二村淳子「ベトナム近代美術史〜フランス支配下の半世紀」を読んで
2021年4月サザビーズ香港の競売でマイ・チュン・トゥの「フォン嬢の肖像」はベトナム人画家の作品としては最高額である310万米ドル以上という額で落札された。
マイ・チュン・トゥはバクニン省の省長であった父のもとに生まれ、1925年設立されたばかりのインドシナ美術学校に入学、30年に卒業。37年にはパリで行われた万国博覧会のために渡仏、以後パリ在住となった人物だ。日本で言えばフランスで活躍した画家・藤田嗣治にあたるような人物だ。
ベトナム語の美術史文献では、ベトナムの近代美術があたかも、1925年に設立されたインドシナ美術学校にはじまったかのような印象を受ける。フランス語文献を駆使して描かれる二村淳子氏の「ベトナム近代美術史」はベトナムで通説となっている美術史上のエピソードを覆すような発見に満ちている。
インドシナ美術学校より前にフランスは1899年「熟練手工業者の育成」、「産業藝術の維持・発展」のためにハノイ職能学校を設立し、その産業藝術科には日本から二人の東京美術学校の卒業生、すなわち鋳造科の石川浩洋と漆科の石河壽衛彦とが派遣されていたということを明らかにしている。
当時、フランス人の目からは「安南」の工芸美術は中国の模倣、派生、影響をうけたもので、日本や中国のものより「格下」「劣化」したものと映った。日本の工芸美術に学びながらも「安南藝術」を創出しようとフランス人は目論んだのだ。
ベトナム美術史において漆画は工芸を美術に高めたベトナム独自の技法であることが強調されるが、二村はこれらの日本人教師やフランス人女性教師アリックス・エイメといった存在はベトナム漆画の成立過程において抜け落ちていると指摘し、彼らの役割もあきらかにしている。
彼女自身さらにエイメや石河らの当時の活躍を明らかにしたいと意気込みをみせる。
ベトナムの近代化や仏印時代の歴史に興味がある方にもぜひ一読をお勧めする。
日本ベトナム友好協会機関紙「日本とベトナム」2022年4月号掲載