私と東村山と志村けんと志村けんの木

志村けんが亡くなりました。


私の場合一番ハマったのは「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で,
毎週土曜日が楽しみでしょうがなくて,
週末のクライマックスのように感じていました。

他にも「ドリフ大爆笑」や「だいじょうぶだぁ」など
私の子ども時代の英雄の一人でした。

まぁ同世代の多くの人がそうなんじゃないか,とは思うのですが。

僕がこの訃報に接したときに浮かんだのは,東村山駅の駅前にある木でした。
学生時代,東村山でバイトをしていました。
当時,「東村山で勤務してください」と言われて,
「東村山って言ったら志村けんの生まれたとこだよなぁ」というイメージしかないまま,西武線に乗って東村山駅に向かいました。
降りてみると,当然ながら駅前に志村けんの面影はなく,フツーの私鉄沿線の駅前の風景が広がっていました。

そのフツーの私鉄沿線の駅前に生えていたのが,三本のケヤキの木でした。
その木々は駅前のロータリーの大きさに対して不自然なほど大きく,
私にはその唐突な感じにちょっと戸惑ったのを覚えています。

だけどその木々の雄大さは,東村山駅を象徴するシンボルのようで,バイトの行き帰り,特に夜遅い帰りに眺めると安らぎを感じられました。
(昼のほうがデカさや緑の色合いがわかりやすそうだけど,夜の,特に秋から冬ぐらいにかけての風にそよぐ感じがどういうわけか思い出されます)

東村山でのバイトが楽しいものだったこともあって,ケヤキのある駅前ロータリーの景色は私の学生生活を彩る大切なものとして心に残りました。

昨年,ふとしたきっかけで東村山の駅前をグーグルマップで見てみると,ケヤキのある場所に「志村けんの木」というフラグが立っていた。

びっくりして調べてみると本当で,志村けんの功績に感謝した市が昭和51年に植樹したものだったらしい。

「志村けんが生まれたってだけで何も志村けんっぽさを感じるものがないなぁ」とバイトに通っていたとき感じていたが,こんな身近にあったとは知らず妙に感動したのを覚えている。

子どものころよく笑わせてもらったあの大コメディアンが亡くなったのも,もちろんなのだけど,学生生活を彩ってくれたあの木の主を失ってしまったんだなぁ,という妙な喪失感に見舞われてしまった。

ご冥福をお祈りします。

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