ヒーリングっどプリキュア総括(後半に感謝祭ネタバレあり)
はじめに
2/21にヒーリングっどプリキュアが最終回を迎え、プリキュア感謝祭が配信を開始して、春以降の劇場版を除けばひと段落ついたということで感想を書くこととした。
世界救済ではなく戦争を描いた作品
結論を言うと、近年のプリキュアによくある世界救済ではなく、ビョーゲンズとの果てしなき戦いを描く方向へ舵を切ったという点がものすごく斬新だし、潔いと思った。
敵幹部であるダルイゼンの行動原理を「自分さえ居心地が良ければいい」と描き(第6話)、ビョーゲンズに完全に汚染された場所は元に戻らないと説明があった(第11話)。その一方で、主人公・キュアグレース/花寺のどかを襲った原因不明の病気がダルイゼンによるものであることが判明(第28話)。その後、人のためにがんばることの大切さをのどかに諭されるもダルイゼンは否定(第33話)。
そして迎えた最終決戦にて、ダルイゼンはネオキングビョーゲンに取り込まれそうになり、自我を失うことへの恐怖により拠点から逃亡し、のどかに自分を取り込んでほしいと懇願する。拒絶するのどかに対して「自分さえ良ければいいのか?」と問い返すことになる(第41話)。
このコロナ禍のご時世に「病原菌も生き物」という命題を突き付けるとは思い切ったことすると思い、翌週の回を見たらさらに衝撃的だった。
のどかが拒絶したのはお手当の使命とダルイゼンの救済の板挟みが原因ではなく、ダルイゼンを取り込んで再び自分が病気に苦しむことを恐れたからだった。ラビリンの支えによりのどかはダルイゼンに自分の思いを打ち明ける。ダルイゼンを助けたらダルイゼンが地球を蝕むのをやめるのか、自分を道具として利用するな、と。
ここでテラビョーゲンだからダルイゼンを救わないという理由だったらこの作品を嫌いになりこうして感想を書かなかったかもしれない。しかし、あくまで人を憎まず罪を憎むスタンスだったから心に刺さった。プリキュアを救済者ではなく一人の人間として描く姿勢は本当に斬新だと思った。
思えば現実世界でもコロナ禍で臨床現場が過酷になり割に見合わないためという現象が発生している。もちろんコロナで苦しむ患者を救済するのは大切なことである。しかし
自分自身が倒れたら救える命も救えない
ということは、
メンタルヘルスの世界ではツレうつの頃から唱えられている
ことであるため、ものすごく理に適っておりリアリティがあると思った。
また私は以前「ヒープリはコロナ禍で病原菌を救済できない展開にできず不遇だ」とかつぶやいたことがあり、のどか役の悠木碧さん曰く「ヒープリを不遇だなんて言わせない」とのことだったが、思えば
この作品はハナっから病原菌の救済なんて描く気がなかった
と、第6話や第11話から言える。
むしろコロナ禍におけるエッセンシャルワーカーの皆様への応援歌という意味では時代に沿っていた作品とすら思える。
さらに第44話でラスボス・ネオキングビョーゲン(以下ネオキンと称す)との最終決戦。ネオキンは圧倒的な力でプリキュアたちをねじ伏せ、力こそ正義と説く。しかしここで さらにラスボス・ネオキングビョーゲン(以下ネオキンと称す)との最終決戦。ネオキンは圧倒的な力でプリキュアたちをねじ伏せ、力こそ正義と説く。本来なら否定するか、「じゃあ力のある俺が正義だ」と反論するのが定番である。しかし
花寺のどかは「力こそ正義」を受け入れ、
ビョーゲンズに比べたら小集団かもしれないすこやか市民を守るためにキングビョーゲンと戦う決意をしてこれに勝利した。救済より戦争路線に傾いていることは第42話で薄々感じてはいたが、第44話の展開により
戦争路線が方向づけられていて、これまた潔い
と思った。ビョーゲンズにも生存理由があり、人類側にも生存理由がある。本作は両者の生存理由がぶつかる戦争を描いた作品だったのだ。
余談だが敵幹部・バテテモーダの元となる生物がヌートリアじゃないかと言われており確かに姿形がヌートリアに似ているが、公式HPでは言及されていない(各種文献に掲載されているかもだが)。もしヌートリアだとすると、生物でありながら人類にとって害獣とみなされているという「人類にとって住みやすくするために邪魔な存在」を描いているため、コロナ禍以前の時点で戦争路線が確定していたものと思われる。
花寺のどかは宝生永夢ではない
当たり前のことを書いたタイトルであるが、のどかがダルイゼンを救えなかった話をすると「仮面ライダーエグゼイド・宝生永夢は自分を宿主にした病原菌パラドを救ったけど、なんで花寺のどかはダルイゼンを救えなかったのか」って疑問が出てくると思う。この件については
宝生永夢:花寺のどか=タイムレンジャー:仮面ライダークウガ
の公式で説明できると考えている。
2000年にはタイムレンジャーと仮面ライダークウガの2作品が放送された。タイムレンジャーのほうは敵である犯罪者に対して圧縮冷凍を施すことにより、犯罪者を殺さず刑罰を与えることを可能にしている。しかしタイムレンジャーは30世紀から来ており技術力も潤沢である。一方の仮面ライダークウガでは、そんな技術力が全くなく敵であるグロンギ族の分析も関係者により断片しか知りえない状態である。そのため殺人ゲームを楽しむグロンギ族に対して、仮面ライダークウガが戦うか警察が神経断裂弾を撃つかして倒すしかないのである。
宝生永夢のほうはパラドとの共存は可能であり、宝生永夢がパラドに乗っ取られたとしても宝生永夢は自我こそ一時的に失うが苦痛自体は感じない。また研修医でありながら電脳救命センターに所属しており、リプログラミングや時間停止無効化能力などを実現できる技術力の塊みたいな人が彼の周りには集まっているため、有事の際には永夢とパラドを分析していかようにでも対処できる。
それに対して花寺のどかのほうは、ダルイゼンに乗っ取られたら免疫がややできてるかもしれないが再び苦痛を受ける、または恐怖を感じることになる。しかもビョーゲンズについては浄化または隔離するしか手段がなく、のどかの主治医が原因不明の病気(=ビョーゲンズ)に関する研究を始めたばかりという技術レベルである。ヒーリングガーデンについても同様で、研究という文化があるかどうかすら不明である。やっと浄化して最小化されたシンドイーネを風鈴アスミが取り込んで比較的平気だったのも結果論でしかなく、アスミ自身は苦痛や消滅を覚悟して実行した博打的な作戦である(のどかは必死になって止めようとしていた)。しかものどか本人は中学二年生で、学校の成績はそこそこ良いものの、のどかの主治医が持つ技術力すら持ってないレベルである。
なので個人的には「のどかも永夢みたいにダルイゼンを救えばいいじゃないか」という意見を「仮面ライダークウガにグロンギ族を圧縮冷凍しろと言っているようなもの」としか思えないのである。
なので花寺のどかはダルイゼンに対して正当防衛をした、という認識である。ダルイゼンを浄化しなければ自分が潰れていたのである。
人類にも非があるという結末(感謝祭ネタバレあり)
そして本日放送・配信された最終回と感謝祭は、それまでの内容の反省会的な内容となっている。
最終回ではヒーリングアニマル・サルローが「ビョーゲンズが蔓延るのは人間が環境汚染したせいだから人間も浄化すべきだ」と語る。それに対してのどか達はヒーリングアニマル達に浄化されても仕方ないと思いつつ、まだ希望があるからやれるだけのことをやると誓う。一方でヒーリングアニマルの主・テアティーヌも、いざとなったら人類を浄化する覚悟はあるが、人類がどこまでできるかを見届けると告げ、サルローも納得。のどか達が地球のお手当に対する決意を新たにしたところで物語は幕を閉じる。
希望を持たせる話でありながら人類にも非があるという締めくくりは、地味に重い結末ながら戦争路線の締めくくりにはしっくりくると思った。
一方、感謝祭のショーのほうでは雷のエレメントを取り込んだメガビョーゲンが出現し、メガビョーゲンは戦いの最中でダルイゼンとシンドイーネのコピー各3体へ変異する。ネットで知識を得たコピーダルイゼンは、のどかに対してダルイゼンを救えなかったことを糾弾する。しかしのどかは自分を苦しめるためにダルイゼンを利用することを許せないとして反撃に転じる。
そして激闘の末に元に戻ったメガビョーゲンをのどか達が倒し、のどかは将来の夢として「自分は世界を知らなさすぎるから、中学卒業するまでに体力をつけて、高校に入学したらバイトして金を貯めてラビリンと一緒に世界旅行へ行く」と夢を語ってショーは幕を閉じる。
おそらくこのショーの内容は第42話で物議を呼ぶ前に作られたものであろうため、「ネットで知識を得たコピーダルイゼンがのどかを糾弾する」という展開は、メタ的に考えると「のどかがダルイゼンを救えなかったことが物議呼びそうだけどそんなもん覚悟の上」という意図を感じた。(ダルイゼン3体をショーに出すには求人とか衣装合わせとかリハとかの都合を考えると1ヶ月前以上に決まっており、その理由をつけるための脚本も第42話の反響見てからだとまず間に合わない。)
また、のどかが世界旅行をするという夢についても、サルローの言う「人類が環境汚染したせいでビョーゲンズが蔓延った」という意図を理解するには地球のことを知らなさすぎると自覚したため、世界旅行することで地球を知り、地球をお手当てする一助にしていくという話もすごく腑に落ちた。
以上、振り返ってきたわけだが、通常話では普通の学園生活が描かれ続けてて医療要素どこ行った?って思っていたが、こんだけ重いテーマを毎回描いていると女児向けアニメとしては敬遠されてしまうため、最終章に重いテーマを詰め込んで普段は普通の学園生活でカモフラージュを施したんじゃないかとか思っている。
おわりに
以上、ヒープリを(最終章を中心に)振り返ってきたが、今までのプリキュア作品だと必ずどっかで挫折して未視聴の話が結構あったものの、本作では未視聴の話がたった2話ぐらいしかなく、普段は楽しく最終章では深く堪能させていただいた。本当はキャラの話とかもしたいとは思ったんだが、なんか長くなりそうなので今回は割愛させていただいた。何か機会があったらキャラの話とかもしたいと思っている。
最後にスタッフ・キャストの皆様、コロナ禍で大変な中、本作品を制作いただき本当にありがとうございました!
追記
後々よく考えてみたら、ヒープリの最終章って
・敵が人類を襲う理由が人類の環境汚染である
・ラスボスが人類の落ち度を指摘する
・主人公が問答無用でラスボスを倒す
・ラストで主人公が旅に出(ようとす)る
という意味で、
仮面ライダーBLACK RXのリスペクト
なんじゃないか説を唱えてみます。