える。
「あら、よく熟成されていること。まあうちは、お金さえくれれば何だっていいんだけど」
「ちょっ……飯島さん!」
朔人と飯島が仲良く「かんぱーい」とやっているので、さすがに亜桜は拗ねた。
監査医の五十嵐から「国家認定緩和医、失格」の烙印を押され、真っすぐ自宅に帰る気になれなかった夜。晨と貴子には悪いが「遅くなる」と連絡して商店街をぶらぶらしていたところ、朔人に見つかってしまったのだ。
「あ、亜桜。奇遇だね」
「え、あー奇遇……。じゃあね」
「ちょっと待ってよ、それだけ?」
「行くところがあるのよ」
今日は正直、誰とも話したくなかった。そう考えながらAIウォッチをだらだらと繰っていたら、「SAKE・CAFÉ」で新しいお酒が入荷されたという情報が回ってきたのだった。確かにこんな日は、飯島の店でひとり、ちびちび酒を飲みながら、誰かもわからないミュージシャンの温い音楽を聴く、なんてのもいいかもな……と思っていたのに。元カレで今は担当患者の朔人なんて、今日は思い出したくもなかった。
「ああそう。僕も実は行くところがあるんだ」
そう言って朔人は、亜桜が進む方向についてくる。亜桜が立ち止まると、朔人も止まる。亜桜が歩き始めると、朔人もまた歩を進める。
「……なんでついてくるのよ」
「だから、僕も行くところがあるって言ったじゃない」
朔人の笑顔に亜桜はイラっとしたが、怒鳴り飛ばす元気もなく「勝手にすれば」とだけ言ってスタスタ歩いた。そうして「SAKE・CAFÉ」に着いた時には、「うわー、こんなお店があったんだね。僕知らなかったよ」なんて朔人が言うものだから、「せめて最後までウソはつき通しなさいよ……」と小さくツッコミをいれた。
すっかり意気投合した朔人と飯島が語る横で、亜桜はふてくされてカウンターに転がっていた。
「亜桜も一緒におしゃべりしない?」
朔人が時折誘ってくれたが、亜桜はすべて無視して酒を舐め続けた。朔人はその様子を眺め、飯島とのおしゃべりも止めて静かに酒に口をつけ始めた。飯島も調理に戻り、聞こえるのは包丁の音と、遠くの席で話す二組の客の小さな声。そしてギターが奏でるのは、もう100年近く前の洋楽……それを若い男の流暢とは言い難い声で聴く。そのアンバランスで滑稽な曲が、今日の亜桜には心地よかった。
「やっぱり、ここはいいわ」
それは独り言のようでも、朔人に話しかけるようでもあった。朔人は静かに亜桜の声を受け止めて飲み込む。
――こんな風に静かに、誰かが隣にいてくれたのっていつぶりだろう。
亜桜は酒杯の底を見つめながら、横目で朔人の白い顔をみる。
*
高校を卒業した後一度だけ、朔人と会ったことがあった。
父が亡くなった年の正月、20歳を祝う会のあとに高校の同窓会があった。亜桜にもお誘いが来ていたが、そのときはそれどころではなく不参加。しかし、そのメンバーたちが「来年の新年も集まろう」と計画してくれたおかげで、亜桜は高校の時の唯一といってよかった友達・三上紗菜から連絡を受けて参加できることができたのだった。
最初、亜桜は断るつもりだった。友達どころか知り合いも少なかったし、最後の年はまともな高校生活も送れていなかったので話も合わないのではと思った。
――そもそも、同窓会みたいに「過去を懐かしむ」イベントなんて、何の意味があるのかしら。たまたま同じ年に生まれただけ、たまたま同じ高校に通っただけの関係に、感慨なんて抱きようがないものじゃないの。
それでも参加する気になったのは、「クラス会」ではなく「学年会」として企画されていたからだ。
それならもしかしたら朔人に会えるかもしれない。
蛇のキーホルダーを見るたびに「いまさら」、「いまさら」と思い続けていたが、こんなに長く「いまさら」という想いが浮かんでくるのなら
――それはもう一度話したいということなのでは?
この気持ちにだけはケリをつけておくべきだと思ったのだった。
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