#ずいずい随筆⑰:高僧とボケとツッコミ
先日お会いした臨床宗教師・Tさんから伺った興味深いエピソード。せっかくなのでそのエピソードを脚色して物語にしてみました。登場人物や内容はほぼフィクションとしてお楽しみください。
Tさんが数年前に出会った60代男性のノジマさんは、最近東京へ引っ越してきた方だった。
生まれてからずっと関西で暮らしてきたが、進行性のがんであると診断され、娘さん夫妻と一緒に暮らすためだという。
抗がん剤治療なども行ったが、効果も乏しくなり、体力も徐々に低下。
「娘に迷惑かけたくないねん」
とのことで、緩和ケア病棟を紹介されて、入院となった。
「残されている時間は、もう1か月くらいだと思います」
と、主治医は娘さんに告げた。
「本人には、伝えないでください」
娘さんは涙をこぼしながら、主治医にそう返した。
妻と離婚してから30余年、男手ひとつで娘さんを育ててくれた本人へは、つらい話は聞かせたくなかったという。
ノジマさんは緩和ケア病棟に入院したのち、症状も落ち着き、穏やかに過ごしているかのように見えた。
「とても気さくに話しかけてくれて、こちらが元気を頂いている感じよね」
と看護スタッフも笑いあった。
しかし、一方でノジマさんは日に日に元気を失っていった。
いつしか、看護師に自ら話しかけることも無くなってしまった。
「ノジマさん、最近どうしたのかしらね。お話もあんまりしなくなってしまって」
「うつ病かしら。先生に診ていただかないと」
と、看護師たちはささやきあった。
そんなある日、
「ちょっと、話を聞いてもらいたいねんけど」
と、その日は珍しくノジマさんの方から看護師に話しかけた。
「なんのお話ですか?」
と看護師が返すと、
「ええとな・・・。ちょっと・・・」
ノジマさんは口ごもった後に、
「このままな、もう少ししたら俺の人生もおしまいかと思うたらな、何かちょっといろいろと聞きたくなってな・・・」
と言った。看護師は、
「そうでしたか。不安になるのは当然ですよね。今日、ちょうど心理士さんがいらっしゃるということなので、せっかくだから彼女と話してみてはいかがでしょう」
と返すと、ノジマさんはわずかに看護師の眼を見つめ、床に視線を落とした。
「そういう話は、心理士さんに聞いてもらうのがいいわよね」
「彼女はそういうお話、得意そうだもの」
と看護師たちは期待していたようだが、心理士との面談はノジマさんのお気に召さなかったようで、
「もう、あの人との話はええわ」
とのことだった。
「あの人の話が聞きたいんじゃないねん。俺が聞きたいんは・・・」
と言って、ノジマさんは口ごもる。
看護師も困ってしまって、
「そうだ、時々いらっしゃっているTさんって関西の出身って伺ったから、もしかしたら話が合うんじゃないかしら」
という苦渋のひと言で、Tさんが呼ばれたとのことだった。
*
「あんた、坊さんなんやって?」
そうです、とTさんが答える。でも、ここでは布教とかをするわけではないんですよ、と前置きをおいてTさんが
「今日はなんの話をしましょうか」
と尋ねると、
「そうやな・・・」
ノジマさんは少し考えて、
「あのな、××県の△△寺に昔いた偉いお坊さんでな、○○さんっていう方なんやけど、あんた知っとるか」
「ええ、お名前くらいは」
「俺の生まれたところでは有名なお坊さんでな。子どもの頃から親とか、学校の先生とかからよく話を聞かされたんや。お寺に行ったことも何度もある」
そこまで話したところでTさんの方に首を向け、
「そのお坊さんの話をしてくれ」
と、告げた。
そして次の面会の時、Tさんは○○という高僧についての文献を調べて会いに行った。
「ノジマさん、じゃあ○○さんのお話をしましょう」
と告げて、調べてきたことを訥々と話した。その内容は、その高僧が歩んだ時代背景を交えつつ、修行の途中で病によって聴力を失い、そんな苦難と向き合いながらもいかに悟りと救世の道を歩んでいったかという、整った物語に仕上がっていた。「後学のために」と同席した心理士も、大きく頷きながら話に聞き入っている。
しかし一方で、ノジマさんの表情には何の変化もない。ひと通り話し終わったところで、
「あんなあ。そんな話は、もう全部知ってんねん」
と、ノジマさんは言った。
「では、どんなお話がお聞きになりたかったのですか?」
Tさんがそう問いかけると、ノジマさんは少し間をおいて
「あのな、○○さんって、耳が聞こえへんかったんやろ」
「そうですね」
「死ぬ時まで、誰の声も聞けなかったんやんか」
「はい、そうですね」
「それってな、怖くなかったんやろうか」
そこでYさんは少し考えて、
「いや、きっと怖かったんじゃないでしょうか」
と答えた。すると、ノジマさんの顔がぱっと明るくなって
「そうか!そんな偉いお坊さんでも、やっぱり怖いもんなんや。悟りを開いているなんて言うてもなあ・・・。いやーよかった、俺てっきり自分が『こわいこわい病』になったんじゃないか思うたわ!」
といって笑った。
そこまで聞いて、Tさんは
「ああ、この人はずーっと『ボケ続けて』いただんろうなあ」
と思ったという。
死が自分に迫ってくる怖さ。でも周囲は自分に気を使ってか、誰も何も教えてくれない。怖さから逃れようと、ずーっと周囲に対して「冗談めかして」思いを告げていたにも関わらず、「面白いことおっしゃいますね」で済まされる。この「こわいこわい病」の話だって、もし相手がTさんじゃなかったら
「そんなに怖がることはないんですよ」
とか
「不安になるのは当然ですよね」
って、一見受け止められているような、でも流されている感じの話で終わったかもしれない。
そこに「ツッコミ」が入るのを、ノジマさんは求めていたんじゃないだろうか。
「なに言うてるんですか、そんな病気あったら僕の方が怖いですよ!」
「ほんまやな!わははははは!」
そんなやりとりがその後も続き、傍らにいた心理士は茫然と立ち尽くしていたそうだ。
「私には到底、あんなかけ合いはできません」
と、後日その心理士はTさんに述べたという。
Tさんは、このエピソードを通じて
「関西の人にとって、関東の人たちとの会話ってリズムが違うんじゃないかなと思うんです。普段とか、ビジネスの会話なら気にならなくても、病気によって死が差し迫っている心理のときは、そのちょっとした違いが、人を孤独にすることもある。関西・関東に関わらず、その人が生まれ育った環境って、本当に大事だなと思うんです。だから、緩和ケアが日本全国どこでも受けられる体制を整備していくことってとても大切なんだなと改めて思いました」
という気づきを得たのだという。
緩和ケアにおける「環境のもつちから」は往々にして軽視されがちだ。
仕事の都合などで実家を離れた子どもが、病気の親を引き取るというケースは多い。しかしそれは、その本人にとって、長年かけて体を護ってきた衣をはぎ取られるリスクがある。地元の友人や住み慣れた家、というわかりやすい喪失のみならず、言語やコミュニケーションのリズム、土地が持つ香りや季節の移ろいの色といった細かい変化も、病を得て心身が摩耗した状態ではいちいちダメージとして響く。
そしてそれは緩和ケアの現場だけの問題なのだろうか?
環境のもつちからに、もっと注目すべきだと最近よく思う。
それはエコとか日照権とか、そういったものだけじゃなくてね。
僕ら一人一人だって、誰かにとっての環境なのだ。
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