短篇小説「み覚」
「わかりみが深いわね」
辛子が頷きながらそう言うと、甘彦は小さく首をひねりながら、
「でもおかしみはないよね」と言った。
それはけっして楽しい話題ではなかったが、そんな中にも常におかしみを求めるのが甘彦だった。昼飯時のファミレスは混雑していて、なかなか注文の品は届かない。
「でもおかしみが入ると、わかりみが減るじゃない」
辛子はおかしみとわかりみは、相反する要素だと思っている。
「いやおかしみが入ったほうが、わかりみもさらに増すはずだよ」
やはり二人は価値観が合わないのかもしれない。
「まあそう言われてみると、それはそれでわかりみが深いかも」
辛子には意外と謙虚なところがあった。あるいはそれが自分の弱さでもあって、合わせにいった価値観は合っているとは言いがたいのかもしれない、とも感じていた。
「そんなに簡単にわかりみが深まるとしたら、きみのわかりみにはたしかみが足りないんじゃないのかな」
甘彦は辛子が自分に話を合わせてくれたのが、嬉しくないわけではないのだが。
「そんなことないわよ。むしろ考えかたにやわらかみがあると言ってほしいわ。あなたのほうこそ、うぬぼれみが高いんじゃないの?」
せっかくいい雰囲気になってきたのに、また妙な味が入り込んできてしまった。
「そこは『高い』でいいのかな?」
しかし甘彦が引っかかったのは、味よりもそのあとに続く形容詞のほうだった。
「だって『鼻が高い』とか言うじゃない」
「たしかに、『プライドが高い』とも言うしな。いやそんなつもりみはないんだけど」
「つもりみ?」
辛子は聴き間違えたのかと思って確認した。
「ああ、つもりみに続くのは『固い』かな。つもりってのは、つまり意志だから」
甘彦はそれくらいの味なら応用の範囲内だと思っている。
「でも本当に大事なのは、意志よりも行動のほうなのよね。ちょっともっともらしみの大きなことを言わせてもらうと」
辛子は負けず嫌いなのかもしれない。
「それはさすがに長くないかな?」
「だから『長い』じゃなくて『大きい』って言ったじゃない」
「いやそこじゃなくて、『もっともらしみ』って言葉自体が」
「そんなことないわよ。『可及的すみやかに』とかよりは、シンプルみがサクいでしょ」
「英語もいけるんだ」
「時代はグローバルなのよ」
「あとサクいって何?」
甘彦は終始わかりみが浅いのかもしれない。
「勘が悪い人ね。シンプルに済ますのを『サクッと』とか言うじゃない。『サク飯行きます?』とか」
「そこまでやっちゃっていいのかな」
「だからあなたの脳はやわらかみがヘルいのよ」
「へるい?」
「ヘルは地獄のヘル。地獄のように絶望みが深いってこと」
「やっぱ落ち着くなぁ、聴き慣れた『深い』って言葉。もはや懐かしくもある」
「そこは懐かしみでしょ、せめて。欲を言えばなつみ、あわよくばエモみ」
「エモって言ったって、いろんなエモーションがあるからな」
「全部ひっくるめてエモみでしょ。エモみがエグい」
「その『エグい』ってのも、僕的にはわかりみが浅いんだけど」
「まあとりあえず手紙に書いて読み上げれば、なんでもかんでもエモみが出るのよ。バラエティ番組の最後によくあるじゃない」
「ああ、やっぱりそういうものかな」
「その点、あなたが書いたこの手紙も、内容とは関係なくなかなかエモみはあると思うのよ。エグいというほどではないけど。あとやっぱりわかりみも深いし」
辛子がトートバッグの中から封筒を、さらには封筒の中から便せんを取り出して言った。
「でもおかしみがないんだよね」
甘彦はどうしても原因をそこに一本化したいらしい。
「おかしみじゃないんじゃないかな。いまいちこう、刺さりみがグサらないのは」
「でもわかりみは深いんだよね?」
「それはそう。だけどわかりみと刺さりみは違うじゃない。ほら、わかることばと刺さる言葉って別口でしょ」
「まあたしかにそこは……なるほどみが深いね」
「そこは普通にわかりみでいいんじゃない? さすがに無理あるでしょ」
「無理の境界線がわからないな。いや、境界線のわかりみが浅いな」
「そうそう。無理したところで骨折り損のくたびれもうけみが増すだけよ」
「ことわざごといけるのか!」
「わたしくらい脳にやわらかみがあると、なんだっていけるのよ」
「じゃあ『豚に真珠』とかも?」
「万年係長のロレックス、豚に真珠みしかないわよね」
「おお、たしかにわかりみが深い!」
ようやく辛子の注文したピザと、甘彦の注文した酢豚定食がテーブルに届けられた。辛子はピザにタバスコを振り続け、甘彦は一緒に頼んでおいた隠し味のはちみつを、隠れる隙間もないほどに酢豚の上から浴びせかけた。
そして二人はそれがまるで約束事であるかのように、無言のうちにそれぞれの料理を食べ続けた。途中でシェアなどすることもなく、しかしこれが息が合っているということなのか、ほとんど同時に完食すると、甘彦がひとつ大きく深呼吸をして水を一口飲んでから、意を決したようにしばらくぶりの言葉を切り出した。
「で、返事のほうはどうかな?」
辛子のほうも水を一口、いやよほどタバスコが辛かったのか一気に飲み干すと、再び先ほどカバンから取り出した手紙を広げながら言った。
「あなたの気持ちは凄くわかりみが深かったし、うれしみすら感じたわ。ラブレターをもらったのなんて、本当にいつぶりだかわからないくらいで。でもこの手紙はわたしの求めてる味じゃないっていうか、こうやって話していてもそうだけど、あなたとはどうしても『み覚』が合わないような気がするの。だからその気持ちは本当にうれしみが大きいんだけど……ごめんなさみがヘルいの」
はちみつで満たされた甘彦の胸に、エモみとエグみが広がった。