閉店前の駐車場にて
土曜日の朝、子どもたちが車に乗り込むと、
じゃまだよ〜、と大きな声を出した。
忘れていた。昨夜、助手席のシートを半分くらい倒したままにしていた。
厳密に言うと、勝手にシートを動かされ、運転席にいた私は、元に戻すことをすっかり忘れていたのだ。
私の車の助手席に勝手に乗り込んできて、狭いから、とシートの背もたれを倒したのは、先生だ。
私の大好きな先生が、近所に引っ越してきた。
田舎の山間部にある我が町は、冬になれば積雪がある。豪雪地帯なら、それはそれで雪に対する対策はあるのだろうが、たまに大雪に見舞われるくらいだと、結構大変な交通渋滞を引き起こす。私の勤務先は、逃げ道がないくらい山と山に囲まれていて、そこに国道が通っている。便利でもあるのだが、渋滞が起こると周辺の住民は、大きな影響を受ける。
市内に住む私でも昨年度の大雪のとき、かなり遅刻して出勤することになってしまったのだが、先生など、さらにそこから30分の遅れをとった。
この春から、少し責任が重くなった先生は、雪の影響をうける前に、より勤務先に近い場所に引っ越してきたのは、英断だと言える。
そうなると、必然私の居住地に近くなった。場所もだいたい教えてもらっているのだが、実際にアパートを見に行く、みたいなことは、控えている。先生のプライベートに踏み込むこと自体に、気まずさを感じているし、下手に知ってしまうと、それはそれでややこしい気がしている。
金曜日、午後から出張、そのまま帰宅していた私に、LINEが入ったのは午後8時だった。
夕方からお疲れ様です、と先に送っていたのは私だが、そのまま既読スルーだった。私にとっては「既読スルー」の方が、期待が持てた。ここから先生の仕事が立て込んでくることはわかっていたので、それらを終えてから、私に連絡してくるだろうことが予測されたからだ。
今日は職場に戻られますか?聞いてほしいことがあって……
と、いう内容を先生から受け取ったとき、私は長男と習い事に参加していた。去年の今頃から、長男が新しく習い事を始めたのだが、そのグループは親子で参加することを前提に活動されていたため、私も一緒に練習するという、大きな負担を負っている。
リフレッシュという意味では、良い気分転換になっているし、またここでも人間関係は広がっているのだが、体を動かしたり、覚えたりすることが多く、年齢的な厳しさを感じることが多い。
今、習い事なんです……等々のやりとりの末、このあと、近くのスーパーマーケットで落ち合うことになった。
先生自身が既婚者だからか、それとも私が既婚者だからか、あるいはその両方の理由だからか、ものすごく人目を気にするので、私の自宅近くのスーパーなど、提案しても無理かも、と思っていたので、そこで会うことに決まったときは意外だった。
店内で互いに買い物かごを持って出会えたのが午後10時。とはいえ、お疲れ様です、とだけ声を掛け合い、個々の買い物業務に戻っていく。私は、明日の長男の弁当作りに必要な食材が揃ったので、先生の所在を確認もせず、レジを通過した。
外で待ってます、とLINEを送ろうとしたが、肌寒さに負け、自分の車の中で待つことにした。
数分待つと、助手席のドアから先生が入ってきた。
こんなところで、知り合いにでも見つかったら、どうなることか……
と、他人事のようにぶつぶつ言いながら、歯医者の患者のようにシートを倒し、今日あった職場での理不尽な出来事を話し始めた。
先生のことは好きだが、話の内容に対し、すべて意に添えるわけではない。先生のポジションならではの気配りや、我々の業務で出会う外来者に対して、謝罪にも似た、へりくだった応対が必要なこともある。そのことも承知した上で、先生のプライドを保てるように、私は先生に代わって、相手の理不尽さに対して怒りを表現したり、先生の不運を嘆いたりした。
こうした話を聞くことで、先生の気持ちを自分に向けさせることも、今の私には大きなメリットではあるし、自分も将来的に先生と同じ役職になったときに役立つはずだ、と、今の自分の状況を俯瞰的に見る。
そうこうしていると、車の周りが急に暗くなった。店の閉店時刻、午後11時になったからだ。
先生はここにくる前のコインランドリーに置いてきた洗濯物のことを思い出したのか、急いで車を出て行く。先生らしいな、と思いながら、先生の車と同時に、私の車も駐車場から出ていった。
これまでは職場で夜、2人きりになることはあっても、わざわざ待ち合わせをして、他の場所で会うことはなかった。職場では最近、同僚としての関係以上の接触が、それは以前別の記事で書いた以上の、立位で着衣したままでできる範囲の性的な接触(それはすでに法的に不貞行為に当たる内容だ)を持つことがあり、今日も期待と不安が入り混じった中で出会ったのだが、何もなくてよかった。それよりも、新たな場所で会えることがわかっただけでも、私にとっては大きな成果だった。