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#リターンズ①:余命を伝えるということ

この文章は、2017年に別のブログで書いていた内容を一部加筆・修正してお届けするものである。
今回取り上げたのは「余命の告知」について。2017年に発刊した『残された時間を告げるとき~余命の告知Ver.3.1(青海社)』を書店で見かけることもなくなり、また前のブログへのアクセスもほとんどないため、こちらへ引っ越しさせたものである。コンテンツ自体は今でも意義が大きいと思っている。

「自分があと何年、この世で過ごすことができるのだろうか」
 と考えたことがある方は、どのくらいいるだろうか。
 多くの方は一度くらいは考えたことがあるのではないか。しかし、それを日常的に考えながら過ごしている方となれば、数はぐっと少なくなるだろう。

 ではそこで、想像してみてほしい。

 突然あなたの前に現れた誰かが
「あなたに残された時間はあと3か月です」
 と告げるということを。その時あなたはどのように感じ、そしてそれを告げた人物に対し、どのような感情を抱くであろうかということを。

「余命を伝える」ということは、医師にとっても難しいコミュニケーションのひとつである。
 それにもかかわらず、それを学ぶ場というのは限られている。患者や家族との対話の中で、医師は日々試行錯誤しながら「我流」を身に着けていかざるを得なかった。
 もちろん、その「我流」でうまくコミュニケーションが取れる医師もいた。しかし一方で、患者や家族を傷つけ、絶望の淵に追い込むような言葉しか身に着けてこられなかった医師もまたいたのである。

 僕はそんな状況を憂いて、『残された時間を告げるとき~余命の告知Ver.3.1(青海社)』を2017年に上梓した。余命の告知だけに特化した、医療者向けの教科書である。

 あまり知られていないことかもしれないが、コミュニケーションにも「エビデンス」がある。抗がん剤治療に「標準治療」があって、○○療法を行えば何%の効果が見込める、といったデータがあるように、コミュニケーションについても「"AAA"という文章を用いたコミュニケーションは、"BBB"という文章を使うのと比べて、患者・家族に与える印象がこれだけ異なる」といったエビデンスだ。これまで「我流」のコミュニケーションが横行していた医療現場に、きちんとしたエビデンスに基づいたコミュニケーションを広めるための試みだった。

 ただ、医療者は忙しい。
 標準治療のエビデンスを学び、日々の診療で実践していくだけでもいっぱいいっぱいなのに、さらに「余命の告知」なんてニッチな領域の教科書を買って、読む、なんて余裕はないよ、という方もいるだろう。
 だったら、せめてマンガだけでも読んでくれないか!
 と考えて、漫画家のこしのりょうさんに依頼して、「余命の告知あるある:3つのストーリー」というのを描いてもらった。
 さらに、青海社とこしのりょうさんのご厚意で、このマンガ部分はずっとWeb上で無料公開されている。

 ぜひもう一度、noteでも多くの方にこのマンガを見てほしい。
 特に、余命の告知に関わる医療者に。

 ひとつめのストーリーは、典型的な「ダメな告知の例」。
 でも、こういった告知の仕方が、いまでも日本中で行われている。
 どこがダメなのか、見てみよう。

山田孝規さん(68歳 男性)

 山田さんはもともと、神奈川県内で酒屋を営んでいた。
 しかしあるとき、長引く咳のため近所のクリニックを受診したところ、右肺に腫瘍を指摘された。
 都内の大学病院を紹介され、肺癌と診断され手術を行ったが、その1年後に肺内に転移再発。その後2年間ほど、抗がん剤治療を続けてきたが、1週間前に撮影したCTで肝転移が出現。山田さんは体力も低下し、食欲も落ちてきていた。
 主治医は、「これ以上の抗がん剤治療は難しい」と判断し、抗がん剤治療は打ち切ることに決めた。そして、この大学病院には緩和ケア病棟はないため、今のうちに地元へ帰って過ごすよう勧める方針とした。
 本日は外来で、本人・奥様(62歳)が同席の上で、今後の方針について主治医から説明を行う場面である。

マンガ1-1
マンガ1-2

 ここでのポイントは、余命を告知する医師のなかで、悪意をもってこのようなことを言う人はほとんどいないということ。
 このマンガでも
「残された時間を正確に把握して有意義に使った方がいい」
「抗がん剤でこれ以上体力を落とせば、やりたいこともできなくなってしまう」
「その決断のためには厳しい現状をきちんと伝えないといけない。だから余命も正確に伝えるのだ」
と主治医は考え、「善意のつもりで」伝えている。

 他にも、このように余命を伝える医師側の思いとしては、
「求めがあれば本人の個人情報としてきちんと開示すべきだ」
「海外や他の病院でも、そう伝えるものと聞いた」
「適切な時期に緩和ケアを受けてもらうために、残された時間の短さを自覚して、早く転院してもらったほうがいい」
といったものがある。

 しかし、それでもこのマンガの場面の後、実際に緩和ケア科に紹介になった患者は、緩和ケア医に対して
「余命は『半年』ってバッサリ言われちゃいましたよ、ハハハ…」
 と、冗談めかして告げたり、
「もう『半年』しか生きられないっていわれて…。好きなことをやれと言われても、そんな気分になりませんよね…」
 と涙を浮かべながら語られたり、ということが起きる。
 医師は良かれと思って告げているのに、患者の方ではそう受け取られていない、そういった食い違いが問題点となるのである。

 では、どのように伝えていくのがよいのか?それとも、そもそも余命なんか伝えない方がいいのか?
 その点については、また次回に見ていくことにしたい。

 次回記事は、こちら。

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