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8:もし未来がわかったなら

 Yくんは、キャンプから無事に帰ってきた。

 キャンプから2週間後、外来に現れたYくんは、いつもの笑顔で、
「本当に行けて良かったです。子供たちも喜んでくれて。先生のおかげで、食事も少し食べられるようになったし、元気も出たような気がします」
 と言った。
 右腕の麻痺も、まだ起きてなかった。放射線治療の効果はきちんと出ているようだ。
「あの子供たちは、やっぱり僕のこころの支えですね。秋になったらまたイベントがあるんです。その時、また会おうねって話をしていて」

 僕も笑顔で話を聞いていた。
 Yくんの瞳は、以前よりも黄色味を増している。肝臓の機能は確実に落ちている。また、検査ではお腹に水がたまり始めているのも確認されており、「腹膜播種」という、癌細胞がお腹の中に散らばってしまっている状態だった。

――先日、奥さんにだけ来てもらって、詳しい病状を伝えた。
「本人にはどう伝えるべきだと思いますか。僕は迷っています」
 と正直に奥さんに伝えたところ、奥さんは下を向いて
「言わないと、ダメですか」
 という答えを返してきた。
「普通は、本人のことだから、本人に伝えるんでしょうか」
「そうですね、本人に伝えるのが普通です」
「でも、彼はこれまでも、あまり悪い話……というか未来の話を聞きたがらなかったですよね」
「ええ、いつもはぐらかされていました。だからこうやって、奥さんだけに来ていただいたのですが」
「だったらそれが、本人の気持ちじゃないですか」
「うーん……」

 Yくんは、「今ここ」を生きる人だということは、以前からわかっていたことだ。
 でも、看護師になりたいという夢や、キャンプの子供たちと過ごす時間など、未来のことを考えていないわけじゃない。それに、奥さんと過ごすこれからの時間も……。僕は医師として、知りうる情報をきちんと提供しないと、Yくんが望む生き方に影響するんじゃないだろうか、と悩んでいた。
「彼は」
 と奥さんが話し始めた。
「彼は、看護師になりたいって言っていました。私もそれを応援して、これまで来ました。でも、もうその夢を叶えることはできないということですよね。それでも先生は、これまで彼が夢に少しでも近づけるように先回りして考えてくださったと思います。この前の放射線治療もそうですし、キャンプのこともそう。私たちに、早いうちから暮らしの保健室を紹介してくれたことが、本当に支えになったと思います」
 僕が、Yくんに提案してきたことが、この局面において大きな力になっていると奥さんは教えてくれた。
 医者が患者や家族にできることは、薬を処方することだけではない。暮らしの保健室や、それを通じた社会資源、今回で言えばキャンプといった「人とのつながり」を処方することも、その人を元気づけるのに意味があることがある。

 こういった、薬ではなく「人とのつながり」で人を健康にしたり、孤立を防いだり、生きがいを取り戻したりする方法は「社会的処方」と呼ばれている。「がんになった方々は、いろんなものを喪って孤立していく」ということを嘆いていた及川が、イギリスでの社会的処方という記事を見つけて僕に教えてくれたことから、暮らしの保健室がつなぎ役になって、患者さんに最適な地域資源があれば、つなげていこう、という仕組みを作ってきた。
 その取り組みが、少しでも役に立つようになってきたのであれば、これは嬉しい。及川も、きっと喜ぶだろう。だけどそのつながりが、Yくんの予想しない形で断ち切られるのは、やっぱりよくないのではないだろうか。
「わかりました、奥さん。でもね、僕はやっぱりYくんにもう一度聞いてみたい。実際の自分の状況について知りたいかどうかということ……。それだけでもまずは確認させてもらえませんか」
「まずは確認だけ……」
「そうです」
 奥さんはふーっと大きく息を吐いた。
「わかりました。でも、彼が何と言うか……難しいような気がしますけど」

――という会話を、先日したばかりだったのだ。

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