しばらくは文を書いて、血を抜かなくてもいいんだろうか。
この文章は、電子書籍『キナリ杯2020』の出版によせてかいたものである
子どもの頃から、本が好きだった。
いや、子供の頃から本にしか友達がいなかった。
潮くさい田舎で、同級生は外でどろんこになったり、ゲームの話で盛り上がったりしている中、僕はひとり教室で本を読んでいた。たまに誘われて同級生の家に遊びに行っても、そこの棚に見たことのない本を見つけると、遊びに来た目的も忘れてずっと読んでいた。その家の子が、他の子たちと外でサッカーを始めても、僕はひとりその子の部屋から出なかった。
「西くんも、みんなと一緒に遊んできたら?」
と、その家のお母さんが心配して声をかけてくれても
「いえ、僕は大丈夫です」
って、目も上げずに返す。息子のいない部屋に、息子の友人がひとり。大人になったいまなら、そのお母さんの不安そうな顔の意味もわかる。でも、当時の僕にとっては本と自分の世界がすべてだった。
当然のように、僕はいじめられた。
ニワトリが先か、タマゴが先か、みたいな話だ。子どもの世界において、その空気に融けていけない僕のような子は、はじき出されて当然だった。
結果的に、もっと深く本の世界に潜るようになった僕は、そこに身を隠すことによって何とか生き延びて来られたのかもしれない。
僕がその世界から「表現」を始めたのは、小学校の高学年になってからだったろうか。茶色の線で枠が引かれた真新しい400字詰め原稿用紙に、僕は自分が潜っている世界のことを書いた。
僕にとって「表現」は、「自分の体外に出さずにいられないもの」だった。「作品を作ろう」とか「良い文章を書こう」とかではなく、ただただ「手を動かしてこの体内に積もっていくものを文字にしないと、自分の心が死ぬ」というある種、定期的な排泄行為、身を切って血を棄てていくことに近かった。
誰にも見せるはずのない、僕だけの世界でのコトバだった。
でもある時、その原稿用紙は母と姉に見つかった。よかれと思ってのことだろう。何か「褒められるような」感想を言われた気がする。僕の世界の中に「想い」を投げ入れようとした。でも僕にとってそれは、こちらの世界に対する「侵略」だった。
僕はその原稿用紙をすぐに全て捨てた。
大人になって、医者になって、たくさんの人の死と接するようになって。僕と本だけだったその世界には、様々な人の想いが降り積もるようになっていった。
喜び、楽しみ、悲しみ、怒り。
それらで埋もれていく世界にはある意味の心地よさはあった。一方で、子どもの頃に過ごした「純粋な」孤独の世界に還りたいとも思う。結果的に、棄てる血が多くなった。入ってくる「想い」に比例してその血を抜かなければ、孤独には還れないと思っていた。
でも歳をとって、守るものもできて、しがらみも増えて、もっとたくさんの人の想いが降り積もるうち、この世界を純粋に戻さなくてもいいか、と思うようになった。
この世界にある悲しみや怒りを、少し余裕をもって眺められるようになって、そして初めて「人に『表現』を褒めてもらいたいな」と思えるようになった。自ら、世界の中に想いを導き入れられるようになった。
その結果で応募した「キナリ杯」で、僕は入賞し、たくさんの人に褒められた。もう「侵略」だとは感じない。
いずれ僕もまた死に向かって孤独になっていくのだ。それまでの間、また本と僕だけの純粋な世界に還るまでの間、もう少し緩やかに血を抜いていってもいいのかなと思う。