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短篇小説「オーバーツーリスト」

 初めて日本の空港に降り立ったボブは、ロビーですれ違ったマダムが携えていたなんでもない花柄のエコバッグにすっかり目を奪われると、青い瞳を溺れるほど潤ませて歓喜の声を上げた。

「なんて美しい花! なんという大自然! 僕はもう感動でどうにも涙が止まらないよ! ヘイ、そこの世界一ダンディなジェントルマン、いますぐに霊柩車を呼んでくれるかい?」

 そう話しかけられた半ズボンの少年は、「は? 呼ぶなら救急車じゃねえの?」とベンチでグミをクチャクチャ噛みながら、ついでに鼻もほじりながら訊き返した。ボブは握り込んだ拳の中に親指を隠しながら答えた。

「いやこれほどまでに感動してしまったら、救急車程度じゃとてもまにあわないよ。僕は本当に、本当に死ぬほど感動してるんだ! だからいますぐに、墓場まで直行してもらわないと! それにあなたのその態度、口だけでなく鼻までも同時に動かしながら、さらにその口でおしゃべりまでこなすなんて、なんという超絶技巧なんだ! 僕はこれまでの人生で、こんな天才的なワンオペ人間は初めて見たよ! いまや全米がショーヘイの二刀流にも腰を抜かしまくってるところだが、この国にはさらに驚くべき三刀流がいたわけだ! このあと僕が無事墓に入ることができたら、ぜひ僕を弟子にしてほしいもんだね!」

 笑顔で涙を流し続ける外国人を気味悪がって、少年は鼻くそを飛ばして逃げていった。ボブは滲んだ視界の奥にお土産を扱う売店が目に入り、ふらふらとそちらへ引き寄せられてゆく。そして棚に置いてある大箱を指さしながら、通りすがりの女性店員を捕まえて「これは日本刀ですか?」と尋ねた。

「あ、いえ、それはポッキーといって、日本では有名なお菓子なんですよ」

 いわゆるご当地ポッキーというやつであった。

「いと、をかし?」

「お客様、よくご存じですね。でもこちらはその〈をかし〉ではなくて、おいしいほうの〈お菓子〉ですよ」

「オー、ということはすなわち、食べられる刀ですか? これもまたショーヘイと同じ二刀流というわけですか? それがさらに何本も入っていたりするのですか? ならば全部合わせると、これはいったい何刀流になるのですか?」

「いえ……もちろんたくさん入ってはおりますが、刀ではないんです。それは食べられるだけで、切れることも切られることもないのでご安心ください」

「なんと、そんな安全な刀がこの国ではすでに発明されていたのですね! しかも食べてもおいしいなんて! 僕はまたしても死ぬほど感動してしまいました! やはり本当にもう死んでいるのかもしれません。なのでいますぐに霊柩車を呼んでもらう必要があります。お願いします、プリーズお願いします!」

 二メートル近い外国人男性が突如繰り出した土下座を不気味に感じた空港の警備員たちが、各方面からぞろぞろと売店に集まってきて、額を床に擦りつけているボブのまわりを取り囲んだ。ボブは頭を起こして立ち上がると、笑っているのだか泣いているのだかわからない顔のまま大声で言った。

「僕はどうやら夢の国へ来てしまったようです。つまりもう死んでいるということです。だからすぐに霊柩車を呼んでください。そこらへんをなんでもいっぺんにこなしてしまう三刀流の達人が歩いているうえに、刀が食べられるお菓子になっているなんて、それはもう夢の国に違いないのです。僕はここへ来て死ぬほど感動してしまったから、文字どおりに死んだのです。こんなことならば、大袈裟に感動したりするんじゃなかった。でも時すでに遅しです。後の祭りです。後悔先に立たずなのです。だからいますぐに霊柩車を呼んでください! お願いします! プリーズ可及的、可及的すみやかにお願いしま――」

 そこで機転を利かした先ほどの女性店員が、咄嗟に大箱を開けて抜いたポッキーで背後から男に斬りかかった。すると男はまるで本物の刀で斬りつけられたように大袈裟に床へ倒れ込み、その隙を見て一斉にのしかかってきた警備員らに取り押さえられた。

 昨今問題になっている「オーバーツーリズム」とは、このようになにかにつけて大袈裟であること山の如き「オーバーツーリスト」らが引き起こしているものであり、彼らを捕まえるには何よりもご当地ポッキーが有効であるという。

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