書き残すことの価値
長男の中学校の体育祭に出かけた。
今年も同じ小学校区の保護者テントに席をとる。
それはちょうど彼の所属するクラスの前、本当によく見える。トラックを挟んだ向こう側だというのに、仲間のリレーが最下位だった、という結果に、ふざけた長男が大げさに泣き真似をしていることすらわかってしまう。
まったく長男の、私のカメラにおさまる運の良さは、いつも通りだ。
カメラ、と言っても携帯電話だが、それを構えて、ふと思う。
おお、noteを書き始めて、1年か!
と。
そうだそうだ、私の記念すべき……いや、何を思いたって始めたのか、書き始めた記事の初めは、長男の体育祭であった。
これからいろいろありそうなので、日記の代わりに書く、と決めて書き始めたnoteである、が。
最初のうちは、書く前のことも含めて、別居中の夫と、なぜ別居に至ったのかを、事あるごとに思い出しては書き残した。
並行して、夫と別居する最大のきっかけを作った、いわゆる不倫相手である職場の上司とのやり取りも書いてきた。
そして、日常的な、多くは私の3人の子どもたちの子育てやら、家族に対する出来事も書いてきた。
ある程度書くと、夫に対する愚痴も書き尽くし、すでに1年以上出会ってもないので、特記する出来事もほぼなくなった。
一方、不倫相手である「先生」とのことは、いろいろ展開の多い1年であった。先生の妻の存在がはっきりわかるのと同時に、夜間に出会うようになった(ここは、書いていてもおかしい。妻の存在がわかった段階で、きっぱり個人的な関係を切れば良かったのかもしれないが、逆方向に大きな力が働いてしまった)。
男女の関係はスモールステップだと長続きするのか、アラフィフの2人だから体力的にもジワジワとしか進めなかったのか、今から振り返っても、毎号漫画の続きを読ませたくするかのような進み具合で、我々の仲は進行していった。
先生もこの1年で大きく変化した。
ちょうど去年の今頃、先生は、実の父親を亡くした。その頃から、毎日のように一人暮らしになった母親に連絡をとっているようだ。そして、亡くなられて1年後にあたるこの週末、喪主まで務めた先生は、遠い地方都市にあるご実家で過ごすはずなのだが、それは叶わなかった。なぜなら、先生にとって、キャリアアップのための試験が今日だったからだ。
私も似たような立場、いわゆる管理職試験を受けるようになったのだが、試験日が違ったので、体育祭を観に来れた、というわけだ。
そうそう、私も仕事に対する向き合い方や、目標が大きく変わった1年になった。
この体育祭に来ている同業者と出会っても、
〇〇さん(私のこと)、管理職試験受けるんだって?
と話しかけられることが多くなった。
それも、先生の影響を受けて、あるいは、これからシングルマザーとして子どもたちの養育をするにあたって、少しでも経済的に余裕がある暮らしがしたいと考えたからだ。
妻の仕事に理解を示さない夫が、私のそばにいたならば、管理職への道は目指さなかっただろう。
体育祭の翌日、残り数時間で平日になるという時間帯に、先生と、私の車の中で会った。
いつも通り、車内が白く曇ってしまったので、しゃべりながら待っている間、
次の週末にある、△△さん(先生のこと)主催の研修会に申し込みました、よろしくお願いします、
と話すと、
〇〇さん(私のこと。ここでは下の名前)の向上心には頭が下がるよ、
と言われたので、
いやいや、その道の知識がない私にとっては、大冒険みたいなものですが、△△さんがいるから、飛び込んでいけるんです、
と伝えた。
研修会だけではない、管理職への道も、不倫にしても、先生がいるからこそ、の大冒険である。
感情面でも、いろいろあった1年だが、忘れっぽい私にとって、noteに書いてきたからこそ、自分の成長も感じられる。
また今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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