10-2:10日間の涙(後編)
(前編から続く)
ラインを引く
カンファレンスが終わってすぐ、担当する看護師と一緒に、吉田ユカの病室を訪れた。ユカはやや緊張した面持ちで、ベッドに起きて座っている。
「カンファレンス終わりましたか」
「ええ」
僕と看護師は椅子を持ってきて、ベッドサイドに座る。
「それで、どうなったんですか。今日から眠れることになったのでしょうか」
僕は少し沈黙をおいてから、彼女の目を見て、ゆっくりと話し始めた。
「カンファレンスの結果としては、少なくとも本日の状態で鎮静の対象となるような医学的適応はない、という結論でした」
ユカの顔が一気に固くなる。
「もっと、ボロボロになってからじゃないと、眠らせてもらえないということですか」
僕は目をそらさずに、
「いや、そうではないです。毎日、僕たちの方で体調を評価させていただき、『月曜日と同じくらいの身体症状になった場合は』鎮静の適応として、僕らと吉田さんとで相談して決めましょう」
と伝えた。
そう、これが「身体的苦痛を軸に議論する」ことと同時に僕が考えた「もうひとつの戦略」だったのだ。つまり「月曜日くらいのつらさ、という状態にラインを引く」ことで、落としどころを意識させる、という作戦だ。
他人のつらさを数値化するのは難しい。でも、過去に見たその人のつらさの程度なら理解できる。だから僕は最初からユカの「月曜日のつらさ」を強調した。そこがギリギリの落としどころだろうと考えたのだ。基本的には「今日眠りたい」という点を主張しながらも、それに反対するスタッフの口から「月曜日の状態ならともかく」という言葉を引き出し、それに譲歩する姿勢で、
「では、いまは薬で緩和されている症状が、月曜日と同じレベルでまた再燃した場合は、再度カンファレンスを開くことなく、鎮静を初めても良い」
ということに対する言質をとって、カンファレンスを終える形にもっていったのだ。
もちろん、ユカたちにとってそれは満足いく結果とは言えなかった。
「たしかに、吐き気は月曜よりは良くなっていますが、それでも今日だけで5回は吐いています。意識は朦朧とするし、のども乾くし、体力も大きく落ちてしまって、トイレに行くのもできなくなりそう。これらが大きな苦痛です」
と言いながら涙ぐんだ。
「24時間、いつでも要望を伝えてもらっていい。僕は月曜日の状態のところにラインを引きました。あれは吉田さんは『耐え難い苦痛だ』とおっしゃった。僕も看護師も、それを知っています。だからそれと同じ状態がきたら、もうその時はいつでも始めましょう」
と僕が言うと、ユカは顔をあげ、
「24時間いつでもいいのですか?」
と聞いた。僕が頷くと
「それはちょっと良かった。24時間いつでも、眠らせてほしいと言えるというのが安心できる。月曜日始めた薬がもう2日でしょ。これまで先生にやってもらった薬、どれも効いたけど3日くらいで全部効かなくなった。だから今の薬も明日くらいで効果が無くなりそうな気がするから」
と言って表情が和らいだ。
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