小島洋々
小島洋々[コジマ ヨウヨウ]
経歴
本名小島正次。明治24年12月16日、東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区台東・東上野辺り)生まれ。生年月日については、明治21・22・25年11月の説が有る。また、本名を小島正治とする説も有るが、誤植と思われる。
明治42年、旧制埼玉県立浦和中学校を卒業後、旧制東京音楽学校に進学。学業の傍ら、この頃から既に旅芸人として地方各座を巡業していたという。明治45年卒業後、帝國劇塲歌劇部(洋劇部)の第1期生として入部。小島洋々を名乗り、日本の歌劇界に影響を与えた演出家・J.V.ローシー(ジヨヴアンニ・ヴイツトーリオ・ローシー)に師事する。同期には、石井林郎(石井漠)、柏木敏(小森敏)、南部邦彦、松山芳野里、山川浦路、澤美千代(澤モリノ)、中山歌子、石神たかね(南部タカネ)、河合磯代(村上菊尾)、原勢伊子(高田せい子)、井上增布(井上起久子)などがいた。大正3年、卒業して帝國劇塲の専属となる。七代目松本幸四郎、柴田環(三浦環)のほか、新劇団・近代劇協會とも共演したが、間も無く脱退。大正5年、高木德子の招聘により、新派女優・川上貞奴一座および伊庭孝、杉寬、正邦宏、澤モリノ、天野喜久代らと共に歌舞劇団・世界的ヴァラエテー(世界的ヴァラエテイ、世界的バラエチーとも)を結成。淺草キネマ倶楽部、甲府櫻座を振り出しに、東海・甲信越地方を巡業。同年解散後、松本泰輔、杉寬、澤モリノらと共に高木德子一座に正式加入。大正6年、一座が新劇団・歌舞劇協會と改称。引き続き赤坂演伎座などに出演していたが、松本泰輔、杉寬、澤モリノらと共に連袂退座。山本嘉一、青山杉作、内山惣十郎、岩間櫻子らと共に歌舞劇団・傑作座を組織し、半年間のみ大阪蘆邊倶楽部(大阪アシベ倶楽部)に出演。その後、石井漠、内山惣十郎、澤モリノらと共に東京歌劇座を組織、日本館に出演した。大正7年、奇術師・初代松旭齋天華一座に加入。歌劇部主任となり、再び地方巡業の旅に出る。大正9年、初代松旭齋天華の急逝により解散。下阪して、石井漠、外山千里(佐々木千里)、中根龍太郎、澤モリノ、石井小浪らと共にオペラ座を組織。大阪樂天地など、関西・関東各座に出演。大正11年、杉寬、河合澄子らと合同して、民衆舞踊劇團と改称。後に脱退し、櫛木龜二郎、河合澄子らと共に聚星歌劇座を組織。数ヶ月間のみ東京早稻田劇塲に出演した。
大正11年、映画監督・細山喜代松の招聘により、日活向島撮影所に入所。映画俳優に完全に転向。山本嘉一主演の新派映画に端役出演し、映画デビューを果たしたというが、詳細不明(目下調査中)。大正12年退社後、帝キネ芦屋撮影所に移籍。松本英一監督『山の力』などに出演し、松本泰輔、濱田格、高堂國典、里見明、歌川八重子らと共に主演スタアとして大活躍する。大正14年、トラブルメーカー・立石駒吉の大量引き抜き、横山運平、鈴木歌子など新たに入社した俳優との待遇をめぐって内部分裂が発生。松本泰輔、濱田格、里見明ら帝キネ芦屋撮影所の創立メンバーと共に連袂退社。元帝キネ芦屋撮影所長・石井虎松と同行してアシヤ映畫製作所(芦屋撮影所)の創立に参加したが、僅か数ヶ月で解散。再興された帝キネ芦屋撮影所に復帰した。大正15年、帝キネ小阪撮影所(旧小阪映畫)、剣劇団・映畫座との吸収合併に伴い、帝キネ芦屋撮影所が閉鎖。昭和3年、新設された帝キネ長瀨撮影所に異動となる。鈴木重吉監督『何が彼女をさうさせたか』などに出演し、専ら三枚目役・老け役として数多の作品に出演。昭和5年、帝キネ長瀨撮影所が火災により焼失した為、松本泰輔、藤間林太郎、淺野節らと共に帝キネ太秦撮影所に異動となる。昭和6年、新興キネマに改称された後も継続入社、新興京都撮影所の専属俳優となった。昭和10年、東寶の前身会社であるP.C.L.映畫製作所に移籍。昭和12年、東寶映畫撮影所に吸収合併された後も継続入社、終戦まで在籍した。
昭和22年、東宝争議の発生に伴い早期退社、新東宝に移籍。この頃から映画出演の傍ら、放送劇(ラジオ)にも積極的に出演。昭和26年、伊志井寬、伊井友三郎、小堀誠らと共に放送劇団・声の劇場を結成。昭和28年、放送劇振興・軽演劇復興を目的として、淸水金一、丘寵兒、三木のり平らによって結成された東京ラジオ・サークルにも参加した記録が有る。昭和29年、新東宝を退社、東映東京撮影所に移籍。戦後の出演作品のほとんどが端役であったが、多くの作品で堅実な演技力を見せた。昭和37年、ニュー東映製作の村山新治監督『故郷は綠なりき』に出演したのを最後に東映を円満退社。芸能界を引退した。引退後、第7回「映画の日」中央大会において、映画業界に40年以上勤務した功績が認められ、永年勤続功労章を受章。同年、古海巨の著書『映画に生きた古海卓二の追憶』が刊行。同書において、前年(昭和36年)に死去した元映画監督・古海卓二との思い出を寄稿。昭和42年、旧知・内山惣十郎が著書『浅草オペラの生活』を発売。同書において、杉寬と共に当時の思い出を寄稿した。
昭和50年6月以降の小島の消息は不明。没年不詳。
関連項目
帝國キネマ俳優名鑑(準備中)
新興キネマ俳優名鑑(準備中)
東寳映畫俳優名鑑(準備中)