05忘れてしまえるものならば(2)
日本において現在、制度下安楽死を施行する方法は3種類ある。
①積極的安楽死。つまり医師が薬剤を直接患者に注射して死に至らしめる方法。
②医師による自殺ほう助(注射)。致死薬を入れた点滴ボトルを医師につないでもらい、そのストッパーを患者自ら開いて薬を静脈内に流しいれる方法。
③医師による自殺ほう助(内服)。経口内服の致死薬を処方してもらい、自宅などで内服する方法。
自施設で点滴を行う場や時間を確保できないことが多い開業の国家認定緩和医の場合、③の方法を選択することが多い。しかし、ある程度進行した認知症患者が安楽死を行うためには①の方法以外にはなかった。それは、②についてはストッパーを開けることの意味を自らの言葉で説明できなければ実施不可とされたし、③についても自ら薬剤の管理ができないと判断された時点で、薬剤師が致死薬を回収することが義務づけられていたからだ。
運野は以前に、「医師による自殺ほう助」について「僕の美学に反する」と言っていたことがある。
「だってさ~。薬を処方して『あとは自分のタイミングで~』とか、ボトルまで用意して『さあ自らの手でこのストッパーを開けてください』とかやるんでしょう? どうして、最後の最後で医師としての責務を放棄するようなマネをするのでしょうか~。軽い、軽すぎるよね~。僕はやっぱり自らの手で、人の命を奪うのだという責任感と罪悪感を胸に抱えながら、注射器のシリンジを押すべきだと思うのよね~」
運野の口から「罪悪感」などという言葉が飛び出したことが驚きではあるが、彼の言うことにも一理あると亜桜は思った。しかし一方で、「患者の権利法」の理念に則るとしたら、「自らの最期は、自ら決める」という「医師による自殺ほう助」の方法も、妥当ではないかとも考えていた。最後の最後まで患者個人の意思を尊重するという原則を全うするためにも。
「世の中に両方があることが大事だと思うんです。自分で薬を飲んだり、ストッパーを開けることが心理的にも身体的にも難しい患者はいます。だから積極的安楽死は必要。でも、医者に心理的負担を負わせたくないとか、自らの手でそれを行いたいという人には医師による自殺ほう助という方法もあった方がいい。だから、今の制度を作った人はよく考えたんじゃないかと思うんです。『患者の権利法』のもと、その人が望む生き方やポリシーを尊重するために、選択肢を用意するのが大切ってことを」
そう考えると、「1施設1種類」は妥当なルールで、たまたま受診した医師によって安楽死の方法が変わってしまう、というエラーが避けられる。つまり、照葉総合病院緩和ケア科に安楽死を希望して受診した場合、特に指定がなければ主治医は岩田、運野、そして亜桜からランダムに選ばれるが、安楽死の方法はどの医師でも「積極的安楽死」のみとなる。自らの人生の幕を下ろす「手段」の段階から、自ら選択して決めることができるのが今の制度であると言えた。
そういった事情によって照葉に紹介されてきた笹崎だったが、亜桜がむしろ解せないのは診断用AIが「イエロー」判定を出したことだった。診断用AIは、認知症などがん以外の疾患についての精度はまだ不十分で、「ブルー」判定までいかないことが多いと言われていた。それでも「イエロー」の判定が出たのは、おそらく年齢および食事量の低下からの算出なのだろうとは思う。しかし、あれだけ元気そうに見える笹崎が、本当に「イエロー」なのか? という疑問は、亜桜から離れなかった。その疑問をさらに深くしたのは、昼ご飯の後のことだった。
「笹崎さん、ご飯ほとんど食べられましたよ」
亜桜が「笹崎の食事について見ていてほしい」とお願いしていた看護師が、そう報告してきたからだ。
「本当に? おかしいなあ……。じゃあ何で『イエロー』なんて判定が出るんだろう」
やっぱり彼女は魔法使いで、診断用AIすらも操れたりするのだろうか。
「噂みたいに、認知症の方へのAI判定はちょっとおかしいのですかね?」
担当していた看護師は笑いながら「私、他の患者さんのケアがありますので」と、ナースステーションを出ていった。亜桜は腕組みをして、う~んと考えていたが、診断用AIのアルゴリズムは公開されておらず、まあ仮に公開されていたとしても亜桜に理解できるものではなかった。亜桜が唸っていると、受付の医療事務がドアからひょこっと顔を出した。
「笹崎さんの息子さんたちが面会にお見えになったそうで、望月先生ともお話したいそうですが……」
「おっ、いいタイミング! 私もちょっと話したいことがあったから面談室にお通ししてください」
亜桜は指を鳴らすと、カルテ・タブレットを持って椅子から飛び降りた。
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