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過去のレコ評(竹書房vo.26-28)

vol.26
エリオット・スミスが伝えるもの 「Good Will Hunting(サントラ)」
97年の映画、Good Will Hunting。
この映画で、エリオット・スミスの音楽は全面的に使われた。
その音楽は、本当に衝撃的だった。
極めて内省的でありつつ、極めてポップ。
ヒリヒリを超えた痛みが、頭蓋骨の奥に広がる。
映画の中では音楽が主役だった。
音楽の後方で、映像が、ストーリーが流れていく、
そんな印象さえ与えるほどだった。
映画を作るために音楽を作ってほしいと頼まれた彼は新曲を作り始めたものの順調には作ることが出来ず、結局ほとんどの曲はそれまでに作っていた曲となった。
歌を作るという行為はこれまで通りだったものの注文を受けて作るというやり方が、彼には合わなかったのか。
しかし考えてみると、それまでに作っていた曲がその映画を支配するほどの力を持っているのだから、彼が既に、その映画を作っていたとは言えないだろうか。監督よりも先に。
彼はこの後、ドリームワークスで2枚のアルバムを作った。
きっと締め切りを意識し、追われながら。
そして、2003年の秋、34歳で他界した。

vol.27


エイミー・マンの規定力「Magnolia(サントラ)」



99年の映画、Magnolia。
ポール・トーマス・アンダーソンは、
監督2作目の「ブギーナイツ」で有名なった後
3作目としてこの映画を制作した。
前回紹介した映画 Good Will Hunting と同じく、
この映画も音楽が主役だ。
「僕はエイミー・マンの音楽を脚本化する作業に取りかかった」
と監督自身が言っている。
Good Will Hunting との違いはここにある。
監督は、音楽にある「世界観」だけでなく
歌われている詞をも映画に取り込もうとした。
しかしエイミーの曲は、それ単独で充分成立するものだ。
すでに、音楽自体に人の悲哀が満ちている。
監督は、エイミーの曲をモチーフにすることに
拘りすぎたのかもしれない。
音楽は、映像以上にその場の心情を規定する。
良くも悪くも決定し、説明してしまう。
説明しすぎるという危険さえある。
だから、映画に取り込むのは詞ではなく
音だけで充分だったのかもしれない。
この監督、音楽の使い方のうまさは
次の作品 Punch-Drunk Love を見れば分かる。

vol.28

マルティン・シュリークの浮遊力「ガーデン」
不思議な映画に出会った。
95年の映画、ガーデン。
監督はマルティン・シュリーク。
音楽はウラジミール・ゴダール。
日本では2003年に「マルティン・シュリーク/不思議の扉」という
上映会が行われ、その中の1作品として紹介された。
ヤクブという主人公の名前からして、おとぎ話の雰囲気がある。
ましてや「奇跡の処女」と出会ってから、不思議なことばかり起こる。
ルソーやウィトゲンシュタインという人物も出てくる。
しかし主人公は不倫をしているし、親父ともそりが合わない。
おとぎ話とは正反対の世界で生きている。
これらをつなぐのは、タイトルにもある「庭」。
主人公の動きが止まると流れる音楽がある。
管と弦楽器の、静かで心地よく、明るい音楽。
それは、どんな深刻なシーンでも変わらない。
登場人物は、互いに関わり、様々な経験をしながら
少しずつ変わっていく。
「庭」を触媒にして変化を遂げる。
彼らは徐々に幸せに近づく。
そこでは、常識などは関係ない。
常識から解き放たれることで幸せに近づく。
常識から彼らは浮遊する。
浮遊を助けるのは、静かで心地よく、明るい音楽。
この映画、ものすごく、自分好みの映画です。

(竹書房「Dokiッ! 」にて2001年から連載「ボクが音楽から教わったこと」より)

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