ハセツネ10時間ちょっとで完走したぜ!
10月13日(日)に第32回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)に出場しまして、10時間18分36秒のタイムで完走することができました。曲がりなりにもトレイルランニングを嗜んでいる者として一度は完走してみたい大会だったのでとても嬉しいです。
夜間にヘッドライトを点けてのトレランが必須となる時間設定や、中継所での補給は42km地点の水分以外一切なしという過酷な条件、さらに過去には滑落による死者も出ており、恐れながらも準備して臨んだレースでした。
せっかくなので取り組みと感想を記録しておきます。
成績
コース:71.5km up 4582m
総合:10時間18分36秒(総合 65/1299位、30代男子 27/154位)
第1関門:3時間12分06秒
第2関門:6時間14分45秒
第3関門:8時間46分06秒
日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)とは何か?
距離にして71.5㎞、累積標高4582m。
奥多摩山域のコースを24時間以内に走るトレイルランニングのレースです。マラソンのように、最近はトレイルランニングのレースでも、中継地点は「エイド」と呼ばれ、ドリンクや食料の提供があるのが一般的のようです。しかし、ハセツネCUPはこの距離と競技時間をして、第2関門(42.09km)まで一切の補給ができず、第2関門でもらえる1.5Lの水・スポーツドリンク以外に必要なものは全部自分で持って走らなければならないという特徴があります。Wikipediaには”国際的なトレイルレースのもっとも過酷な部類、Category ALに相当する”とも書いてありました。日本国内に留まらず、世界的にも難しいレース条件のようです。
昼の13時スタートで、相当速いとされる10時間のタイムでゴールしても時刻は23時で武蔵五日市駅発の終電にギリギリ間に合うかどうか、です。公式サイトの大会趣旨を見ても、わざわざ夜間のトレイルを走らせるような”過酷”がコンセプトのレースであることが伺い知れます。
【コース概要】
五日市中学校スタート ⇨ 今熊神社 ⇨ 市道山分岐(795m) ⇨ 醍醐丸 ⇨ 生藤山(990m) ⇨ 土俵岳(1,005m) ⇨ 笹尾根 ⇨ 三頭山(1,527m) ⇨ 大岳山(1,266m) ⇨ 御岳神社(929m) ⇨ 金比羅尾根 ⇨ 五日市会館前フィニッシュ
なぜハセツネに挑戦したか?
理由は、なんとなく出たかったから、です。
まぁ、口頭で話す時はそんなもんでしょう。
しかし、これはnote、好きなだけ言語化して書けばよいのです。
この”なんとなく”の解像度を上げて書いてみます。
①体力面
やはり最も現実的な問題は体力面ですね。
いつぞやネット記事で見かけた「昔なまじ体力があった無茶しがちな男性は43歳くらいで死ぬ」という言説が、私の心に不思議なほど強く刺さっていて、割と意識しています。(まぁ、こんな記事を書く人間は明らかに”43歳くらいで死にそうな無茶をするタイプ”でしょうから)
特に事故が起これば社会的な風当たりが強くなりがちなアウトドアスポーツなのですから、もちろん”過酷上等”ではありますが、あくまで楽しく安全第一で参加する、というのが一参加者としての嗜みではないかと考えています。
さらにもう少し年齢を重ねたり、トレーニング時間が確保できなくなったりすれば、こうした誰にでも出来るようなわけではない過酷なチャレンジはどんなに願っても、金を積んでも決して手の届かないものになります。
過酷なチャレンジをできるような時間と体力は私の人生に残された数少ない貴重品です。年を経るごとに”昨年と同じレベル”を維持することすらもどんどん難しくなってきて、できなくなったことは諦めて、できることを絞り込んで粘る。ここ数年はそんな意識で生きています。
②チャレンジ精神
noteに書いている記事は私が何かしらに挑戦するということがデフォルトになっているので、最近似たようなことをよく書いているかもしれないです。
実際のところ、ハセツネCUP出場を決めたのは6月中旬頃、30kを完走した者に与えられる優先エントリー権が失効する前日(翌日から一般エントリーが始まる日)でした。
3月末に力試しで出場した30kは気温や激しい上り下りに体力を搾り取られた上に、人を抜いた時の抜き方が悪くて他の選手から見せしめのように怒られてしまい、ハセツネという言葉に全く良いイメージがありませんでした。
それでも、エントリーが難しい大人気レースのハセツネです。仮にもう一度ハセツネを走りたいと思った時に、あのトラウマの30kから走り直し、というのがとても嫌で「ええぃ、しょうがない!」とエントリーしました。
さぁ、この散々な思いをしてから嫌々エントリーする流れ、小江戸大江戸の時と全く同じです。懲りないものです。
とはいえやはり「経験してみなければわからないこと」も「乗り越えた先に見えるもの」もあるはずです。もちろん好きでもないことをズルズルといつまでも続ける必要もないですが、小江戸大江戸のリベンジを経て、一度の失敗くらいでへこたれて終わってしまうのはちょっともったいないな、とも改めて思いました。
考えると憂鬱になるくらいのレースというのはそれだけ過酷であると同時に、自分のポテンシャルを引き上げる可能性を秘めた貴重な成長機会です。高い壁であっても喰らいついて乗り越えてみせようじゃありませんか。
そんなチャレンジ精神も一つの原動力になっています。
もちろん、①の体力面と②に書いた気持ちの話はトレードオフです。だからこそ先述の43歳の冒険家たちの話は決して他人事ではないと思うのです。
③Well-Being
①②はこれまでの記事でも書いてきたような内容でしたが、③はそれっぽいことは書いていたものの言語化するのは初めてかもしれません。
人間には、いえ、もっと広く、生物全般にはそれぞれのやるべき”本分”のようなものがあるように感じています。プラトンの説いたイデア論もちょっと近いかもしれません。
山にせよ、ロードにせよ、自転車を使うにせよ、こんなにいろんな競技に出て、どの競技でも長距離を走り続けていて、きっと私のイデアは「走ること」の付近にあるのでしょう。出るレースもどんどん過激になっていって、下手すると「追い込まれてギリギリを味わいながら走ること」あたりなのかもしれません。思考過程を頑張って言語化するなら、段々と好きとか嫌いとかどうでもよくなってきて、ギリギリの挑戦を求められるようなレースに出場するということ自体が、私の本分を良く発現させ、良く生きることに繋がる行為なのではないかと考える、、、みたいな感じです。
滅茶苦茶抽象的なことを書きますと、
この世界に、このような誰しもができるわけではない能力を持って生まれついているのだから、それを精一杯発現させて、自己を昇華させることこそが、自身の”本分”を果たしているというか、良く生きるというか、「私も嬉しい・世界も嬉しい」みたいなWell-beingな世界に繋がるのではないかと感じているのです。(これはたとえば大谷翔平が別の世界線では野球やってなかったとしたら"ちょっともったいなく感じる"みたいな感覚に近いかもしれません)
実際、そうやって「自分のイデア発揮してるな」という感じで生きている時に、私は相対的に活き活きとしてて、周囲にも人が集まってきてくれるような気がしてます。内的・外的モチベーションとか、自分らしさとか、そこで得られる結果・成果とか、本当にやりたいことなのかとか、ごちゃごちゃといろんなことを考えては打ち消して、散々悩み尽くしましたが、結局、自分が心の底から楽しいと思えるようなことは”自分の本分(イデア?)”と”好き”がちょうどよく重なり合った周辺にあるような気がしています。
そして経験上、それは自分が知っている守備範囲の一歩先にあったりします。だから、その経験は”好き”という気持ちだけじゃなくていいし、完全なオリジナルである必要もない、と考えています。
(嗚呼、③の文章が下手過ぎる)
無駄を愛している
①~③のような思考過程と理由で、なんとなく自分も達成できたら嬉しいし、なんとなく自分がそれをチャレンジすることで世界が盛り上がりそうなことは、死なない範囲でやっていったらいいじゃないかと思っています。
今回、そのちょうどいい位置にあるのがハセツネCUPでした。
昨年の秋はトルコ歴史旅行に、OMMエリートクラスに、つくばマラソンに、ハセツネ以外にも初めて挑戦してみたいことがいっぱいでした。
体力的な問題ももちろんありますが、何より抱え過ぎて一つ一つのチャレンジが薄味になってはいけません。じっくり好きなように調理して、この一口を濃密に味わい尽くさないと。
まぁ、そんなところです。結局書いてみたら”なんとなく”に落ち着いてしまったんですが、無駄な文字数を書き、言葉を尽くして、少し”なんとなく”の解像度が上がったような気がします。
人生に意味があるかないかなんて論争はもはやどっちでもいいですが、確かなことは「無駄や冗長が人生を味わい深くするのだ」ということです。
そもそも、山の中70kmを10時間で走った経験なんて何の意味があると言うのか。誰かが作った地図の上でオレンジと白の目印を探し出して興奮することに意味なんてあるわけがない。全部無駄です。
でもそういう経験で、人生は美味しくなるでしょう。
だからこんな無駄な時間を費やして、無駄に長い文章を書くのです。
”無駄を愛している” そこは文章においても徹底していきます。
準備・トレーニング
エントリーすると仲間が集まるのかもしれない
なんだかんだ心強くて良かったことは、所属する入間市オリエンテーリングクラブや、オリエンティアの仲間に完走者がたくさんいたことです。特に、入間市OLCの柘さんはハセツネの運営でも活躍されているとのことで、なんと今年のハセツネコース図最新版作成(地図調査)にも携わったそうです。奇しくもハセツネ最終盤と同じコースとなった入間市OLCの夏の定例トレラン(通称:スイカ登山)後に、柘さんは過去にハセツネを完走した時の地図とメモを見せてくれました。
びっしりと書かれた文字から補給やペースを緻密に計画されている様子が伝わってきます。これはまだ6月下旬頃のこと。CC7や全日本オリエンテーリング選手権やOMMやつくばマラソン、今年の秋もいろいろなイベントが輻輳していて、まだこの時期にはハセツネをその中の一つ程度にしか考えていなかったのですが、このメモを見せてもらって改めて「簡単なレースではない」ということを意識し直せたように思います。
苛烈な坂ダッシュトレーニング ~気が狂ったような夏の朝の坂ダッシュを継続する方法について~
トレーニングについて書きますが、正直トレランはあまりできていませんでした。
しかし、代わりに今年は夏の間に苛烈なトレーニングを積むことで、体重を減らし、アジリティを向上させ、登りもかなり強化することができました。
きっかけは6月の東大大会でした。私は今年35歳になったのでM35Aという今までより上の年代のクラスに出場できるようになります。
さすがに昨年までエリートクラスを走っているのだし、ある程度余裕を持って35Aは勝てるのではないかと、確か何かの流れで行きの車でそんな話をしていた矢先でした。
競技中、東大大会の前後半のエリアを繋ぐ長い長い道走りで、歩いているのと変わらないようなスピードでヘロヘロと情けなく進む私を、源後知行選手がものすごいスピードで走って抜いていきました。源後選手はその日、35Aのクラスと比べると若さと体力に溢れた強豪ひしめくM21Aクラスで2位に3分差をつけて優勝していました。
源後選手は私が35Aを無双しようとしたところで必ず立ちはだかる壁です。
車の中で先述のような話をしていた私の驕り高ぶった気持ちを見抜かれたような完璧なタイミングで、そしてまるで、頬を殴られたかのような衝撃でした。
私はこの瞬間の情けなさをよく噛み締めました。具体的な取り組みのレベルというよりもっと手前の精神のレベルで、とにかく意識改革を図らないと今のままではダメだと思いました。
30℃近い猛暑の中での坂ダッシュはその翌日から始めました。
ちょうどこの頃、平日朝のオンライン英会話を習慣づけ始めたので、その後自宅近くにあるいくつかの登り坂(300~500m up30~40m程度)を5~10本ダッシュし、そのまま距離も稼ぐために多摩川まで走って約13.5kmというコースを走るようになりました。
人間の身体はタンパク質でできており、タンパク質は熱により変性・失活していきます。国が運動を止めるレベルの危険な暑さですから、これらの練習は明らかに身体に悪く、きっと私の寿命を縮めていることでしょう。それでも、自分のことを「無力だ」と思いながら生きてるよりはマシなのです。辛い時はあの源後さんに抜かされた情けないシーンを思い出します。
この時期は、もう理論とかどうでも良く、気合いと根性、とにかくあの惨めな自分の姿を思い出して喝を入れるようにガツガツやる、情けない顔は捨てる、それだけでした。
朝からこんなに呼吸を荒くして大汗をかいて何をしているんだろう、と思う日もありましたが、小江戸大江戸を完走できて腑抜けた顔が、毎日毎日やり切った時に少しだけ戦う顔に変わっていくように感じるのです。
効果は徐々に出てきている予感がして、7月のはりま大会くらいから、苦手な登りをいつもより走れるようになってきているのを感じていました。
その後もトレランに行く余裕はできず、8月もロードでのトレーニングばかりでしたが、朝の坂ダッシュだけはなんとか継続できました。むしろ朝しか走れない気候がひたすら続いていたので、”朝5時~6時に起き、オンライン英会話をやり、すぐ着替えて坂ダッシュやってそのまま13.5kmコースを走り切る”という、仮に他人から強制されたとしたら気が狂ってしまいそうなルーティンを確立しました。
基本的には目覚ましをかけないで「朝その時間に起きられたらやる」「起きられなかったら疲れ過ぎているのでやらない」の2択でした。
これらを続けるためにとにかく思考停止、判断を介在させない・考えない、そのルーティンをこなすマシーンとなることを強く意識していました。私は人見知りなのでオンライン英会話であっても「人と会う約束をする」とか微妙にハードルがあるのです。平日社会人モードに入ってしまった昼とか夜とかになってしまうと、まるで自分がメインで話さなければいけない顔出しオンライン会議と同じようなソワソワを経験することになります。だから予約することすらも逡巡してしまう、そんな時間は無駄です。(それは愛してないタイプの無駄です)
なので起き抜けの意識が不明瞭な状態でとにかくPCを立ち上げて、30分後にスケジュールが空いている適当な講師を予約し、無理矢理既成事実をつくることが重要です。たとえ半分寝ぼけながらの操作であっても、30分前に予約しておいてすっぽかすなんて失礼ですから、クソ真面目な私はそんなこと絶対にしません。こうして朝食を食べつつ30分後、必ず英会話を受講できます。
ここでもう一つポイントとなるのは「作業興奮」という脳の仕組みです。
「やる気は出なくても、とりあえず2分だけ手をつけてみよう、手を動かすことでやる気が出てくるから」とか言うライフハックとして、たまに耳にするあの言説です。
オンライン英会話、実は話し始めると意外と楽しいです。ビジネスコミュニケーションだけでなく、日本人とは普段しないような会話・質問内容も多くて、自分はそういう内省を深めるような会話が割と好きなので楽しめました。
もちろん、上手く話せないことばかりで、悔しかったり恥ずかしかったり決まり悪い終わり方の時もありますから、”あぁ~、上手くいかなかったぁ~”って感じにもしばしばなっていましたが、そんな決まり悪い記憶をすぐに忘れさせてくれる最高のソリューションがあります。
そう、坂ダッシュ、です。
この思考により、私にとって坂ダッシュは仕事で失敗した後の憂さ晴らしに飲む酒と同等のものとなりました。こうして7~8月、早朝でも28℃を超えるような酷暑の中、オンライン英会話→坂ダッシュのルーティンを平日にやりまくり、月間走行距離は両月とも370kmを超え、平均体重も2㎏落とすことができました。
このエピソードにおいては、現代社会において完全に悪者扱いの「思考停止」がこんなに役に立つことがあるというのもアピールしたいポイントです。
こうした努力の甲斐あってか、9月末に行われたCC7では1走で初の区間賞を獲得することができました。最後の2人に絞られるまで競り合った羽田選手は、4月に閉鎖する前の織田フィールドで何度も競り合った仲だったので、あまりにも感慨深かったです。トラックでインターバルに取り組んだ時の感覚でも羽田選手は自分と同等以上のスピードと追い込む力があって手強くて、ラスポを先に叩いた時も私の力では絶対に逃げ切れないと思いながら、”でもこのタイミングしかない”と思って仕掛けました。そして、あの長いラスポゴールをなんとか逃げ切れた時、「あぁ、あの夏の取り組み、間違ってなかったんだ」とようやく確信に変わりました。
平然とルーティンを続けられていたかのように書きましたが、さすがに8月後半頃には午前中に居眠りを我慢しきれないくらいに疲労も蓄積していたので、これだけ時間と身体のリソースを捧げたこの夏の取り組みの成果が本当に出るかどうか、すなわち、ただ寿命を縮めただけの狂った思考停止野郎で終わらないかどうか、は自分のメンタル的にも重要でした。
直前の準備① ~コース試走~
CC7はチームとしては結果が出なかったものの、個人では区間賞という最高の結果を得ることができ、またレースシーズン1発目の重要イベントが終わったので精神的に少し余裕ができます。1週間前の10月6日は元々OMMのパートナーである結城くんとOMM対策トレラン(ペースや装備の確認など)の約束だったので、
奥多摩駅~鋸山~大岳山~御岳山~日の出山~つるつる温泉
というコースにしてもらい、ついでにハセツネで最終盤に走るコースを確認させてもらうことにしました。ここでいろいろとミスや勘違いを抽出できたのが非常にありがたかったです。
まず服装について、夜間との気温差をどれくらい防ぐべきか、予め着込むべきかを意識していました。レース中は不要な着脱をしないで、できる限り同じ服装で走れるのが理想だったので、アンダーウェアのブレステックPPやMILLETのアミアミ(上下)を走り始めから着てみることにしました。
すると大変なことに、走り始めて1km弱で、まるでサウナに入っているかのように頭がぼーっとし始め、クラクラと立ち眩みがしました。結城くんに体調が悪いことを伝え、アンダーウェア類を全て脱ぎ、進むペースを落としながら1時間くらいするとようやく気持ち悪さが解消されました。
私は運動を始めると極端に体温が上がりやすく汗をかきやすいという特徴を持っており重々気をつけていたつもりでしたが、これほど発汗や保温に特化した高機能ウェアを着て、その保温機能がここまで悪い方に働くのはさすがに予想外でした。
前週のこの日は小雨ながらも気温約22℃、当日は晴れ予報で最高気温26℃です。前週にこの服装を予め試しておかなかったらと思うとゾッとします。
また、直前に大岳山を通過するコースを走れたのも非常に良かったです。
先ほど書いたように、本当は入間の6月のトレランイベントで走っていたのですが、その時はあまりハセツネのコースを把握しておらず、私のようなオリエンテーリングをやっている競技者が通過しても、よくある急傾斜の登山道としてしか認識できませんでした。しかし、”ここを夜間に極限の疲労状態で通過する”という意識を持って走ると景色の全てが違って見えます。この日は雨で靴のグリップが効きにくかったのも相まって、急傾斜の鎖場や滑落したら10m以上落ちそうな斜面の存在が本当に怖くなりました。経験者である入間の柘さんや久保田さんから「夜間の試走はやっておいた方がいい」とアドバイスはされていたのですが、結局やれなかったことを少し後悔しました。
私は元来夜型で、小江戸大江戸200kを完走した時の感触からも、せいぜい午前2時くらいまで走る程度なら問題ないと思っていました。しかし、しっかりした歩道がある都市部の道路と本格的な山道は違います。この日走ったのは、大岳山以外は比較的良質な走りやすいトレイルでした。しかし、三頭山に向かう西側のコースは行ったことがないですし、走り始めて5時間もすれば午後6時なので真っ暗になるはずです。もし順調にいけば、恐らくその時点でトレイルを30km近く走っているでしょうか。
そうした”極限の疲労”×”暗闇”×”ガレた山道”というのを、やはり経験しておくべきだった…
ここにきてようやく「あれれ、これ、最悪の最悪、本当に死ぬのでは…?」ということを意識し始めました。オリエンティアの中でも最近ハセツネにチャレンジしている選手は多くて、昨年も開催されたタイミングでSNSを観ていました。
そして、走力・体力的にはそれほど自分と変わらない選手がある程度余裕を持ったタイムで完走していたのも相まって「小江戸大江戸を完走した自分なら完走自体はそこまで難しいレースではないだろう」とどこか慢心や油断があったように思います。柘さんからメモを見せてもらった時からさらにもう一段、「ちょっとした油断が、本来の意味で”命取り”になるかもしれない」ということを強く意識して気を引き締めました。
直前の準備② ~Trippersでの学び~
その後、私は全く予定はしていなかったのですが、結城くんがOMMのザックを新調したいと言うので、立川駅にあるTrippersというアウトドアショップに同行させてもらいました。いいジェルや補給食があったらちょっと買い足せればいいな、くらいの期待感で言ったにも関わらず、ここで、これぞ”渡りに船”という素晴らしい出会いがありました。
このTrippersの店長、ハセツネは6回の完走経験があり、さらに来週の出場に向けた装備を、なんと店頭で完全公開しているではありませんか!
さらに目標タイム13時間に向けて約2,800kcalを持つ、と明言。もちろんそのラインナップも完全公開。Trippersの店員さんは他にも何人かハセツネ出場予定で「ジェルや補給食は店長が持って行くものそのまま持って行きますよ、考えるの面倒なので〜笑」などと笑っていました。
た、確かに、目標タイムが変わらないなら、それは実に合理的、、、
RUSH30を購入しに来た結城くんに若干の申し訳なさを感じつつも、店長が近くに来た隙に、ハセツネのことを質問しまくります。過去6回の最高タイムは11時間20分くらい、と自分の目標設定とも合っていて、このタイミングでアドバイスを乞うのにこんなにピッタリの人もいないでしょう。このさながら”ハセツネフェア!”のTrippers店内で有用な情報を聞きまくりながらアイテム(補給食)もいろいろと買い足すことができ、なんだかRPGゲームみたいで、いよいよ楽しくなってまいりました。恐れたり落ち込んだりワクワクしたり、この1日いろいろあったものの、蓋を開けてみれば朝から晩までハセツネ尽くしの素晴らしい対策練でした。
このあと、一応言っておくべきかと思い、妻に「週末のレースは0.01%くらいの確率で死ぬ可能性がある」と言ったら出場停止を食らいそうになったので、「すみません、死ぬ前にレースを中止するよう最善を尽くしますのでどうか、、、」と懇願する、という小事件がありました。
「なんと、お前がいたではないか!」
ここまで考えて準備していたにも関わらず、最後の最後まで悩んで前日に超重要な装備を変更しました。足回りの最重要アイテム、トレイルランニングシューズです。
ここ2年くらいSCOTTのSuper Trac RCというシューズを愛用していており当日もそれで走ろうと思っていたのですが、前週の対策練後に見ていたら、左足内側のシューズとソールが剝がれ始めていました、、、
正直まだ剥がれ始めなので、もう少しくらい左右に体重をかけてもレース中に破損する可能性は低いと思っていましたが、この剥がれがシューズについて考え直すキッカケになったのである意味ラッキーでした。元々、Super Trac RCは自転車で有名なSCOTTというメーカーが好きだったのと、デザインがどストライクだったので購入しました。
もちろんトレランシューズとしては申し分ない性能を持っていたのですが、軽量性に優れたシューズで、その分靴底やサイドの防御力は低いです。固く尖った岩を踏んだり、つま先あたりを岩にぶつけたりすると結構な痛みが足にダイレクトに届きます。2年使っているだけにグリップ力も低くなってきており、前週のトレでも濡れた岩場では滑ってしまう場面が多かったです。また、ランニングシューズで言うと中底からそれ以下くらいの部類なので、これまでの実績で言っても、トレイルを走って15㎞くらいで脚が疲れてくる印象が残っていました。
このように、たった一つの不安から、何もかも悪い方に想像してしまうのはレース前あるあるです。しかし幸運にも、今回は良い方に働きました。
「もうSuper Trac RCと心中するしかない」と思いながらも土曜日、用事のついでにどこか後ろ髪を引かれるようにしてスポーツショップのトレイルランニングコーナーを見に行った時のことでした。ハセツネ完走者に人気のHOKA Speed goatなどを眺めて「あのくらいの分厚いクッション、10時間走るのには必要だよなぁ」と思いつつ、「あのくらいのクッションあって、自分の足型にも合って、高性能なトレイルランニングシューズ、半額くらいで特売したりしてないかなぁ」とのび太並みの都合の良い妄想をしながら、店舗を眺めていると、Northfaceのvectivというシリーズのシューズが目に入ります。
僥倖、天啓、そこで私の頭は雷に打たれます。
「あ、あの靴、持ってる」
私は自分のフィーリングにピッタリ合うシューズに巡り合うのはかなり難しいことだと考えており、遭遇する確率を上げるために、普段履きからスニーカーなどではなく、普段履きに使えそうなトレランシューズやランニングシューズを購入しています。(という口実により、、、以下略)
Northfaceのvectiv infinityは2年前にOMMで使うザックを買った時に、6割引きで1万円を切るくらいの値段で手に入れたシューズでした。だいたい一度試走して、一軍入りするか、普段履きで二軍暮らしをするかが決まります。
クッション性の高いシューズだったので小江戸大江戸200kで使えるかもしれないと考えて一度7時間かけて60㎞平地を走ったこともありました。
しかし、監督の判断は残酷にも二軍行きでした。靴下との摩擦を減らすように靴の中は靴下の滑り止めに貼り付いてくるような素晴らしい機能が実装されていたのですが、それすらも普段履きとしては裏目に出て快適性を落とすと、首脳陣から判断されてしまいました。彼は普段履きその3的な存在として、玄関や靴棚を賑わすだけの存在として腐りかけていました。
「明日、一軍来れるか?」
まるで一軍で故障者が出た時のプロ野球のように、たった数時間の間にvectiv infinityは翌日の試合のスタメンに抜擢されます。
帰宅してからこれまたスタメンの機会を待ちわびていたSuperFeetのインソールも入れて、履いてみるとフィット感もそれなりで、特にSuper Trac RCと履き比べるとクッション性能が断然違います。ギリギリでしたが、明日はvectiv infinityで勝負することに決めました。
やはり一度7時間走っているという信頼は大きく、この判断は結果的に大当たりでした。しかし、散在するために口実に過ぎなかったあの方法で選んだ靴がこんな土壇場で役に立つ時が来るなんて思いもしませんでした。
レース当日
武蔵五日市は遠いですが13時スタートなので朝はゆったりしてました。
本当は8時起床で良かったのですが、忘れ物をしないように前日準備が想定より遥かに捗ってしまい、前日寝たのは22時台で、普通に6時くらいに起きてしまいました。心に小学生男子を飼っているので、ワクワクするとあまり寝られないのはどこまでも平常運転です。
10時開店の立川駅ビルのおにぎり屋さんでおにぎりを3個調達してから10:25立川発の電車を待っていると、色とりどりの鮮やかなトレイルランナーがこんなにたくさん。スポーティーで半ズボンでカラフルで、格好は華やかなのに色黒で、レースの緊張も相まって顔は若干根暗なしかめっ面、トレイルランナーってわかりやすいですよね。(もちろんわたしもそんな感じ)
みちの会の太田さんが先に会場の五日市中学校体育館にいらっしゃって、慣れないトレラン大会に戸惑っていたのでありがたかったです。単純に見知らぬ人ばかりの会場ゆえの心細さもありましたが、それ以上に今日はここで夜を明かす予定の人ばかりとあって、すでに寝袋用のマットを敷いている人など、場所の取り方の勝手・マナーがなんだかよくわからなかったからです。(30kでレース中に一度怒られているのでかなり小心者モードになってます、、、)
最終的な服装・装備を決定
レースに向けては荷物・装備品リストやレース中意識することなどをエクセルにまとめていました。(ちなみに一番最初に書いたのは「怒られたりトラブルになったりするとレース通して悲しいのでマナーを厳守する」という内容でした)
こうした昼夜におよぶレースはただでさえ夜間との気温差を考慮する必要があり、今回はそれに加えて標高や地形による変化も考慮せねばなりません。天候や気温によってウェアと装備の内容が大幅に変わるので、気象予報は直前の直前までかなり注意していました。この日は最高気温26℃、昼は少し暑いものの、夜間がそれほど下がらない秋の残暑ということだったので、山経験の少ない自分としては比較的ラッキーでした。
最終的に選定したウェアは、序盤の暑さ+山の上で気温が下がって汗冷えしないように汗が染みこまないことを意識して、上はインナーファクトというメーカーのドライシャツだけにしました。私はこれまで長時間レースのたびに、”絶対にウェアをびしょびしょにする滝汗男” vs "どんな滝汗でも絶対に乾くウェア"の矛盾対決を制する、至高のドライウェアを探し求めており、期待して買い求めたウェアがびしょびしょになるたびに「何が”高機能ドライウェア”じゃ、びしょびしょになりおって!噓八百ではないか!!!」と中世の王様のごとく、烈火の怒りを浴びせてきました。
そうした経験を経ているだけに、確かにこのインナーファクトはなかなか別格だと実感できました。
この判断には前週の経験も影響しています。
頼りになる高機能インナー、ブレステックPPは気に入っていますが、実は意外と汗が滴って気持ち悪くなることがあったので、下記のレビューを信じて、これだけを着てみました。高機能インナーは数あれど、だいたいが”発汗性”と”保温性”を併せ持つという特徴があります。
自分の場合はこの高機能インナーの”保温性”が効き過ぎて、素地からあまりにも多量の汗をかき、結果的にほぼプールに漬け込まれたような状態になったウェアの数々が滝汗王に敗れてきたのではないかと、そんな仮説を立てました。なので、もういっそこのシャツだけにしてみよう、と決断しました。下のウェアも同じコンセプトで、汗の染み込みようもないような生地、Salomonの50gくらいしかないペラペラのショートパンツを選びます。この判断は完璧にはまり、実はこのレース通して暑過ぎ、寒過ぎをほとんど感じず、ほぼ全区間この上下ウェアで快適に走り切ることができました。
しかし、これはたとえば、最高気温が20℃の秋晴れだったら正解が全く変わります。そのくらい微妙な感覚が必要な問題で、むしろ毎回滝汗に泣かされてそのたびに対策を考えるを繰り返しながら自分の身体の特性を熟知していたからこそ、自然との勝負を制することができたのではないかと思います。
レース前半
そうこうしているうちにスタートレーンに入る時間がきて、これから10時間以上走るというのに、かなり緊張しながらスタートします。目標タイムは「松:10時間切り、竹:12時間切り、梅:14時間切り」という感じで設定していました。相当な想定外が起こったら松コースで行くとして、基本は妻と約束したとおり、死なないで帰ればOKで!
序盤はハセツネ名物、追い越しの難しいシングルトラックでの渋滞に巻き込まれないか心配していましたが、今回は30kの時と異なり、エリートに続く第2レーンだったので全く問題ありませんでした。
特に序盤、身体がまだ元気なのに任せて飛ばし過ぎてしまうリスクが高いので、第2レーンのトップ付近~エリート中位くらいの選手たちとゆったりとペースをつくるのは疲労も溜めにくく、ちょうど良い位置取りでした。
かなり序盤のちょっとした登りで円井選手を追い越してしまい、飛ばし過ぎちゃいないか微妙に不安に襲われますが、心拍数を確認して問題ないと判断します。
10km地点くらいで後ろからロゲイニングの帝王、柳下選手が現れます。柳下選手は過去に18回完走経験あり、安定したペースで超長距離を淡々と走ることに定評がある選手です。彼が後ろから現れたことにそこそこ驚いていましたが、太田さんが「柳下さんは直前に風邪を引いてたらしい」と言っていたことを思い出して合点がいきました。70kmの距離で普段のコンディションだったら天地がひっくり返っても着いていけない柳下さんの走りを見られるなんて、、、なんという僥倖、、、
帝王の走りから学ぶものも多かろうと思い、意識して後ろを走ったり、登りで先行したり、つかず離れずを繰り返していましたが、最終的に50km地点くらいまでずっと一緒に走っているなんてことはこの時は夢にも思いませんでした。
さて、まず最初に後ろについて「なんて心地よい走りだろうか」と思いました。渋滞というほどの状態ではないものの、やはり追い越ししづらいトレイルなので、まるで自転車の協調のように前後になって一緒に走ることが何度もあります。追い越すほどでもないペースの合う選手は何人もいたものの、下りだけ急に速かったり、なんとなくリズムが悪かったり、「一緒に走っているとなんか疲れるな、、、」という選手の方が多かったです。
その選手たちと比べると柳下さんの走りはリズムもテンポも歩幅も下り方も、全てが疲れないように最適化されていて一級品でした。
何度か登りで先行して余裕をつくりつつ、第1関門の浅間峠手前で追い付かれ、2秒差で関門を通過します。しかし驚いたのはそこで立ち止まる選手が一人もいないことでした。確かに私もリズムは崩したくなかったですし、今のペースの柳下さんと協調しながら走ることでタイムも完走の可能性も大幅に上がる(何より一緒に走ってて楽しい!)と思っていたので、ここで自分だけ立ち止まって柳下さんを逃す手もなかったです。しかし、ここまで22.6㎞も山を走ってきているのですから、ここは最初の休憩ポイントのようなものだと思っていて、周囲の選手たちの動きには率直に驚きました。
ちなみにここには柳下さんのファンの方が何人もいて声援を受けており、「さすがぁ!」と思いました。
走り始めて約4時間した17時頃、浅間峠以降の登りでまた柳下さんを少し離し、補給のルールも守り、疲労もそこそこに抑えながら、ライトを取り出します。下りで1回左足を軽く捻ったり、ハイドレーションの飲み口が壊れかけたり、といった小さめのトラブルはありましたが、序盤の入りとしては悪くないのではないだろうか…と。初出場なのでこれがいいのか悪いのかわからないまま、とにかく全く動けない状態にだけはならないように、自分の身体を慎重に観察しながら進みます。
約5時間経過、コース最高峰である三頭山への登りの傾斜がいよいよキツくなってきます。そこまで登ってしまえばコースは一気に下りの区間も増えるので、登り終えた達成感はひとしお。ゼッケンはスタートレーンごとに色分けされていたので、役員の方からは「第2レーンスタートで一番速いですよ」と言ってもらえます。
レース後半
三頭山は標高1500mを超えているので若干の冷えを感じてジャケットを着たのですが、そこから一気に下ったのもあってか、すぐに暑くなって脱いでしまいます。結局夜用にいろいろと持参した防寒着や防寒インナーはほとんど使いませんでした。
このあたりから、特に時々登場する登りで段々とカロリー不足ゆえの冷や汗のような汗をかき始めるも、補給食を上手く取りながらなんとか粘ります。延々と続く下りやコンタ道はできるだけ周囲の選手と協調しながら進みます。すっかり暗くなってきて、時々大きく躓いたり、道を少し踏み外す選手が出てきたりして、「大丈夫ですか?」とやや大げさに声を出してリアクションします。自分が死ぬかもしれないということは、他の選手も死ぬかもしれない、ということです。自分が気を付けるのはもちろんですが、何かあった時にすぐに助けられるようにしようと気を引き締めていました。
第2関門の月夜見駐車場の3kmほど手前、とても軽快な足音が聞こえ、「これは先行ってもらおうかな」と譲ろうとしたら再度柳下さんでした。「また会ったね」と向こうも笑顔です。再度協調し、第2関門の月夜見駐車場に到着。6時間15分弱のタイムは昨年の太田さんの通過時間よりも40分くらい早かったので、竹(ゴールタイム12時間の)想定よりはかなり早く、松(10時間)想定からは少し遅れる程度の好タイムで通過できていることがわかります。この時点で柳下選手には40秒だけ先行したので、第1中間では2秒差、第2中間では40秒差と、ここまで山の中を6時間以上42㎞も走ってきたというのにまるでインカレリレーみたいな僅差で、ちょっと面白くなってきてしまいました。(観戦している人がいたらさぞ面白かろうなと思っていたら入間の坪居さんたちが見ててくれました)
低体温症やそれ以外の怪我によりリタイアの可能性なども含めてもっと酷い状態になっていることも想定していたので、「いよいよ完走自体はできそうだ」と安堵します。ここではさすがに休んでいる人も多く、500mlの水とスポーツドリンクを合計3本もらい、少し気持ちに余裕を持って中身を詰め替えて、小用を足してたら、帝王はどこかへ行ってしまいました、やっぱり早い(*_*)
御前山への登りはあまりにもキツかったですが、このレース最後の200mを超える一気上りということで絞り出します。途中登るペースが同じくらい の、ずっと大きな声で会話を続けながら登っている2名の選手がいましたが、申し訳ないことに自分は会話をする余裕が一切なかったので抜かす時に軽く挨拶だけしてその場を離れたい一心で逃げるように先行しました。
本当にキツくなってくる時間帯なので話をして気を紛らわす心情もよくわかりましたが、自分の状態としては会話をすると息が切れそうで、また他人に対する気遣いがほとんどできないくらいに疲れていたので、このタイミングで話しかけられると困るな、、、と思いつつ、でした。(態度悪く見えてたら申し訳なく、、、)
なんとか登り切り、その後の下り2~3km は柳下さんを含む4名の選手とトレインが形成され、頑張ることができました。正直ここさえ登ればあとのコースはだいぶ楽だと考えており、目標の12時間も明らかに切れそうだったので、柳下さんが後ろにいなかったらもっとダラダラしていたように思います。
「もしかしたら柳下さんに土をつけられるかもしれない、逃げなきゃ」と自分を奮い立たせることでなんとか振り絞りました。あとから訊いたら、柳下さんも同じように「あそこでトレインになって頑張れて良かった」と言っていたので、やはりこうした超長距離のレースでモチベーションを維持し続けるのはトップレベルでも難しいというのを実感しました。
50㎞地点くらいでまた少し抜け出します。
もう一人抜け出した選手がいて、その方から「日の出山(約60km地点、最後の頂上)からゴールまでは全力を出せば55分で行ける説がある」という情報を得ました。鋸山まではその選手と一緒だったのですが、「さっきの説が本当だったら、もしや10時間切りが見えるのではないか」と思い、そこからその選手をさらに切り離して加速します。大岳山は本当に苦しくて嗚咽をもらしながら攻略し、その後6~7km日の出山くらいまではかなり走りやすい道が続くので単独でキロ5くらいのスピードを出しながら頑張ります。
結果的に日の出山は9時間05分30秒くらいで通過でき、「これはもしや!」と希望を見出すも、時すでに遅し。
大岳山から日の出山まで一気に加速したこの1時間弱、カロリーの補給をほとんどしていませんでした。固形食のクルミ餅やエネルギーバーはここまで内臓の疲れた状態では消化にエネルギーを使うことで悪影響かもしれず、走りながら取り出せるジェルは使い切ってしまった状態でした。
ザックの中にはもう5,6本ジェルは入っていたのですが調子良く走れていたので取り出してリズムを崩すのが面倒になり、また「最後の2時間はノリでいけるんじゃないか」という考えの甘さが出てしまったように思います。
結局日の出山を下り始めて2kmくらいのところでなんでもないちょっとした登り坂すらも走れなくなり、そこから3~4kmの間は、走り始めると嗚咽が込み上げてきてしまい、速歩するのがギリギリでした。この区間は入間のスイカ登山でメインイベントを終えて、みんなで会話に興じながら楽に下山した印象がありました。確かになんとなく見覚えはあったのですが、そんな楽しい夏の思い出をかき消すくらいに辛い時間でした。
むしろ、あの時の思い出が楽しかったからこそ、ろくに補給もせず日の出山までで力を使い果たしてしまったのかもしれません。その点でも、最後の最後で自分の詰めの甘さを自覚させられました。
エネルギー切れが原因であることは自覚できていたので、胃は受け付けないながらもエネルギーバーを頑張って齧ります。ゴールまで残り5kmで、第3関門では5分差をつけられていた柳下さんにも追い抜かれてしまいます。このシチュエーション、今日は何度も何度も経験し、そのたびに「帝王の背中を追うんだ」と自分を奮い立たせましたが、この時だけは本当にもう着いていく力がありません。
残り3kmくらいになった時にようやくエネルギーバーが少し消化されて走れるようになりました。さっき「日の出山から55分」を教えてくれた選手とも再会しつつ、少し先行し、なんとか粘っていると段々と路面がコンクリートになってきて、6月に遼平や道信さんとおしゃべりしながら下った記憶を思い出します。
「ようやく本当の本当にもう下るだけだ、、、」
最後の下りもなんとか走り切ってようやく人里の明かりが見えてきて、10時間18分36秒、全体65位のタイムでゴール。
なんだかんだ言っても、
「死なないでやりきったぜ、いよっしゃあぁぁぁ!!!!!」
という爽快感は想像以上で、この前後の体調不良を感じさせないくらい素晴らしい笑顔でゴールに駆け込みます。
ゴール後の辛い時間と素晴らしい時間
欲を出して最終盤の判断をミスしてしまった甘さを自省しつつも、10時間20分を切る悪くないタイムでゴールでき、大きな怪我もありません。補給なども含めて8割くらいはプラン通りに実行できて、総じて素晴らしいレースだったと振り返り、感無量の気持ちになりました。
柳下さんは10時間12分台の約6分差。ベストなコンディションでなかったとはいえ、初出場で柳下さん相手に60㎞以上逃げるなんて十分な結果です。何より一緒に走っていただけた道のりは本当に楽しく、感謝の気持ちに溢れました。ゴール後の待機スペースで一緒に反省をする時間すらも夢のようです。
体育館に戻ると終盤の無理が祟り、猛烈な吐き気に襲われます。まるで乗り物酔いした小学生のように寝袋にくるまって体育館で倒れ、吐き気が酷いので、一刻も早くカロリーを摂りたい状態なのに何も口にすることができませんでした。今夜はここで一夜を明かさなければならないのに、寝袋を持ってきたもののエアマットを忘れてしまい、固い体育館の床では全然体力が回復する気配がありません、、、
先ほどの爽快感はどこへやら、「こんなレース二度と出るもんか」としくしく泣きたいような心情です。
約2時間すると太田さんが帰ってきて、私もなんとか立って歩けるくらいになっていました。柳下さん、円井さん、山田高志さんと合流しながら豚汁を食べたり、特別深夜営業の温泉に入ったりしたら少しずつ回復しました。
オリエンテーリング界×超長距離界の生きる伝説たちと、朝の4時に啜るラーメンは最高でした。
この秋はレースシーズンがまだまだ続きます。
先述のCC7、ハセツネ、昨日終えた全日本オリエンテーリング2日間大会、OMMエリート、つくばマラソン、そして12月8日、優勝へのリベンジを果たす全日本リレーです。これらのレースの中でも未経験のハセツネは自分にとって最も難しいレースで、非常に達成感があります。完走できて本当によかったです。
余談
余談ですが、昨日走り終えた全日本オリエンテーリング大会ロング種目は11㎞のアップ725mでハセツネの1/6くらいのコースプロフィールでした。Xのタイムラインがあまりのタフさにどよめく中、私にはかなり精神的なアドバンテージがありました。
実際に、ロングを走り終えた翌日の今、例年の全日本ロングを走った翌日と比べたら全然疲れていません。これは従来はなかった感覚だったので非常に嬉しいことです。依然として内臓が弱すぎるので超長距離のアスリートとしてはこの辺が限界と思っていますが、まだまだ成長できる感触があるというのはいくつになっても嬉しいですね。
それではこの記事を締めたいと思います。気が向いたら装備リストとか追加するかもしれません。では、ここまでお読みいただきありがとうございました~(終)