敬老の日〜別居中でも義母には敬意を
夫と別居して、はや5ヶ月。訳あって言葉を失っている義母は我々の実情を知らない。
義母と私たち家族をつないでくれている義理姉は、別居に至るまでのことも、そして現状もわかってくれているが、そのことを母に伝えずにいてくれている。それどころか、8月の墓参りは、弟(私の夫)抜きで私や私の子どもたち(義姉からみれば甥たち)を招いてくれた。
義理の父が亡くなって以来、義理姉の近くで一人暮らしをしている義母は、言葉を失う前、病気を患う前は、とても美しく、賢い人だった。もともとは保育士をされていたからか、孫……私の子どもたちに対しても教育的配慮のあるプレゼントを与え、言葉かけも的確な方だった。
私の実母よりも10歳ほど若く、ご自身の似合う色や雰囲気に合うものを身につける、おしゃれな方だった。
しかし、50代で乳癌を患い、そこから脳梗塞、失語症と、瞬く間に病魔が襲っていった。病気によって仕事を失い、家の中での役割を失った。
ただ、それは不幸なことだけではなかった。
病気発覚とともに、義母がすべて請け負っていた家族の問題を一気に表面化させた。
遠い親族からご近所から、公的機関まで巻き込む展開となっていくのだが、もし、義母が病気でなければ、様々な場面で矢面に立たされることになっただろう。さらに義母は、あらゆる負担を抱えることになったに違いない。
それらを回避し、家族にとって忌まわしい土地(あくまでも、義理の家族にとって、である)を離れ、娘(私にとっての義姉)の住む家族の近くに居を構え、孫に毎日出会える生活を手に入れた。
言葉を失い、思うように意思疎通できないストレスからか、義姉に対してわがままな素振りが出てしまうこともあるが、私にとっては尊敬する義母である。これまでの苦労と引き換えに、幸せな今の生活を神から授けられたのではないか、と私は結構真剣に信じている。
いつもなら、敬老の日であっても、
そこまでしなくてもいいんじゃないか、
と、夫に様々な行動を制限されていたが、今年は違う。義理姉にお願いし、当日になってしまったが、子どもたちと会いに行く約束をし、ささやかではあるがお祝いができた。
抗がん剤治療が始まったことや、厳しい残暑によって、体調は思わしくなかったが、孫たちに囲まれたときの笑顔は昔と変わらない美しさであった。
このまま、息子と嫁の不仲に気づくことなく、交流が続けられますように、と心の中で祈っている。