08その瓶は死を待っているのか(3)
肩を並べて夜の道を歩く、その息はお互いに白い。
「遅くまで、つき合わせちゃってごめんね」
亜桜は時計を見ながら、朔人に謝る。短針は11を少し回ったところだった。かつて二人で歩きなれた住宅街の道は、街灯もまばらだったけど月明かりが柔らかかった。
「別に大丈夫。でも結局、亜桜は今日、何を言いたかったの?」
「ううん。本当に、別れてからこれまでのことを知りたかったし、私のことも伝えたかっただけよ」
同窓会の後、会場の外で待ち合わせてバーに移動した二人だったが、亜桜の口から出たのは「3年生はどんな感じで過ごしたの」「大学はどこに行ったの」「いま住んでるところは」「大学出たら何になるつもりなの」という尋問のようなセリフだった。
「もっと、元恋人っぽい会話を期待していたのに」
朔人が苦笑いする。
「ええ? 『元恋人っぽい会話』って何よ」
亜桜が笑うと、朔人は少し困った顔になった。
「具体的には……。例えば、付き合ってた時の甘い思い出話とか、別れたときに何を考えてたとか?」
「朔人も意外とノスタルジックなところあるのね。でも、そういう昔話には興味ないの。私はね……、きっと別れてからこれまでの二人の時間を埋めておきたかったんだと思う。中途半端に散らかった、未完成のパズルみたいな感じだったんだって」
「未完成のパズルみたいな感じね……。それで、今日の話でそれはだいぶ埋まったのかな」
「うん、だいぶね」
亜桜が少し寂し気にうつむいて呟くと、朔人は歩く速度を落とす。
「ねえ、亜桜……。僕たちって、もう一度やり直すことってできないのかな」
亜桜はうつむいたままぴたりと歩みを止め、朔人へ顔を向けた。月の光に照らされる朔人は、白く輝いて怪しいほどに美しいと改めて思った。手を伸ばして、その肌に触れたいという衝動を感じながらの沈黙。しかし亜桜は小さく「無理よ」と言い放った。
「そうかな」
「無理よ。私は松本、あなたは仙台。遠距離で、朔人とやっていけると思えない。それに――」
「それに?」
「ううん、何でもない。とにかく、今日はそういうつもりで誘ったんじゃないの」
――それに、あなたはもう私の知っている朔人ではないわ。
言いかけて、止めた言葉。別れてから4年の時間を埋めようとしたけど、埋められないものがあることにも、この時間の中で気づいてしまった。朔人は垢ぬけて、大人になった。高校までのもじもじしていた態度が抜けて、よくしゃべるようになった。そして――女の扱いがうまくなった。話していて、こんなに気持ちよくさせてくれる人なんてそんなにいない。でもそれはきっと、一緒に同じものを見て、一緒に笑っていたあのころとは違う。
不意に、朔人が亜桜の手を取り抱き寄せる。初めてキスをしたあの夜のように。亜桜の体に電気が走り、思わず声が溢れそうになるのを必死で止める。
「僕は、別れてからもずっと亜桜を忘れたことはなかったよ。もう、亜桜に寂しい思いなんてさせない。今日このまま、君を帰したくないって思ったんだ」
「帰したくないって……」
「朝まで、一緒にいてくれないか」
首筋にかかる朔人の温かい息に、腰の力が抜けそうになる。
――ああ、それもいいかもしれない。
いっそ、本能のままにこのまま抱きしめ返せたら。あの頃のように朔人の腕の中で、その背後にちらつく女たちへの嫉妬も一緒に飲み干すことができたなら。それは、どれほど気持ちがいいことだろう。この全身にびりびり走る電気の意味を、カラダは知りたがっている。
白く飛びそうになる意識の中、強張った腕を伸ばして亜桜は、朔人の背中をぽんぽんと叩いた。
「……離して」
亜桜の押し殺した声に、朔人の腕が緩む。
「ごめん」
身を離した朔人は、ばつが悪そうにうつむく。亜桜はゆっくりと首を振った。
「ううん。こっちこそごめんね。朔人がそう言ってくれて私、本当に嬉しかった。でも、今日はこのまま帰ろう?」
「……うん、わかった」
朔人は、少し唇を尖らせて拗ねた顔になる。こういう顔も、中学の時から何も変わっていない。
「じゃあ、僕はここで」
「えっと……ごめんねついでに、もうひとつ。私の家までは、一緒にいてくれないかな」
「えっ……ああ、いいよ」
二人はまた、肩を並べて夜の道を歩き出す。濃紺のコートから出た白い手に、亜桜が手を伸ばして結ぶ。朔人はぎょっとした顔で一瞬亜桜を見たが、また無言で歩き続けた。
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