やさしさの中に研究がつまっている#deleteCリレー連載 (8/8)
「息が・・・息が苦しい・・・」
薄暗くなった緩和ケア病棟のベッド。息が詰まるような苦しさに、男性は目を覚ました。
彼は肺がんだった。気管という、口と肺をつなぐ空気の通り道が腫瘍によって狭くなり、咳がひっきりなしに出た。この緩和ケア病棟に入院したのは2週間前。咳と、がんによる痛みが悪化したためだった。
主治医たちの懸命な治療によって、何とか咳はおさまり、痛みもよくなった。もうそろそろ退院・・・という話も出ていた数日前から、今度は息苦しさが強くなってきた。息がうまく吸えない。
「放射線治療をしたほうがいいかな」
と主治医は言った。退院は延期になるらしい。それは仕方ない。今の状態で自宅に帰っても、生活するのは難しいだろうから。
放射線治療はすぐに始まった。でも、苦しいのはすぐには良くならない。
「放射線治療は効いてくるまでに少し時間がかかるんだよ」
という説明を主治医から聞いた。
説明されて納得はするけど、苦しいのが良くなるわけではない。ああ苦しい・・・と感じていたその時、担当の看護師さんが様子を見に来てくれた。
「飯村さん、息が苦しい感じですか?」
その看護師さんの温かな声に少し楽になる。
「息が楽になる薬を使いましょうね・・・。先生が、新しいお薬を出してくれたから。それに、少し窓を開けましょう。秋の涼しい風が流れていますよ」
と、看護師さんから新しいお薬をもらう。それを飲むと確かにこれまでよりも楽になってきた。そして風・・・風が顔に当たると気分がいい。見ると、看護師さんが団扇で少しあおいでくれていた。
「風が気持ちいでしょう。楽になるまでもう少しここにいますね」
「ご家族がいる時だったらこうやってあおいでもらうのもいいですし、あとは小さい扇風機とかも楽になりますよ」
と話し、その看護師さんは、ほほ笑んだ。
医療は研究のあつまり
さて、このお話を読んで、みなさんはどう思われただろうか。
なんてきめ細やかなケアをしてくれる看護師さん・・・!心優しい看護師さん!って思っただろうか。
僕が専門としている緩和ケアは、がんや治療に伴う苦痛症状を様々な薬やケアの技術によって緩和する領域だ。病による痛みを癒し、生活を支え、孤独を抱える方のかたわらに寄り添う・・・。それは時に「病院という場所において、もっとも人間的な、血の通ったケア」などと称されることもある。
でも実は、「このケアの内容もすべて研究で『良い』とされているから、している」と知ったら、皆さんは驚くだろうか。
そもそも皆さんは、「研究」というものにどういうイメージを抱いているだろうか。
実験室でフラスコを振っているイメージ?
マウスを相手に新薬を作っているイメージ?
マッドサイエンティストの人体実験?
うん、最後は違うけど、研究=実験室みたいなイメージはあるかもしれない。でも実際には、僕ら医療者が行っていることはそのほとんどが「研究に裏打ちされているもの」と言って過言ではない。研究は実験室だけで行われているのではなく、日々の臨床だってすべて研究の対象なのである。
例えば、手術の技術を比較する研究なんていうのもある。胃がんにおいて胃を全部切り取るのと、半分だけ切り取るのとで、どちらが長く生きられるか、みたいなね。「神の手」が生み出した世界でここだけの治療、なんてものがあるわけではない。
それと同じように、緩和ケアも研究からできている。さっきの例であげた「風を当てると息苦しさは楽になるのか」っていう研究もあるし、「椅子に座ったほうがコミュニケーションが向上する」という研究もある。またコミュニケーションの中身について「どういう言葉を用いるのが、患者さんや家族を最も傷つけないか」ということを比較する研究なんていうのもある。だから、主治医や看護師さんが普段かけてくれた心温まる言葉というのも、それは「研究で良いとされているもの」だったりするということだ。
やさしさの中に研究がつまっている
そう聞いていくと、みなさんは落胆するだろうか?
「あの時かけてくれた優しい言葉も、研究でつくられたマニュアル的な言葉だったのか!」
みたいな。
でもね。僕は知ってほしいんだ。
医療者があなたにかけたその言葉も、先人たちが積み重ねてきた研鑽の成果から
「いまのあなたの状況において最適なひとこと」
を選び出しているっていうことを。
それができるのは、その膨大な研究から得られた知見を、医療者が日々勉強し、先輩から後輩に伝え育てているからだってことを。それもすべて、いま病気を抱えた「あなた」に少しでも良くなってほしいという、過去何万人という医療者たちの思いなのである。
もう少し言えば、研究に裏打ちされた緩和ケアというのは信頼の証でもある。だって、例えばさっきの場面で「息が苦しい」って訴える彼に対して「鼻にアロマオイルを塗ってみたらいいかも!これまで誰にもやってみたことはないんですけど、なんかいい感じしません?」
って看護師に提案されたらイヤだろう。
僕らのやさしさの中には研究がつまっている。
そしてその研究を進めるためには少なくないお金が必要なことも事実だ。
deleteC、この取り組みをぜひ応援してほしい。あなたのちょっとした支援で、僕らのやさしさはまた少しだけ強くなれるから。
※付記①
緩和ケアにおける研究も進歩したことで、10年前とは様相がガラッと変わった。10年前では取れなかった痛みが、今では簡単にとることができる。研究の進歩は偉大だと、現場にいると実感する。そしていずれ自分が病気になったとき、今よりもさらに症状が楽に緩和できるのだろうと考えると、本当に安心できるのだ。
※付記②
冒頭に出てきた「飯村さん」はどうなったかって?その後、放射線治療がよく効いて緩和ケア病棟から退院し、また抗がん剤治療に復帰した。そしてその新薬がとてもよく効いたことで、がんはほとんど見えなくなり、咳などの症状もなくなった。
緩和ケアは最後に受ける治療、と多くの人は思っているかもしれない。でも、いまは治療の最初のほうから緩和ケアが入っていくのが普通になりつつある。緩和ケアで治療を支えることは、deleteCが掲げる「がんを治せる病気にする」ために必要なケアになってきている。そして「がん治療には緩和ケアが必要」ということを世界の常識にしたのもまた、いくつもの「研究」の成果なのである。
研究が世界を変えていく。その一歩を進めるために、あなたの手が必要なのだ。
西智弘(delete Cリレー連載 vol. 8)