シェルブールの雨傘~備忘録編集中~
大我さん、29歳のお誕生日おめでとうございます。
一年に一度の大切な日にも板の上に立つ貴方。
歩みを止めない貴方に、これからもついていかせてください。
私にとっての大我さん舞台3作品目。
小さな頃の海外旅行での一番古い記憶がパリ。中学校卒業の頃に再度訪れたパリの記憶は鮮明にあるし、高校生の頃にはフランス語の授業を履修した。
私にとってフランスは憧れであり想い出であり大好きな場所のひとつ。
そんなフランスが舞台になる作品に心ときめかせて、今回も備忘録を。
第一部 出発
01. 1957年11月:クレジット(インストゥルメンタル)
まずフルート入りなのがすごく良い……
そして演目名に”雨傘"とついてる故なのか”雨”に対する演出がガチ。本物の雨が降ることによって増す音源だけでは表せない音の厚み、切なさ。雨が降ってない場所でもプロジェクションマッピングで跳ねる雨。初回は3階席からの観劇だったんだけど、そういった演出が素敵で、始まった瞬間から映画の世界に入り込むことができてすごくワクワクしたな~。お洋服や傘が雨の暗さに映えていたのも”フランス映画”を連想させてワクワクした。
(2回目、1階席で観劇したことでギィの登場に花道を使ったことを知りました。あれは3階は全く見えん笑)
02. 1957年11月:ガレージのシーン-ギイ
仲間とわちゃわちゃしているギイがとっても可愛い!
03. 1957年11月:店の前で-ギイ、ジュヌヴィエーヴ、エムリー夫人
『ずっとそばにいて』『ギイ好きよ』『24時間あなたのことばかり』
04. 1957年11月:伯母エリーズの家で-エリーズ、ギイ、マドレーヌ
パンをばくばく食べてから喉に詰まらせる一連の演技が可愛くて大好き
エリーズから何か良い事でもあったの?と聞かれて照れくさそうに笑うの好き
(下唇噛む癖かわいいよねぇ@11/22)
05. 1957年11月:通りで-ジュヌヴィエーヴ、ギイ
服に針がついてるから抱きしめないで!と牽制するジュヌちゃん、ラブラブで可愛いんだよねぇ
06. 1957年11月:ダンスホールで-ギイ、ジュヌヴィエーヴ
カルメンみるときに癖の鼻すんすんやってて可愛かった@11/24
『靴があわない(´・ω・`)』の後少し微笑み、椅子に置いてある鞄を取ってジュヌに渡し、コートも持って帰路につこうとするギイさん、好きでした。
07. 1957年11月:桟橋で-ギイ、ジュヌヴィエーヴ
ほっぺをとんとんってしながら(だったよね……?)
『ここ(´・ω・`)』『どこ?(´・ω・`)』『ここ(´・ω・`)』ってキュートなやりとりしてたの大好きだったな~~
子供ができたら~なんて将来を語る二人。男の子ができたら~~いいえ私の家系は絶対女の子!フランソワーズと名付けましょう♪ガソリンスタンド屋さんをやろう!なんて。どっちもその通りの未来、でも築く家庭は別。そんなことを知りながら観るのは苦しすぎて……。
ただこの後の展開は好き!『本気で言ってるの?16で結婚を~?!怒』
ってマッマが言うだろうってマネするシーン。希和ちゃんの一瞬で切り替わるの表情と声がかっこよくて!!
映画だと場面の切り替わりがより分かりやすい表現だったのも好きポイント!
08. 1957年11月:傘屋の中で-ジュヌヴィエーヴ、エムリー夫人
『美容院も予約しなくちゃね』は最初よくわからなかったけど映画をみて理解したポイント。ネックレスがないと寂しいから髪型変えなきゃってことだったんだね~。最初からちょっと気が強そうにみえるマッマだけど、娘の話を受け入れて大切な宝石を売るところから意地悪じゃないんだな~とよく分かったのがこのシーンだったかな。
09. 1957年11月:デュブール宝石商の店で-デュプール、カサール、エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ
『宝石を扱う、ローランカサールと言います♪』の語呂が良すぎて好きなのはきっと私だけじゃないはず。
10. 1957年11月:店の中で-エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ、カサール
カサールさんが来ない、一緒に待っていい人か見極めて(´・ω・`)とお願いするマッマをよそに、ギイの元に駆けだすジュヌちゃん。
11. 1957年11月:ガレージの前で-ジュヌヴィエーヴ、ギイ
ついに赤紙がギイの元へ。ルンルンで歩み寄るジュヌちゃんと困惑するギイ。
11/22と12/8はジュヌの眼も鼻も赤くなっているように見えたのが印象強かったけれど、対して11/24は灰色の世界に入り込んだ風に見えた。眼から全ての光が消えていて、どちらの演技も惹き込まれる苦しかった…。
ジュヌヴィエーヴ
「2年、2年耐えれば…」「2年も耐えられない」「愛が薄れてしまいそう」
ギイ
「今は今だけを見よう」「また会うときは強くなって」「君だけを愛してる」
12. 1957年11月:エリーズの家で-エリーズ、ギイ
13. 1957年11月:アパートで-エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ
別れるまではきっと堪えていたものが、家に着いた途端糸が切れたように目に涙を浮かべ、『ママー・・・』と叫ぶジュヌが辛くて辛くて。
なのに忘れなさいだなんて。『酷いママ!慰めてもくれないのね』ここからは全てを悟ったかのようにまた眼が灰色になっていくんだよね。。
14. 1957年11月:エリーズへの別れ-エリーズ、ギイ、マドレーヌ
(このセットアップ好きです、不謹慎御免)
生きて絶対に帰ってと願ったのは、ギイのためでもエリーズのためでもなく、福麻さんのため……
15. 1957年11月:駅(ギーの出発)-ギイ、ジュヌヴィエーヴ
操られる雨音からも、嘆く心の痛みがひしひしと伝わるようで……
第二部 不在
16. 1958年1月:店の中で-エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ
命すら危うい最前線
追いやられた
>違う理由
違う理由って何?
>いい人が
嘘はやめて
>心移りしてしまった
>書く気があれば手紙は来る
17. 1958年1月:ディナー-エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ、カサール
18. 1958年1月:カサールのプロポーズ-カサール
19. 1958年1月:ギイの手紙-ギイ
“今は今だけを見よう 残された時間を愛おしもう 最後のひとときを胸に刻もう 美しい思い出が明日を生きる支えに” のギイと、“何年も前に別れたみたい 写真を見ても別人みたい でも写真にすがるしか思い出が他にない”
20. 1958年1月:カーニバル-エムリー夫人、ジュヌヴィエーヴ
お願い貴方の将来考えてママよりも幸せになってほしい
心配しないでママ私は必ず幸せに生きる
21. 1958年1月:結婚式
カサールを受け入れ、結婚式に向けてベールをつける前にハンカチで涙をぬぐっているのが印象的。きっと演出なんだろうけれど、それにしては後ろを向いて暗い中でってのが妙にリアルでまた涙がこみ上げる。
テーマソング、ずっと短調なのに、結婚式のタイミングで長調になるのがすごく対比で辛い。ジュヌの心は泣いてるのに。。(ピッコロ大活躍シーン)
カサール「あなたを癒したいのです、愛で」
『ギイがあなたの王子様だとしても、未来はくれない』
第三部 帰還
22. 1959年3月:ギイの帰還(インストゥルメンタル)
23. 1959年3月:エリーズの家で-エリーズ、ギイ、マドレーヌ
無事に帰ってきたのに、エリーズも生きて待っていてくれたのに、ジュヌヴィエーヴだけがいないシェルブール……。引きずる脚が手榴弾によるものだと話す仕草が苦しい。
24. 1959年3月:ガレージ(言い争い)-ギイ、オーバン、客
25. 1959年3月:カフェのギイ-ギイ、雇い主、工員2人
いやーーここは数少ない、大我さんとして刺さるシーンですかね()
やさぐれ万歳!
絶対喧嘩に発展しないって分かってるのに、店員さん怒らないで~~ごめんね今ちょっといろいろあって~~涙って心の中でいつも思ってた笑
26. 1959年3月:マドロスダンスホール-ギイ、ジェニー
『じゃあジェニー』『またどうぞ~』のフレーズの音のハマり具合が大好きなのはきっと私だけじゃないはずpart2✌
ここではジュヌヴィエーヴの名前を無意識で呼んでしまっていたことを暴露されるわけだけども、自嘲している姿がまた辛くてさ……
27. 1959年3月:ギイとマドレーヌの2重唱
『エリーズが夕べ。』たったこのフレーズだけで全てを理解させるように歌うの難しいだろうな~と冷静に毎度観てしまう。
孤独になるのが辛いというだけよ
28. 1959年6月:カフェのテラスで-ギイ、マドレーヌ
やさぐれ期は前髪が内側に入っててクワガタみたいになってるけれど、やさぐれ期が終わった後は整うところが好き。前髪を操る大我さん最高なので。
29. 1959年6月:ガソリンスタンドで-マドレーヌ、ギイ
30. 1959年6月:フィナーレ-ジュヌヴィエーヴ、ギイ
日によって二人の未練比率が違うよう?なのであくまでも私視点で。初見では店内に入るまでのジュヌの表情を全然見てなくて、毅然とした態度でいるのに対してギィは動揺して泣いてるようにみえた二回目はギィの背中を追いかけて店内に入るジュヌがギィと目があうまでの間に目に涙をためて拭く姿を見て、少し安心した。。途中クリスマスツリーの前でギィが泣くのを堪えられなくて口を手でぐっと覆う姿が苦しかった。ジュヌの名前をかき消されるようなタイミングで、大事そうに、噛みしめるように一度だけ呼ぶのがたまらない。退店したジュヌを追いかけるギィも辛くて見ていられない……
ラストのシーンでジュヌヴィエーヴって一度だけ呼ぶところ、映画でも同じように呼んでるけれど字幕は「どうるす?」なんだね……今なら名前を口に出しても会話に紛れるからもう呼べない名前を最後にもう一度だけ
***
この備忘録を書き始めるにあたって、過去2作品の備忘録を読んだ。大我さんカッコイイ!かわいい!と悲鳴をあげてる私がたくさんいたのね。笑
でも今回の作品では、”大我さんの仕草”ではなく”ギィの仕草”として受け止めることがほとんどだったように思う。
一幕はジュヌヴィエーヴでしめ、二幕はギィでしめるのが苦しくて美しい対比にしたかったのだろうか、映画のように最後幸せな姿を見れたら救いがあったのに
Special thx
☂公式サイト: シェルブールの雨傘 ~Les Parapluies de Cherbourg~
☂Amazon: シェルブールの雨傘(字幕版)
☂Universal Music: シェルブールの雨傘 オリジナル・サウンドトラック
☂Youtube: 『シェルブールの雨傘』公開ゲネプロ
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