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07屈辱(3)

 夫、長谷川蓮と出会ったのは、あと数年で20代が終わるという初冬だった。
そのころ亜桜は、川崎市から頻回に届くメールに辟易していた。「婚活パーティー」とか「街コン」とかの通知である。社会的孤立対策だか何だか知らないが、パーソナルAIを通じて、個々人の興味がありそうなコミュニティ活動やイベント情報などを自治体が中心となって送ってきているのだ。ひとり暮らしの高齢者であれば「囲碁サークルのお誘い」や「NPO法人で一緒に活動しませんか」なんてメールが届くらしい。メールを届かないようにするためにはパーソナルAIごとオフにする必要があるが、行政手続きや生活上の細々したことを代替してもらえる「ウィズAI」生活を手放すのも嫌だった。もっとも、赤垣のように「パーソナルAIって、生活が便利になるってうたい文句ですけど、言うなれば個人のコントロールを機械とか他人に任せるってことじゃないですか。自分の知らないところで、付き合う人もカテゴライズされて、自分ではない何かから操作されているかもしれないなんて耐えられませんね」と言い、AIフォン自体を嫌って普通の携帯電話を選択している人も、少数ながらいる。
その当時の亜桜は20代後半の独身で、彼氏ができても長続きせず、友達と呼べるのも高校時代から付き合いのある三上紗菜に年に数回会うだけ。毎日、職場と実家の往復ばかりで、たまの息抜きは行きつけの居酒屋……という生活だったので、パーソナルAIから「生涯未婚予備軍」としてカテゴライズされているようだった。当たっているが、余計なお世話だ。通知が届くたびにイラっとしてすべて削除、削除。
 しかし、その日AIウォッチに届いたメッセージは、亜桜の手を止めた。

「幻の日本酒を飲む会」

 なんて魅惑的な響きだろう。幻の! 日本酒! 気になるではないか。政府の策略に乗っかってまんまとコミュニティに参加するのも癪なのだが……。
むむむ~としばらく逡巡したあげく、亜桜は参加ボタンを押した。まあ対象は全年齢だし、これまで数多く届いてきた「婚活」みたいなものとは違うだろう。こんな渋いイベント、若い人もそんなには来るまい。おじいちゃんやおばあちゃんとのトークなら慣れている。仕事モードで乗り切り、幻の! 日本酒! を堪能できればいいか、と亜桜は考えてAIウォッチからの映像を閉じた。

 会場となっていたのは、古くから川崎にある神社の会館だった。酒屋の店主がマイクを持ち、玄関からの寒風をぴゅうぴゅう浴びながら来場者を案内している。亜桜は少し遅れてきたので、会場はもう一杯だった。
「すみません。申し込みをしていた望月と申しますが、もう座る場所ないでしょうか?」
「ああ……あそこ空いているかな。どう? OK? じゃあお嬢さん、あっちで手を挙げてる帽子のおじさんの隣に座ってくれる」
 お嬢さん、なんて言われる年でもないんだがなと思いつつ、笑顔で手招きしているおじさんの隣まで、座っているお客さんたちにぶつからないよう縫って歩く。
「いやあ、こんな若い女性が来るなんて珍しいねえ」
 青いハンチング帽のおじさんはもう飲み始めているらしく、既に顔が真っ赤だ。
「あら、この会って今日初めて開かれるのではないんですか?」
 亜桜が尋ねると、おじさんは顔の前で手を軽く振った。
「いやいや、毎月定期的にやってるんだよ~。でもね、普段はじいさんばあさんばっかりさ。今日は前田さん、気合入れたんかもな」
「前田さん、ってあの酒屋の店長さん?」
「あーそう。みんなもう馴染みだからねえ。そっちに座っているのが、ほら商店街に『フルーツ・フォレスト』って店あるしょ? そこのおかみさんの結城さん。こっちが『SAKE・CAFÉとどろき』の飯島さん。そんでそっちが駅前のパン屋のおやじ」
「なんで俺は名前呼んでくれないんだよ!」
 パン屋のおやじが激しくツッコミを入れると、周囲にいたみんながギャハハと笑う。
「俺は汚いおやじには興味ないんだよ」
「おめーだって汚いおやじだろうが!」
 またもどっと笑いが起きる。どうやらこのハンチング帽おじさんはこの会の中心メンバーのひとりらしい。
「あのう、ところでお名前は……」
「おう俺か? 俺はなあ~、競馬と酒で身を崩し、流れ流れて三千里、北の国から川崎にたどりついた、加藤洋二と~申します。お見知りおきを!」
 妙な節回しで加藤が自己紹介をすると、周りから拍手が湧いた。
「おう、ところでお嬢さんの名前も聞いてなかったな」
「あ、すみません。私は望月といいます。よろしくお願いします」
「望月……。下の名前は?」
「亜桜です」
「アオ? 変わった名前だな」
「よく言われます」
「よし、亜桜ちゃんまずは一杯やりなよ」
 加藤はテーブルの上にあった一升瓶をつかむと、亜桜の前にあったグラスになみなみと注ぐ。
「え、あのいいんですか? もう始めてて」
「いいんだよ、これは振る舞い酒さ」
 よく見ると、『四芳梅』の吟醸である。こんないいお酒を飲み放題のように出す会なのか。
「ほら、そっちのお兄ちゃんも一杯やりなよ」
 加藤が亜桜の奥に瓶を向ける。加藤の勢いにのまれて気が付かなかったが、亜桜の逆側にはがっしりとした体格の若い男性が座っていた。
「あ、はい、どうも……」
「兄ちゃんも、美味しい酒目当てで来たんだろう? 今から舌を滑らかにしておかないと、『めいんでっしゅ』をよく味わえないぜ」
 加藤がガハハハッと笑いながらドボドボと酒を注ぐ。
「あなたも、初めてですか?」
 亜桜が尋ねると、その青年は困った顔で笑いながら頭を掻いた。
「ええ、パーソナルAIでここの案内が出て。月曜の夜っていうのにちょっと抵抗はあったんですが、幻の日本酒だっていうので興味があって来てみたんです」
「あら、私も一緒です。いつもはあんなメール、全部消してるんですけどね」
 亜桜と青年は目を見合わせて笑った。
「ところで、あなたお名前は?」
「ああ、長谷川です。長谷川蓮っていいます」
 よろしく、と言ってグラスを合わせると、ふちからこぼれ落ちた雫がぽたぽたとテーブルを濡らした。
「おいおい、あんまりテーブルさんに呑ませるんじゃねえよ~」
 加藤が手酌で『四芳梅』を継ぎ足しながらつっこむ。その声にまた、周囲にいたメンバーが笑った。

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西智弘(Tomohiro Nishi)
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