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6-2:安楽死の議論はやめたほうがいい ~宮下洋一に会う (後編)

(前編から続く)


流れ作業化する安楽死

 僕は、吉田ユカがスイスに受け入れを断られた件について、宮下が知っていることがあるかについても尋ねてみた。
「ライフサークルに断られた方がいるんですか? いつ頃の話? ……ああ、ちょうどその時、エリカ先生のほうも裁判などで色々と立て込んでいたみたいですね。ちょっと受け入れている余裕がない時期に当たってしまったのだと思う。ライフサークルのWebサイトにも、新規受け入れをしばらく中止するという旨を出していたはず。
 それに、その裁判が精神疾患を持っている方に関連していた案件で……。そういうのもあって、精神科の受診歴があるということに敏感になっていたのかもしれない」
 なるほどそれで、ユカが断られた理由が何となくわかってきた。
 そもそも、スイスに日本人が殺到してパンクしているうえに、先方は裁判を抱え、さらにその件が精神疾患と関連していた……という不運が重なった結果だったのだろう。
 ライフサークルが、各国それぞれで安楽死制度を作ってもらうことを最終目標としている以上、今後、日本からの受け入れがそれほど増えていくとは思えない。それに、僕はスイスでの安楽死報道を見ていて、気になることがひとつあった。

「宮下さん、スイスに安楽死で訪れる方々について、ライフサークルなどはその後の遺族のフォローってしているのでしょうか?」
「いや、していないですね。そもそも外国人を受け入れるっていう時点で、それは考えていない。外国人を受け入れるという点でもうひとつ議論があるのは、ディグニタスは5日前にスイスに来てもらって、安楽死を実行するまでの時間をかけているのに、ライフサークルは2日前に来てもらって安楽死を実行している。
 それまで会ったこともない人への診断という意味では、短すぎるのではないのかという議論です。ただ、エリカ先生はもうここに来るまでの覚悟がある人を受け入れるという形だから、そこで審査済みだという立場なんだろう。そもそもダメそうな人、曖昧な人は受け入れてない。まあ、2日でも5日でも違いがあるのかどうかわからないですけど。遺族についても外国まで行ってケアできないし、流れ作業ですよ」

 流れ作業、という言葉に僕はまた顎が外れそうになるのを抑えながら、
「日本での安楽死報道を見ていると、それは宮下さんの本もそうですが、死やケアが『本人と家族』というところにフォーカスされがちだと思うんですね。本当は、社会とのつながりやサポートがあれば、変わる部分もあるのではないかと思うのです。それは、安楽死をした遺族をサポートする意味でも。
 もし日本で安楽死制度を作るのだとしたら、もっと早期から社会的サービスとつながれる仕組みと一緒に作っていく必要があるのでは、と思っています」
 と、持論を述べた。ただ、ひとつ懸念されるデータもあった。
「オランダの制度だと家庭医制度がベースになっていますよね。信頼できる家庭医とのつながりがあることが前提にあっても、オランダでは年々、安楽死件数が増えていっている現状もあって、僕の考えも甘いのかなって思うところもあるんですけど……」
「それは難しいところですね。日本人と欧米では、死は個人のものなのか、家族内のものなのかっていう文化的概念が全然違うんですよ。オランダで安楽死が増えているにしても、それは個人の生き方の尊重であるから、というところがある。その人が、死にたいと思っているなら、それが叶う文化がある。
 日本の場合は、その人が死にたいと思って、安楽死制度があったとしても、周りの人たちに支えられていれば、選ばないと思うんですよ。それだけ、個人の人生を生きているかいないか。ヨーロッパのひとたちはあくまでも自分の人生を生きている。ただ、日本でその支えをつくっていくのが難しい」

 なるほど。オランダにおいて件数が増えていることだけをみて、家庭医制度が安楽死の抑止に機能しているかどうかを評価する必要はないということか。日本においては日本のやり方がある。そしていま僕は、その支えをどう作っていくのかということを考察している……。自分の中で、バラバラだった安楽死制度についての考え方がだいぶつながってきたような感覚が芽生えてきた。

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海外の安楽死システムは完全か

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