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短篇小説「モチベーター」

 ある日、男がコンビニで万引きの容疑をかけられた。昭和の工場長のような店長にバックヤードへ連れ込まれた男は、席に着くなり持っていたトートバックを丸ごとひっくり返される。十数個の菓子パンが、テーブルの上へ脱獄囚のように飛び出した。それを見た店長は「そらみたことか!」としてやったりの顔をして、卓上の受話器をすでに摑まえている。それでも男は落ちついた口調で、店長に「よく見てください」と胸を張って要求した。商品を一点一点手に取って入念に確認しはじめた店長は、徐々に濃くなってゆく疑問符を、顔の真ん中に浮かべつつ男に訊いた。

「レシートはあるのか?」
「もちろん、そんなものありませんよ」
「じゃあ全部盗んだってことか?」
「そうなりますね」

 これが通常の万引きであったなら、被疑者と被害者の会話がこれほど穏便に展開するはずはない。ではなぜ店長の怒りがにわかに鎮まったかといえば、目の前にぶちまけられた商品がすべて、彼の店では取り扱いのないものばかりであったからだ。そうなればいくら店長であったとて、男から商品を取り上げるわけにもいかない。なぜならば男はこの店の客ではなく、別の店の客であるからだ。それでもというならば、店長は盗人からさらに盗品を巻き上げるような、さながら盗賊の元締めのような存在へと成り下がってしまう。

「どこで盗ったものかわかります?」男は相手を試すように言った。
「まさか、これ全部ひとつの店で?」店長は、まるで万引き犯の腕の良さを認めるような質問を返してしまう。
「そういうとこですよ」すっかり形勢をひっくり返した手ごたえが、男の語気を強めた。「すべて、あっちのコンビニから盗ってきたものですよ」
 男は背後を振り返り、ガラス越しに見える斜向かいのコンビニを指さして言った。

 実はこの店はコンビニとは名ばかりの、古くから町に根づいた個人商店にすぎない。その大手コンビニチェーンが一年前に突如斜向かいへ出現したあおりを喰らって、ただでさえ厳しいこの店の経営はいよいよ致命的な危機にさらされていた。

 それまではいわゆるコンビニが近所になかったものだから、このへんにしてはわりと取り扱いジャンルの広いこの店が、いつのまにかコンビニと呼ばれるようになっていた。しかし自らそう名乗ったことは一度もない。そこへ本物が出現すればそちらがコンビニと呼ばれるのは当然の話で、そうなるとこちらは看板に〈コンビニ〉の四文字をあえて書き加えざるを得なくなった。こちらにだって先に地元でそう呼ばれていた自負というものがあるし、それ以前にあまりにもコンビニと呼ばれすぎていたせいで、その正式な店名(齋藤商店)など利用者の誰も認識してはいなかったのだ。

「ではなぜわたしがこれらの商品を万引きしてきたか、わかりますか?」立ち上がって卓上に肘をついた男は、すっかりクイズ司会者の顔になっている。
「どうせ『つい魔が差して』とか言うんだろ。盗った奴はみんなそう言うんだよ」
「欲しかったからですよ」男は悪びれもせずに言った。
「ハハハ、いっそ爽やかなくらいだな」
「ではわたしは、なぜこの店で万引きをしなかったんだと思いますか?」
 男の質問が、急速に謎めいてくる。
「それはほら、もう欲しいもんが充分手に入ったからだろ」
 だが捕まえても自分に得がないとなれば、答えも自然と投げやりになった。
「自慢じゃありませんが、わたしの欲望は底なしですよ」
「じゃああれだ、バッグがいっぱいでそれ以上入んなかったんだろ」
「欲しいものがなかったからですよ」
 男は当事者意識の目減りしてゆく店長の面の皮へ、ぴしゃりと鞭を浴びせた。
「でもあんたの欲望は底なしだって――」

「いいですか店長さん」男は卓上にぶちまけられた菓子パンの一個を手に取って、天井の照明へ見せつけるように振りかざしてみせた。「商品が欲しいか欲しくないかは、あくまでも相対評価なんですよ。かつてはこの店で菓子パンを買っていた客も、近所にそれよりも美味しそうな菓子パンが同等かさらに安い値段で並んでいたら、そっちで買うに決まってるでしょう。つまりあなたは、自分の店からわたしにひとつも商品を万引きされなかったという事実を、大いに恥ずべきなんだ! それにあなたはこれらの盗品を念入りに検分しておきながら、すべてが斜向かいのコンビニで取り扱われている商品だということには、まったく気づきもしなかった。これぞおそるべき怠慢! 驚くべき企業努力の放棄! あなたはこれを機に猛省して、斜向かいのコンビニに密偵を放ってでも、いますぐに商品ラインナップの大幅な見直しをはかるべきですよ! そしていつかここの棚に、斜向かいよりも魅力的な商品が並んだ日には、今度こそ不肖わたくしが万引きをしに訪れてさしあげることをお約束します! しかしご安心ください。そうなった暁には、賢明なお客様がたの口コミによってすでにこの店は大いに繁盛してるはずですから、その程度の損失など痛くも痒くもありませんよ。ちょうどいまあちらのコンビニが、まさにそうであるようにね。というわけで、まずはわたしに少なからず万引きされることを目標に、ひとつ頑張ってみませんか?」

 そのとき、店長の目に失われていた光が蘇ったように見えた。それは単に天井から降り注ぐ照明が反射したものかもしれないが、あるいは噂のPDCAサイクルというものは、このようにして回りはじめるものなのか。

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