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分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか

▼前回記事

「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳にすることがあります。
 確かに、日本においては時々過激な人が過激なことを言って炎上して終わるくらいなもので、安楽死制度構築に関する建設的な議論は進んでいるとは言えないかもしれません。そもそも、(積極的)安楽死制度どころか、終末期において治療を差し控えていく、いわゆる尊厳死(消極的安楽死)についてすら、法整備が進んでいるとは言い難い状況が何十年も続いています。
「各種ガイドラインに従い、手順を踏んで関係者と話し合いさえしていけば、現在の制度内でも尊厳死(消極的安楽死)は可能である」
と、一部の人は言うかもしれませんが、「法的根拠が無い」ということは「医療業界の常識になり得ない」ということでもあります。
 前回の記事でも話題になった、「京都嘱託殺人事件」においても、亡くなられたAさんは生前、胃瘻からの栄養療法の中止を求めたにも関わらず、医師がその願いを聞き入れることは無かったとされています。医師としての「常識」として、仮にそれが患者本人の意思だとしても、明らかに生命を縮める可能性が高い行為に手を貸すことへは強い拒否感が生まれるのです。しかし一方で、胃瘻からの栄養療法も含む「医療行為」はそもそも、患者と医師との契約に基づいて実行されるべきものですから、患者の意思を無視して医療行為を続けることはできないはずなのです。しかしそれでも「慣例」や「常識」に従って、とにかく命を延ばす治療が最優先される・・・「法的根拠が無い」とはこういうことなのです。

 では、このような現状において、安楽死制度の議論を呼びかけていっても無駄なのでしょうか?
 いわゆる「賛成派」がいくらSNSなどで呼びかけても、「反対派」もまた声をあげ続けますし、一歩も先に進まない感のある現状においては、いくら活動を続けたところで徒労に過ぎないのでは・・・と考えてしまうのも頷けます。

 しかし、僕はこういった議論を呼びかけていくことは、決して無駄ではないと考えています。
 それは、「呼びかけを行わない限り、分母が増えない」と考えているからです。

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