見出し画像

11対決、そして4人の思い(4)

 亜桜は心にずしりと重りを乗せられたような感覚をおぼえてうつむく。
――私が、ヒトを観察対象にしている……? 確かに、自分でも不思議には思っていた。子供のころからずっと他人という存在に興味が薄くて、物理とか生物とか、世界の仕組みそのものばかりを見てきて。でも医者になって、患者の生き方とか、人柄とか、価値観とかにも興味を持てるようになってきて。それはきっと、自分の中に「他人に対する興味」が育ってきた証だったと思っていたのに……? 私は「ヒトを通じて世界の理を知ろうとしている」? 子供のころ大好きだった数式のように、ヒトの営みを愛でている? 私も運野先生のように、他人を道具としてしか見ていないのかしら……。
 亜桜はしばし無言になり、膝の上の手が軽く震え始めた。
――また何も言えないまま、運野先生にやり込められて今日も終わるのか。
 亜桜がそう思ったとき、膝の上の手にもうひとつの手がスッと重なった。
――凪さん。
 赤垣は真っすぐに前を見据え、カウンターの下で手だけを伸ばしてきていた。そのひやっとした手の温度を感じて、亜桜もすっと背筋を伸ばして前を見る。
「運野先生。確かに私は昔から、他人に対する興味が薄い人でした。先生のおっしゃるように患者の人生を通じて世界を知りたいと思っている部分もあるのかもしれません。でもそれは決して、患者という人間に興味をもっていないという意味ではありません。私は人間を知りたいと努力しています。患者を道具扱いする運野先生とは違うんです」
「ンンン~。僕もね、患者に興味がないことはないのよ。僕なりの方法で、患者を愛しているんだけどね……。ただ、確かに金沢さんのケースではアナタは『人間そのものに興味をもってしまった』。でも、それで失敗したじゃない。そんな体たらくで、これからも国家認定緩和医を続けるつもり?」
 運野の冷ややかな視線を正面から見据えて、亜桜は言葉を返す。
「ええ、私はいまの私のままで国家認定緩和医を続けます。自分が受け持っている人が、どんな人生を歩んできたのか、何を大切にしてきたのか、そしていま、どう生きたいと思っているのか。それをきちんと私の中にも容れて、そのうえで安楽死という選択肢を一緒に考えたいんです」
「そんなの、あなたがしんどいでしょ」
「しんどくても、やるんです。それが私なりの、患者さんたちの人生へ対する敬意です」
 運野は心底軽蔑するような目で亜桜を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「それは御大層な理想だけどね……。これからそんなことも難しくなっていくかもしれないのよ」
「……どういう意味ですか」
「僕がもし有罪になったらね、きっと国家認定緩和医の権限は制限を受けるだろうから~」
「そんなこと……」
「間違いなくそうなるわよ。これは以前から検討はされていたことだったからね~。国家認定緩和医が持っている絶対的な決定権をよしとしない人たちがいるってことね。いくら監査医がいるとしても、患者さんの意向が強いって言えば何だってできる。そう仕向けることも。国家認定緩和医の考え方ひとつで似たようなケースでも生死が分かれてしまっていたからね~」
 亜桜の脳裏に、貧困を理由に制度下安楽死を施行された木村奈々のことがよぎる。
「だから、全ての制度下安楽死は裁判所がその適否を判断するようにするっていう案が出てるのね~。医師の意向によらず、適法かそうではないかだけが判断基準。最終的には、今の診断用AIに学習させて、『ブルー』判定さえ出ればそれを最優先にしたいみたい。下手すれば、医師を介さずに薬局で致死薬が市販されるなんてことになるかもね~」
 これまで黙って座っていた赤垣が「おお」と軽く感嘆の声をあげる。亜桜は突然の話にうろたえながらも、言葉を返す。
「何で、そんなこと知っているんですか」
「僕は、日本で一番の施行数を誇る国家認定緩和医よ~。僕がそういう国の会議に呼ばれないわけないじゃない」
 青ざめている亜桜の顔を見て、運野はクックックッと笑う。
「でもね、これは一部の政治家の案。僕の意見は全くの真逆」
「どういうことですか」
「僕はね、もっと患者さんの意向を自由にさせてあげたほうがいいってずっと訴えてきたのよ~。いまの制度下安楽死は、患者さんの意向を最大限尊重することがうたわれているけど、その実、国家認定緩和医とか監査医とか診断用AIとか、多くのものに縛られているって思わないかしら。ねえ、自由って何だと思う? いまの制度のどこに、自由な意志がある? 国が設置した建前の自由という檻の中で、踊っているだけじゃない。その檻が少し広くなっただけで、人それぞれにこの世は地獄ってことには変わりないのにね~」
 運野が口を歪めて笑うのを見て、亜桜の背筋に寒気が走る。運野はなおも続ける。
「『患者の権利法』の大義名分のもと、人間が自由に生きて死を選べることをうたった制度下安楽死が、結局はこんなにも多くの人間によって手垢まみれにされているのは滑稽よね。そこにさらに裁判所なんて手垢を足すなんていうんだから狂気よ。たくさんの人間からの承認を必要とするほど、自由からは程遠くなっていくのに。自由をうたうのも人間、自由を縛るのもまた人間。そもそも人ってさ、他人の人生に手を出すのが余程好きな生きものよね。他人の生をその手で弄ぶ……その快楽は他の何にも代えがたいんじゃない。所詮この国において、真に自由に生きることなんて不可能なのよ。だからせめて、僕たちに与えられた権限くらいは患者さんが最大限自由に使えるようにしてあげないと。裁判所が僕と同じくらいの基準で死を与えてくれるっていうなら、まだ賛成もできるんだけどね~」
「私は……」
 運野の演説にしばらく考え込んでいた亜桜だったが、意を決したように語り出した。
「私は、今の制度が続いてほしいなって思っています。患者さんにも色んな人がいて。国家認定緩和医にも色んな人がいて。そして人間って一人では生きられないじゃないですか。一人一人の意思を尊重しながらも、お互いの言葉を交わすことでわかり合ったり、新しい道が見つかったりする。何が正しいなんか、わからない。その都度、その都度、この世にいる人たちが悩みながら、一歩ずつ進んでいくしかない。でも、一人で悩ませたりしない。個人を尊重することはその人の権利を最大化するだけして、放り出すことじゃない。隣で一緒に悩むことだと思うんです」
「甘い理想論ね。頭にお花がお似合いだわ」
「朔人もきっと、それを望んでいる」
「何?」
 運野は前のめりになって聞き返したが、亜桜はそれきり口をつぐんだ。「よし、時間だ」という係員の声が面接室に響き、亜桜と赤垣は立ち上がって運野に礼をした。運野は憮然とした顔で二人を眺めていたが、やがて係員に連れられてドアの向こうへ消えていった。

※お話を一気に読みたい人、更新されたら通知が欲しい人は、こちらから無料マガジン『褐色の蛇』をフォローしてね↓


いいなと思ったら応援しよう!

西智弘(Tomohiro Nishi)
スキやフォローをしてくれた方には、僕の好きなおスシで返します。 漢字のネタが出たらアタリです。きっといいことあります。 また、いただいたサポートは全て暮らしの保健室や社会的処方研究所の運営資金となります。 よろしくお願いします。