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『侮辱罪』について、私が思うこと

はじめに

この記事は、最近厳罰化が決定した『侮辱罪』についての私の考えを纏めたものです。

厳罰化に賛成、反対のどちらのご意見をお持ちの方々がご覧になっても大丈夫なように、どちらかに偏ることのないように最大限務めたつもりです。

ですが、トネリコ自身、今まで侮辱を受けた経験しかないため、どうしても侮辱を受けた側の視点が記事に大いに反映されがちです。

「それでも構わない」という方は、どうぞご覧ください。

※ 参考として、ヤフーニュースの記事を引用させていただきました。


トネリコの意見

今回の侮辱罪厳罰化について、トネリコは「賛成」の意見をもっています。

侮辱された側ばかりが費用や時間、心労を重ねがちな侮辱罪やそれに関連する裁判の現状は不公平であると感じているからです。

仮に、侮辱した犯人を特定することが叶い、裁判で侮辱された側の主張が認められても、結局は侮辱された側の負担が大きいままで終わることもある。

侮辱された側は、結局、最初から最後まで苦しみ抜かなければならない。

その現状を変えるためにも、侮辱罪の厳罰化は必要だと思います。

表現の自由について

「侮辱罪が厳罰化されると、窮屈になる」「表現の自由はどこに?」

そういう意見も、一理あるとは思います。

ですが、多少窮屈になろうとも、規制を強化しなくてはならないほどの状況になりつつあるのだと、危機感を感じずにはいられません。

インターネットを利用する全ての人達が、自分の言葉や、情報を発信する責任と本気で向き合うべき時が来ている。

トネリコには、そう思えてなりません。

もし、自分が言われる側だったら…

「じゃあ、ネット上には批判を書きこんだらいけないのか?」

そうではなく、批判的な意見を書く時には特に、書き込み方に気をつけないといけないのだと思っています。

批判的な意見を書くにしても、相手の置かれた状況や、相手のそれまでの努力を、ある程度思いやった上で書く必要があるのでは、と。

どうしても判断がつかない時は……。

「今書きこもうとしていることは、実名で書いても大丈夫な内容か?」

「これから書きこむ言葉を、自分の家族に、そのまま言えるのか?」

「これから書きこむ言葉を、自分が言われたとして、平気なのか?」

この3つについて考えてから、書き込むかどうかを決められては?

トネリコの苦い体験

…最後に、少しだけ。

トネリコの昔話をさせてください。

トネリコは、小学校~中学校までいじめを受けていました。

小学校時代、男子から面と向かって「ブス」と言われたこと、未だに覚えています。社会人になって少し経った頃、仕事で偶然その人と顔を合わせることがあったのですが、顔を見ただけで「あの時の…」と思い当たりました。

いじめをした側は、時間が経てば、それを忘れられる。

いじめをされた側は、時間が経っても、それを忘れられるとは限らない。

かつて、いじめを受けていた者として。

こう考えずにはいられないのです。

かつての苦い体験を、苦しいだけのもので終わらせないためにも。

侮辱や誹謗中傷で苦しむ人が減ることを、心から祈っています。





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