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5-3:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う(後編)

(中編から続く)

耐え難い苦痛とは何か

「先ほど話したAさんのケースの時に、医療者が悩んだことのひとつに鎮静の要件としての『耐え難い苦痛』があったんですよね」
 Aさんは「耐え難い苦痛はない」と医療者に判断された。そして、その判断が故に、彼女は傷つけられ、苦しみに耐えることを強いられようとした。
「耐え難い苦痛とは何か、ということが医療者の中でも議論になることがあって、誰が何をもって判断するのか、って部分なんですけど、幡野さんはそれについてはどう思いますか」
「耐え難い苦痛、ってのを考えるときに、どうして身体的苦痛ばかりが取り上げられるんですか。身体的苦痛だけでいえば、それはもうガマン大会の世界で、耐える人はモルヒネ無くたって耐えられるかもしれないけど、その人を基準にしてほしくないわけですよ」
 まあ、そう思いますよね、と僕は言った。

 幡野は患者の立場だ。そう言うに違いないと思っていた。今の鎮静の決め方は、医療者から「もう眠って過ごすという方法もあります」って提案せざるをえないくらい 明らかな苦痛がある場合はいいが、患者側から「もう眠って過ごしたい」って希望された場合でも、最終的には医療者が決めることになっている。その時に、医療者が「それは眠って過ごすに値するほどの耐え難い苦痛なのか」というところから検討をするが、Aさんのときにはそれがうまくかみ合わなかった。
「僕としても、患者本人が『耐え難い苦痛がある』って言っているんだから、そこに耐え難い苦痛はある、っていうのでいいと思うんですけど。でも実際には、全国各地で医療者が『耐え難い苦痛とは何か』という問いに困っている。だから、『まだ耐え難い苦痛』とは言えない、って言って、鎮静を避けるということがおきるんでしょうね」
「そうか……。がん患者の痛みって数値化できるものじゃないですから、その苦しみを伝えてくれって言われてもすごく難しいですよ。説明もできないし、理解もされない。患者同士でも理解できない。その中で『これくらいは耐えられるでしょ』っていうのは、厳しいし、医療者に対する不信感につながりますよね」
 幡野は苦い顔で考えこみ、そういえばこの前もですね、と言って自分のエピソードを語りだした。

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