02亜桜と朔人(3)
「亜桜先輩は、どうして金沢先輩と付き合わないんですかー?」
演劇部のナントカ君の件で険悪だった先輩たちが去り、亜桜がキャプテンとなったバスケ部で、後輩の今川環希があっけらかんと尋ねてきた。
「何のことかしら。今はストレッチ中だから静かにね」
「はーい、ごめんなさーい」
亜桜にぴしゃりと押さえつけられて、環希はまた黙々と脚の腱を伸ばす作業にもどる。しかし15秒ほどで「でもですね、先輩」と、再び声をかけてきた。
――こらえ性というものがないのかしら。
「あのね環希。朔人君とは付き合うとか付き合わないとか、そういう関係じゃないのよ。彼とは親同士が仲いいだけで……」
「でも、よく図書室とかで一緒にいるじゃないですか。先輩って、他人に興味なくて友達も少なそうだから、誰かと一緒にいると目立つんですよねー」
環希はさらっとひどいことを言う。
「失礼ね。友達くらいたくさんいるし」
亜桜は平静を装い強がって返したが、そのウソはさすがに環希にツッコまれた。
「えっ。あまり見たことないんですけど、例えば誰ですか?」
「ほ、ほら吉田さんとか」
亜桜は遠くでボールの用意を始めていた副キャプテンを指す。
「陽菜先輩ですかー? でも、陽菜先輩ってテニス部の琴音先輩たちのグループじゃなかったでしたっけ。それに、亜桜先輩と部活以外で話しているの見たことないです」
ぐうの音も出ない。というか、先輩たちの友人関係をそこまで正確に把握している環希の方が怖い。
「……ともかく、朔人君の親が用事を子供に頼むんで、彼はそれを持ってきてくれているだけよ」
「でも、一緒に帰っているのを見た人もいるって」
「時々でしょ。帰り道が一緒だから、たまにそうなるだけよ」
「はあ」
環希は、納得いかないという顔で亜桜を見る。
「それに」
「それに?」
「誰かと付き合うとか、今は考えられないから」
「えー、何でですかー?」
――何でどうしてって、幼稚園児か。
「そんなの決まっているでしょ、えっと……」
実際には、男子と付き合ってみるということに興味がないこともない。朔人君は……いい人だとは思う。頼りないけど、優しい。話も合うし、一緒にいても楽だった。彼とだったら、もしかしたらこれまでの友人たちとは違った関係を築けるかもしれない。それに、彼の少し茶色がかった薄い瞳、透き通るような白い指を見ていると、繊細なお人形がそのまま動いているみたいで、その美しさに目がひかれることはあった。
――じゃあ、朔人君にもし万が一いま告白されたら……?
「ちょっとー、先輩?」
環希はもうストレッチも終え、亜桜の答えを待っていた。
「え? ああ、ごめんごめん。考え込んでて。とにかく、いま私にはうちの部が関東ブロックの代表になる、って目標の方が大事なのよ。キャプテンになったばっかりで、誰かと付き合っている場合じゃないわ」
「えー、部活と恋愛は別だと思いますけどお……」
なおも引き下がらない環希に、亜桜はさすがにイラっとした。
「うーん、環希ちゃん? それほど口が回る元気があるんだったら、足も同じくらい回るわよね。じゃあシャトルラン――」
「あっ、ごめんなさい先輩。私、フットワーク苦手で……ちょっと勘弁……」
「5本ね」
「ゲッ」
環希の顔が歪む。
「フットワークはバスケの基本よ。苦手とか言っている場合じゃない! はい、スタート」
周囲でやり取りを見ていた部員から「うわー」「かわいそー」という声が上がる。
「あなたたちも、何見ているの? はい、シャトルラン5本。どうぞ」
「えーっ!」
「鬼!」
「環希! あんたのせいだからね!」
ブーブーと文句を言いながら部員たちは走り出す。亜桜も続けて、フリースローライン目がけて跳んだ。今は、これでいい。友達もろくに作れない自分が恋愛なんて、考えている余裕はない。でも、心の隅から先ほどの問い――朔人が万が一告白してきたら、という声がささやいてくる。ええい、うるさいうるさい。
「4本目! あと1本、気合い入れて!」
亜桜は大声を出して、そのささやきをかき消した。もうほとんどシャトルランの体を成していない部員たちを、見るに見かねてというところもあったけれども。
*
「僕、亜桜ちゃんのことがずっと好きでした。付き合ってください」
3年生、夏の終わりの林間キャンプ。最終日にはお決まりのキャンプファイヤー。その灯りに照らされた湖畔で、亜桜はその白い肌をもっと白く染めた朔人にあっさりと告白を許した。遠くに生徒たちの声が霞み、二人の沈黙がゆらゆらと湖面を揺らす。亜桜はついに、ふうっと小さな息を吐いた。
「いいよ」
亜桜が水面を見つめたままで答えると、朔人は彫像のように固まった。
「えっ? いいの?」
「いいって言ったじゃん」
朔人の顔が喜びとも、照れとも、恐怖とも違う、複雑な感情に崩れた。
「何? 振った方が良かった?」
「い、いや。絶対振られると思っていたから、なんか意外過ぎて」
「……」
「亜桜ちゃんも僕のこと……」
と言いかけて、朔人は首を振った。
「いや、何でもない。これからよろしくね。僕、亜桜ちゃんに好きになってもらえるように頑張るよ」
亜桜は、遠くの火に照らされて上気する朔人の顔を見つめながら「そうね」と小さな声で言った。
「じゃあまず、ひとつお願いを聞いてほしいのだけど」
「何?」
亜桜は再び湖面に視線を落とした。
「これからは亜桜ちゃん、じゃなくて……亜桜って呼んでくれる?」
「う……うん、あ亜桜」
ぎこちない朔人の笑顔を見て、亜桜もくすっと笑った。
亜桜は「きっかけをくれてありがとう」と心の中で言った。これでもう朔人を苦しめなくて済む。「彼女」として、朔人と手をつないで堂々と歩いていけばいい。朔人のことは好きだと思う。でも、大人が言うような「愛している」という感情かどうかはわからない。こんなに冷静で、ほっとして、穏やかな気持ちになるのが恋愛なんだろうか? 小さく小さく打ち寄せる渚をじっと見つめながら、亜桜はそんなことを考えていた。
「じ、じゃあ亜桜。僕はそろそろ寝るね」
「うん、おやすみ」
お互いのテントに戻り、寝袋にもぐりこむ。他人と付き合うということ。これから考えていけばいいか、と思った。
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