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次の神頼みは。

長男とNHKのドラマを見た。宗教2世がテーマのドラマ、長男の理解を助けるべく、いろいろと解説しながら視聴する。
こんなの、近くにはないだろ〜、
と言う長男に、
いやいや、結構勧誘はあるのよ。
今は来てても、日中働いてるからわからないだけで、
あなたたちの育休中には「子育て学習会、という名の神様の勉強会、に参加しませんか」みたいなお誘いはいっぱいあったよ、
と話すと、そんなものか、と頷いていた。

私だって、来年の今頃には離婚して生活が厳しくなった挙句、神に祈りを捧げはじめるかもよ、
と言うと、長男は、
それはないんじゃない?
離婚しても、今と変わらないでしょ、
と、返してきた。

膠着状態が続いている、別居中の夫との婚姻生活について、私は離婚を望んでいるが、相手の希望もわからなければ、動きも全くない。
3人の子どもたちとの生活は、相変わらず楽しいし、大変なこともあるが、それは夫がいたころの負担と大差ない。いや、むしろ洗濯物の量などは軽減されたし、様々な家事に対して誰かに期待しない分、心も安らかだ。

これも神頼みの効果か、とも思うことがある。
私自身は特にこの神様!と思う宗教はないが、神社に対しては、きちんと祈りを明確にして参詣する。

フルマラソンに向けた練習のゴールはいつも、我が家からゆっくり歩いて1分の神社だと決めている。
今日も楽しく走れました、
もうすぐ大会です、この日も無事に走り終えられますように、
とお賽銭は入れないものの、毎回2礼2拍手1礼は欠かさない。

別居生活になる前、家庭内別居真っ最中で日々苦しんでいた頃、夫のいない週末に、京都の縁切り神社に参ったこともある。
あんまり書くのは憚られるが、京都市内の山の方の神社である。どういう交通機関でも混むのはわかっていたので、早朝から子どもたちを起こして、車の中で朝ごはんを食べながら出かけた(初めての場所だった上、どこにも出かける予定のない子どもたちをおいては行けなかった)。

その時の祈りは、
子どもたちや、私にとって不要な縁をお切りください。そして、幸せになる縁を結んでください、
というような内容だったと思う。
山道を歩いたり、帰りに金閣寺に寄ったりして、子どもたちにとっても楽しい参詣だった(特に歴史を学んでいた長男にとっては)。

そこから約半年で別居生活が始まる。

その翌月、子どもたちのリクエストで出かけた博物館の近くにあった縁切り神社にも参詣、ほぼ上記と同じ内容で祈願する。
その2ヶ月後にはLINEでのやり取りも途絶える。

そして、8月、京都の街中にある縁切り神社に参詣する。あくまでも私の調べた中では、だが、この神社の縁切りは、最強、という文字が出てきていて、さすがにここに子どもたちを連れて行くのは……との考えから、恐々参詣は控えていたのだが、チャンスだと思われる日があった。

それは、別居して初めて、夫が子どもたちと出会う日だ。子どもたちを我が家まで迎えにくるらしく、そうなった時に出会うのが嫌だったので、この日もかなり早朝から家を出て京都へ向かった。

行ってみると、観光地ど真ん中、というような場所で、付近には、いわゆる大人の男女が出てくるような宿泊施設があり、実際に男性と腕を組みながら声高にしゃべる女性の姿を見て、子どもたちを連れてこなくてよかった、と心から思った。少なくともその日は、家族連れのような参詣者は見当たらなかった。

その時も、だ。
子どもたちや、私にとって不要な縁はお切りください。そして、幸せになる縁を結んでください、
と祈願した。

あくまでも夫との縁を切って欲しい、とは願っていない。
そこが私の気の弱いところ、決断できないところなのだが、夫との縁が必要なのか、不要なのかを神様の判断に委ねた。

ましてや、今、私の一番好きな先生との縁を結んで欲しい、などということは、怖くて願えなかった。

その翌月、私は先生が既婚者であることを知り、本当にそれでも今の関係を続けるのか、と神様に試される(もちろん、私自身の身勝手な解釈だが)。
続けるどころか、さらに関係は進んでしまったのが実際のところだ。

ドラマを見ながら、神様に祈りを捧げるのも、ほどほどにしておかないと、と思いつつも、
次はきちんと、

夫と離婚させてください。
そして、子どもたちにとっても、夫にとっても、それぞれが幸せな人生を送ることができますように、

と、祈願しよう、と思った。

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