見出し画像

9:少し先の未来がつむぐもの

 Yくんの具合が少しずつ悪くなっていったとき、吉田ユカもまた、体調を崩してきていた。
 元々のユカと約束した外来日はもう少し先だったのだが、電話で予約を取り直したらしい。朝、外来予約一覧で彼女の名前を見つけ、「ついに来たかな」と僕は思った。
 外来に現れたユカは、以前に会ったときよりさらにいっそう痩せていた。長く歩くことは難しく、外来のベッドで横になって診察を待っていた。

「先生、もう限界になりました」
 と、ベッドサイドに来た僕に彼女は言った。
「前回の外来から、できる限り楽しいことを見つけながら過ごしてきました。ほら、先生の本を読んで、そう思って。でも、もう限界です」
「もう限界だと、感じているんですね」
「そうですね。食事をとっても、吐いてしまうことが多い。お腹は張っていますが痛みはないんです。ただ、背中が痛みます。今は何とかトイレには行けています。でもそれもすぐにできなくなりそうで……。だからそろそろ……」
「そろそろ?」
「終末期の鎮静について御相談したいと思って来ました」
 やはりその相談か、と僕は言葉に詰まった。
 たしかに、ユカの体調の変化や、病状を考えると、残された時間がだいぶ短くなってきていることは確かだ。短い付き合いではあるが、彼女のこれまでの背景や考え方を踏まえれば、「もう眠って過ごしたい」という希望もわからなくはない。ただ、これから入院して一緒に看ていくスタッフはどうだろう。Aさんのときのことが頭をよぎる。

「私たち看護師も、今日彼女や夫が転棟してきたばかりで、お二人の思いや人となりすらわかりません。それなのに、今日眠らせてしまうというのには賛同できません」

 あのときスタッフが言ったこと。それも当然の思いだ。そして、Aさんの時は結局、鎮静を半ば暴力的に押し進めてしまったがゆえに、Aさん本人も、夫も、そしてスタッフも、みんなを傷つけることになった。それを繰り返したくはない。

「もう、今日入院したいということで良いですね」
 僕はユカに尋ねた。
「はい、そのつもりで来ました」
「それで、入院したらもう眠ってしまいたいというご希望ですか?」
「そうですね。できれば」
 僕は、うーんと言った後、沈黙した。Aさんの時のような失敗を繰り返したくない。その医療者の思いを、ユカを傷つけない形で、どうやったら伝えられるのだろう。言葉を、探していた。

ここから先は

3,569字 / 3画像

¥ 100

スキやフォローをしてくれた方には、僕の好きなおスシで返します。 漢字のネタが出たらアタリです。きっといいことあります。 また、いただいたサポートは全て暮らしの保健室や社会的処方研究所の運営資金となります。 よろしくお願いします。