05忘れてしまえるものならば(9)
「まず、望月さんが笹崎さんの担当になった経緯についてから、お話しいただけますか」
――えっ、そんな最初からなのか。
てっきり、太一郎とケンカになったあたりから聞かれるのかと思っていたのだが。
亜桜がゆっくりと、笹崎が入院になった日からのことを、思い出しながら話し始める。そして、息子二人に面談した際のくだりへ。
「で、そのとき笹崎さんの息子二人はどんな様子でしたか」
「えっ……二人の様子? ええと、長男さんはずっと尊大で、すぐに頭に血が上るって感じで、次男さんはおどおど、というかそわそわした感じでしたかね」
「最初の入院の際、2回面談をされていますよね。両方ともそんな感じでしたか」
「そうですね……長男さんは変わりませんでしたけど、次男さんは2回目の時の方が落ち着きがなかったでしょうかね」
その後も、面談の際に息子二人が何を言ったか、今回の入院の際に言い争った内容は何か、その時の二人の様子などを細かく聞かれた。
――何か、変だ。
亜桜は段々と、この取り調べが何のために行われているのかわからなくなっていた。そもそも、亜桜自身のことはほとんど聞かれない。普通、こちらが訴えられた側なのだから、いかに「患者の権利法」に違反していることをしてきたか、といったことを尋ねられそうなものだが。
――あれ、そもそも裁判で訴えられた時って、刑事が直接取り調べに来るものだっけ?
「望月さん……?」
質問への回答が止まった亜桜を、郡司が訝し気に見る。
「あ、はいすみません」
「質問を続けてよいですか」
「は、はい。……刑事さん、ちょっと私からも質問して良いでしょうか」
「ええ、何でしょう」
「私、訴えられたんですよね? 今日はその取り調べでいらっしゃっているんですよね」
郡司は切れ長の細い目を、少し見開いた。
「訴えられたって、誰にですか」
「え、笹崎さんの長男さん……?」
「望月さんは訴えられてなんていませんよ」
亜桜の胸の奥から「はっ?」という音が出て、腰が少し浮き上がる。郡司は斜め後ろを振り返り、制服の警察官と目くばせをして頷く。
「笹崎さんの息子さんはね、逮捕されたんですよ」
亜桜の息が詰まる。えっ、逮捕? どういうこと。
「……長男さんがですか」
「いえ、次男の直人のほうです」
「へっ? なぜ」
状況がまったくつかめない。郡司は狼狽する亜桜をじっと見つめていたが、ゆっくりと口を開く。
「望月さんね。今回、笹崎さんが入院になったのって、施設の車から転落したって話だったでしょう」
「え? ええ、そうですね。救急隊からそう伺いました」
「それ、次男が仕組んだことだったんですよ」
「……どういうことですか」
「逮捕された次男、笹崎直人は母親の介護施設に恋人がいたんです。で、その恋人と結託して、母親がなるべく早く死ぬようにと画策してたんですね。ああ、目的は単純で、金です。笹崎家は、市内でも有数の資産家だってご存知ですか? 次男もその女も、借金があって生活する金にも困っていたそうですよ。それで早く遺産が欲しかった……と」
亜桜は口をあんぐりと開けて、郡司の話を聞いていた。あの純朴そうな次男からは、信じられない話だ。
「それで、笹崎さんは安楽死を希望されてたでしょう。その制度を利用して、合法的に早く笹崎さんを死なせることができないかと考えたんですね。それで最初は、女の方から『食事を早く下げてしまえば、食べられなくて弱るかもしれない』って次男に言い、そこから一連の計画が始まった。まず、食事量を意図的に減らして、体力を落とした。でも、かかりつけの医者のところでは安楽死できない、ってことだったから、次男は転医をするつもりだったらしい。そしたら偶然、胃がんが見つかって、ここに紹介されることになった。次男はラッキー、と思ったそうだが、まあ今となってはアンラッキーだったかもですね。こんな頑固な医者がいるなんて思ってなかったでしょうから」
郡司がふふふと笑ったが、亜桜は笑えなかった。
「それで、あなたが笹崎さんを元気にしてしまって、さらに介護施設に『笹崎さんにつきっきりで食事を見守る』という指示を出したでしょう。あれですっかりやりにくくなってしまったようなんですね。それで『骨折でもすれば一気に弱るんじゃないか』って考えた。そして、車に移乗するときに、笹崎さんの車いすのストッパーを意図的に外した……。まあ、そんな足がつきやすい方法を選択する発想は幼稚ですけどね。それだけ追い詰められていたんでしょう。介護施設の同僚が、次男と女のやり取りを立ち聞きして施設長に報告して、警察に連絡があった、ということです」
「はあ……。でも、そんなことするなら長男さんの方が怪しいと思ってしまいました。長男さんの方が安楽死を焦っていたみたいだったので」
「長男は長男で、母親の死を待っていたんじゃないですかね。現に、彼はもう会社が倒産し、行方不明です」
「はっ?」
「夜逃げですよ。1年ほど前からギリギリの経営状態だったようですね。それで、長男も母の遺産を狙っていた、と私は読んでいます。そう考えるなら、焦っていたという意味では長男のほうが切実だったのかもしれませんね。まあ次男とは全然別の動機ですし、口裏も合わせていなかったようなので共犯関係ではなさそうですが。父親が違うとかで、もともと兄弟仲も良くなかったそうですし。一応、行方を捜してはいますけどね」
亜桜は呆然とした。あれだけ一生懸命なのも、法定代理人として母親の意思を守るために必死なのだろう、とばかり思いこんでいた。それが、二人してそんな思惑があったとは……。
「望月さんは、その様子だと長男の話も、次男の話も存じ上げなかったということですかね」
郡司が鋭い目を向けてくる。
「ええ、伺って驚きました。ある意味、母親思いの息子さんたちなのかと思っていて……」
亜桜が胸に手を当てながらそう言うと、郡司は「ふん」と言って立ち上がった。
「はい、よくわかりました。捜査へのご協力ありがとうございます。こちらとしては、望月さんが共犯……という線も考えたんですけどね。AI判定でも確率は10%以下……。まあその可能性はなさそうですね」
「は? 私が共犯? そんなはずないじゃないですか」
郡司の思いがけない言葉に、亜桜は顔をしかめる。
「ははは、だってあなたは国家認定緩和医でしょう? 人を殺すのが仕事じゃないですか。だから長男か次男かの意図を汲んで、笹崎さんを殺すのに何らかの協力をしていた、ってシナリオだってありえたわけですよね」
「……ちょっと、失礼じゃないですか」
亜桜もすっと立ち上がって郡司を睨みつける。
「おや、怒られるということは心当たりがあるということでしょうか。人を殺せば国から金がもらえる。それは事実です。だとしたら、良からぬ考えをもつ医者がいつ出ないとも限らない」
「私はそんな医者ではありません。国家認定緩和医であることに誇りを持っていますし、それは『人の命を大切にする』という医者の本分から離れたものだとは思っていません」
「ああ、ご高説ありがとうございます。そんな話、もう耳でタコが踊るくらい色んな医者から聞かされましたけどね。私は、国家認定緩和医なんてものは一片たりとも信用していませんから。いつか必ず、あなたたちを検挙してあげます」
郡司はそう言い捨てると、制服の警察官に「行くぞ」と声をかけ面談室を出ていった。亜桜は爪の跡が残るくらい手を深く握りしめた。直前に聞いた笹崎家の逮捕劇のことなど、すっかり頭から抜けていた。
「ええーそんなことがあったんですか! 私もぜひ立ち会いたかったなあ」
夕方になり出勤してきた赤垣は、怒り心頭だった亜桜から事の一部始終を聞かされた。同情してほしくて話したはずだったのだが、赤垣の瞳は「なんて楽しそうな」と言いたげにキラキラ輝いていた。
「なんで凪さんが立ち会うのよ」
「えーっ。私、刑事モノ好きなんですよ。『特撮警察24時!』とか、小説なら『神崎寂州シリーズ』とか。知ってます?」
「……知らない。興味ない」
亜桜はすっかりふてくされて、カルテを書く作業に戻った。
「あはは、亜桜先生怒らないでくださいよ。あの刑事は、以前から有名人なんですから。岩田先生とか運野先生も、毎回もっとすごい嫌味言われているんですよ」
「よく耐えられるわ」
亜桜はふうっとため息をつき、眉間に皺を寄せ目を閉じた。
「先生、どうかしました?」
赤垣が亜桜の顔を覗き込むと、亜桜は目をつむったままで、答える。
「いや、笹崎さんにどうやって話そうかなと思って。長男さんは夜逃げ、次男さんは逮捕。もしかしたら生きている間には、もう二人に会えることはないかもしれない。しかも、その理由が遺産目当てに母親である自分を早死にさせようとしていたなんて……。そんな事実を、どうやって伝えればいいか……」
「うーん、そうですよね。笹崎さんには真実を知る権利がありますからね」
「あえて伝えない……っていうのはどうなのかな」
「そういうわけには、いかないんじゃないですか」
「うん……、そうね。そうよね」
亜桜はゆっくりと目を開けて、先ほどカルテに入力した「子供たちが困るじゃないですか」の文字列を見た。
国家認定緩和医・望月亜桜。まだその手で安楽死を施行したことはない。
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