見出し画像

お父さんに会いたい?

ハロウィンを終えると、近くのスーパーマーケットも、テレビから流れてくるCMからも、クリスマスを感じさせるものがやってくる。
3人の我が子達から、今年のプレゼントは……というような話も出てきている。
我が家のサンタシステムは、小学生にはまだ発動中で、さすがに中学生の長男は、親が用意してくれることを見越して自分の希望を訴えてくる。

別居生活をスタートさせて、初めての年末年始、いろいろと気遣うことが出てくる。

例えば、家族旅行。毎年11月下旬から12月上旬にかけて、甥っ子、義理姉、義理母の誕生日が続き、その頃に義理姉家族、義理母、そして私たち家族で、近場の一泊旅行に出かけることが多かった。

去年もテーマパーク付きのホテルに泊まり、夜にはライトアップされた公園を楽しむ、という計画があった。すでに家庭内別居状態にあったのだが、義理母に孫を会わせること、そして、普段病魔と闘う義理母のことをお世話してもらっている義理姉家族に感謝の気持ちを伝えることが最重要事項だと考え、参加はする予定でいた。

すると、義理姉家族が流行の病にかかり、参加できなくなった。もちろんすべてキャンセルもできたのだが、そうなったところで義理母の世話を誰もできない、ということもあり、我ら5人家族と義理母の6人で出かけることになった。

そして、うまい具合に、予約していた2部屋をキャンセルせず、1部屋に義理母と夫、もう1部屋に私と三兄弟という組み合わせで宿泊できたのだ。
これはもう、私にとって幸運でしかなかった。
一泊した翌朝には、フルマラソンに向けたランニング練習もできたし、三兄弟は不仲の夫婦の間を取り持つ連携プレーを見せつつ、義理母とともにアトラクションを楽しめた。

今年も同じように宿泊するなら、お母さんだけ、夕ご飯食べた後、家に帰って寝てきてもいい?
朝ごはんまでには戻るから、
と、三兄弟には相談していた。車があれば、十分可能である。なんとかしてこの不仲を、義理母に隠し通せれば、と思う。

しかし、この冬はもう旅行にも行けないくらい、義理母の体調が思わしくない。というのも、半年ほどまえに癌の再発がわかり、抗がん剤治療が始まったからである。
12月上旬にお昼ご飯を食べに行くことだけにした。
お正月に、夫がいてもいなくても義理母と出かけていた、屋内動物園も無理そうだ。
せめて義理母の住む街で、初詣くらいは行けたらいいな、と思う。

さて、夏休み以来、うちの三兄弟は、まったく父親に出会っていない。
お父さんに会いたい?
と、三兄弟に訊ねると、小学4年の次男は、
そりゃ会いたいよ、クリスマスプレゼントとかもあるし……
すると、お調子者の三男は
お年玉も!
と、言い出す。
でも、夏休みからまったく連絡とってないんだよな……
長男は、いつになく消極的だ。

別居が始まって初めての夏休み、夫と三兄弟が4か月ぶりに出会う日ですら、なかなか決まらなかった。

夏休み前から、子どもたちは夫といつ会えるのか、とメッセージやLINEでやり取りしていたらしいのだが、長男のクラブ活動が始まった関係で日曜日やお盆しか、候補がなかった。
その候補の中からいくつかの日程を長男や次男がすると、夫は難色を示した。
お盆を過ぎてからの平日、となると候補は一日もなかった。そして、子どもたちの夏休み終了ギリギリの日曜日、というところで、漸く日程が決まった。

三兄弟が夫と出会う日、我が家に三兄弟を夫が迎えに来ることになった。
私は夫と出会いたくない、新しく買い替えた車を見せたくない、という理由から、早朝より車に乗って外出していた。
長男に外出用の携帯電話を持たせ、初めてGPS機能を使った。
長男は、随時自分たちの居所を私に知らせてきた。携帯電話を持っていること自体を、夫に知られたくなかったようで、
今、焼肉屋です。
これから(次男)の誕生日プレゼントを買いに行きます。
連絡できる機会がなかなかない。
今、トイレの中。
と、長男は母の心配を気遣ってか、その当時家族で見ていたドラマの如く、特殊部隊のような動きをとっていたようだ。

しかし、その日から3か月。夫からは何も音沙汰がなく、子どもたちですら、父親との日程調整をためらう始末である。
もちろんその原因は私にもあるのだが、こんなにも子どもたちと接触がなくても、寂しくならないものなのかな、と子どもたちの寝顔を見ながら、不思議に思う。
子どもがいるのに、子育てせずとも日常を過ごせる夫と、子どもがいれば、子煩悩な父親になっていただろう、と呟いていた先生。

人生はうまくいかないものだな、と、つくづく思う。

いいなと思ったら応援しよう!